蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。内容は個人的見解です。email:arinkoblog@gmail.com

人間の思考を最小のモデルで表現することを試みる その4

①世界から情報を受け取る

②受け取った情報を帰納法演繹法によって組みたてて、事象のモデルを心の中で作る。

③しかし、人間は思考に偏りがあり、また全ての情報を手に入れることも出来ないので、正確にモデルを作ることが出来ない。

④よって不正確な状態で世界を認識している

⑤どうやっても人間は知っていることより知らないことの方が多い

⑥世界をいかに広げるか

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現実 ⇔ コンテキスト ⇔ モデル ⇔ コード

 2022年2月15日に ガイドライン~情報と人間~ という記事を書き始めたが、テーマが大きすぎるのと、目次を書いただけである程度満足したので(笑)その続きをほとんど書けていない。しかし、「社会、教育、情報、認知、人間」というテーマはこれからもこのブログの主要課題であり続けるので、今日もそこらへんについて取り留めなく書きたいと思う。


 人間はAI(コンピューター)を圧倒する超強力な帰納推論マシンである(≒強いAI)。帰納推論とは複数の情報を統合して、物事の妥当性や蓋然性を判断することと言えばいいだろうか。近年ではAIの目覚ましい進歩により、ビッグデータを用いてコンピューターも部分的に帰納推論を行えるようになってきたが(≒弱いAI)、あくまで部分的であり、人間のように「森羅万象が流動的に変化している世界の大量の情報を、リアルタイムで超高速で統合して目的を持って行動する能力」は持っていない。シンギュラリティが2045年に訪れて、AIが人間を超えるとも言われているが、人間のような超強力な帰納推論を行えるようになるかは個人的には疑問である。(帰納推論については「フレーム問題」が参考になる。)
 一方でコンピューターは人間を圧倒する超強力な演繹マシンである。演繹とは、順番に処理すること、とここでは定義しよう。コンピューターの演繹能力はすさまじい。「0と1」に変換された情報を、毎秒数億回~数京回計算することが出来るコンピューターのすさまじさは、もはや説明いらないだろう。一方の人間の演繹能力はとても低く、断片的に順不同でものを考えがちである。
 現代社会はIT化により、価値のある情報も増える一方で、それをはるかに上回る量の無意味な情報も氾濫している。そんなゴミのような情報があふれる社会を否応なく生きていかなければいけない現代では、人間とコンピューターのハイブリッドな能力が必要となる。人間の帰納推論の能力を活用して大量の情報を取捨選択し、コンピューターの演繹能力(IT、情報技術)を活用してどんどん情報を処理していくことが重要となってくる。


 しかし、先日の中小零細企業とDXという記事でも書いたが、社会の中でITを必ずしも活用できているとは言えない場面も見受けられる。その原因の一つとしては、人間とITの間にある灰色の部分がうまく認識されていないという点ではないかと考えている。
図①
図②

 人間とITの間にある灰色の部分とは、図②「現実世界とコード」の中間にある「コンテキスト」や「モデル」の部分である。「コンテキスト」「モデル」を簡単に説明すると、現実世界を言葉や図解で切り取って写像したものと言えばいいだろうか。「コンテキスト」や「モデル」という概念をそもそも認識できておらず、現実世界を自然言語(コード、言葉)や図解(モデル)によって適切に表現出来ていないことが、ITをうまく活用できていない原因の一つではないか。現実世界とITの中間にある灰色の部分をうまく認識できていないことにより「ITを無視して、人間の脳だけで情報を処理しようとする。」または「人間を無視して、ITありきで手段が目的化し、非現実的なDXやAIやIOTを導入しようとする。」という偏った事態が多々発生しているかもしれない。

図③

 効率的に情報処理を行うためには、図②のコンテキストやモデルに当たる中間部分の存在を認識し、その中間部分を自然言語(コード、言葉)と図解(モデル)を用いて整理することが、まず何より重要なのではないかと考えている。(図④参照)そうすることで人間とITの橋渡しがよりスムーズにいくのではないだろうか。この「モデル」の部分の重要性を認識し、共有する必要があるのではないか。

図④

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中小零細企業とDX

 日本の企業数の約99%を占め、労働人口の約2/3が働いているとされる「中小企業」。昨今DXの重要性が叫ばれていますが、中小企業におけるデジタル活用の実態を下記にて考えたいと思います。一部不快に感じる表現が含まれているかもしれませんが、あくまで情報処理の実態の説明を目的としていますのでご理解ください。ここで中小企業を批判したいわけではないことを、誤解がないよう強調しておきます。様々な面でハンディキャップを背負いながら努力をしている中小企業を批判するのは筋違いです。

・紙にハンコを押して回覧する。

・電卓を叩いてエクセルに入力する。

・転記を行う際、コピー&ペーストや手入力を長時間繰り返す。

マトリョーシカのようにフォルダを何個もクリックして必要なファイルを探す。

メーラーでメールは振り分けられておらず、「受信トレイ」だけで数十通のメールを処理する。

・ツールを使わずに「記憶」だけでタスク管理を行っている。(せいぜいホワイトボードや卓上カレンダーに書き込むぐらい)

・知識が形式知(外化→標準化)になっていないので、システムやマニュアルは充実しておらず「個人的な記憶と経験」で業務を行っていて、属人化している。(そして、その属人性に高いプライドを持っているのでやり方をなかなか変えようとしない。)

・マニュアルがなく、データベースなども充実していないので「個人的な記憶と経験と勘」をベースに「口頭、口伝」で、「断片的に順不同」で、「自分で考えろ⇔なぜ聞かないんだ」「一回しか言わないからな」「この間言ったよな」など言いながら人材育成や業務の引継ぎを行っている。

・etc・・・

 もちろん全ての中小企業がこうだというわけではありませんし、大企業なら上記なようなことを絶対にしていないかと言えばそんなことはありません。IT化の進捗は地方、業界、業態、企業、部署、人によっても濃淡はあると思いますが、上記の内容は中小企業の情報処理の実態をある程度表しているのではないかと思います。
 ここで考えたいのは、このような現状を炙り出すことなく、非現実的な「DX」を推し進めようとする社会の傾向性です。上記の現実問題に対して「DX」「AI」「IOT」が ”ソリューション" となるでしょうか?重要なのは「ソリューション」ではなく、まずは「問題」です!問題を炙り出すことなく、非現実的で高度で拙速な"ソリューション"を追い求める風潮に疑問を感じます。

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情報が多すぎる

 昨今はDXやAIやIOTなど喧しいが、ITの「手段の目的化」もまた著しいのではないかと思っている。
 情報には何らかの「意味」が含まれていて、何らかの「目的」が含まれていることが多い。しかし、情報が多すぎる場合、意味は曖昧になり、意味の伝達という目的を果たすことなく無意味な大量の情報とともに忘れ去られることもあるだろう。そのような情報をいくらITで高速に処理したところで、それほど価値があるとは思えない。意味があろうがなかろうが、情報を大量に作り出し、情報を大量に処理することそれ自体を目的としている社会の中で、人は「情報」との付き合い方をもっと考えていかなければいけないのではないか。