2020/12/24現在、Amazonの経済学カテゴリで1位になっている本書について書評を書きたいと思います。本書は資本論後の後期マルクスを読み直すことで新たなマルクス像を描き出し、それを援用しながら現在の資本主義を批判的に解釈し、未来への展望を示しています。先日、ブルシットジョブの書評を書きましたが、やはりこのご時世、資本主義へ懐疑的な見方が広がっているのでしょうか。
まず本書の意訳を記載して、その後に私の意見を書きたいと思います。
ここまでが本書の意訳です。最後の六七八章は意訳というか、ほとんど僕の考えになっています(笑) 自分で言うのもなんですが、僕がこのブログの前期にテーマとしていたこととほぼ同じようなことが書かれていて驚きました。
このような資本主義のアンチテーゼとしての農的生活への回帰という考えは決して古い考え方ではありません。早くも18世紀、19世紀にもそのような考え方はありましたし、武者小路実篤「新しき村」、「ヤマギシ会」、70年代ヒッピーの「コミューン」も同じような思想の流れを汲むものと考えられます。しかし、これまでの「自然回帰的思想」は「啓蒙思想」「資本主義」という超巨大なパワーの前には風前の灯のようなもので、一般的には「左翼的(共産主義的)な自然を愛する人の同好会」というようなものとしてしか社会に認知されていなかったと思います。
しかし、近年においては、このような考え方も社会の中で一定の影響を持ってきたのではないかと思います。先ほども書きましたが、
(1)環境を破壊し続け、自分たちの生活環境さえも危うくなってきているのに、「緑の資本主義」など詐欺まがいの主張を繰り返す。
(2)世界的に格差が拡大し続けていて、先進国でさえ明日の食事と住む場所に事欠く人々が増えている。(決して食料や住む場所が足りないというわけではない)
(3)極限まで細分化された作業を繰り返し、想像力を失った人々。
(4)欲望と消費を駆り立てられ、「使用価値」のないモノやサービスを追い求める人々。(哲学者ボードリヤール風に言えば「記号の消費」)
(5)相互扶助などの人間関係さえ金銭に置き換えられ、金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに全ての縁から切り離されて孤立する人々。(アトミズム)
このような社会が持続可能でしょうか。このような社会は幸せなのでしょうか。もちろんこの問題に正解はありません。しかし、僕たちはこの社会について、他人事ではなく本気で考えなければいけない時期なのではないかと思います。本書はこれからの社会について考えるための多くの示唆を与えてくれます。
