今月も何も書かなかったな~ とりあえず書評を書くことにしよう。
人口の半分4600万人が独身に…20年後「超独身大国」日本の恐るべき実像
人類は数百万年前から互いに協力して生きてきたからこそ、今日まで生きてこられたということを考えると、一人で暮らす人が増える状況はあまり望ましくはないのかなとは思います。
【93冊目】人口減少社会のデザイン 広井良典
本書は公共政策及び科学哲学を専攻し、広く社会問題への提言を行っている京都大学こころの未来研究センター教授の広井良典氏の著書です。今後、日本だけではなく世界中の国が避けることが出来ないであろう少子高齢化人口減少社会をどうデザインしていくかを広く考察しています。ただし、広井氏の元々の専門が科学史と科学哲学という点もあってか、やや概念的、抽象的、理念的方向へ寄っている感があります。本書の内容だけでは人口減少社会の概要が少しわかりずらい点もあるかと思われますので、まずは本書の内容に入る前に、私が考える人口減少社会についての概要を記述し、その後本書の内容について考えていきたいと思います。
第一章 人口減少社会についての概要
1、日本の超長期人口動態
図1. 日本の長期人口推移と予測(国土交通省「国土の長期展望」)
経済学における人口ボーナス理論
上図は日本の超長期人口動態を示しています。ざっくりと見ると、明治維新時の3300万人から2004年の12700万人までの急激な人口増加と、2004年を頂点として2100年の4700万への急激な人口減少が目を引きます。なぜこのような急激な人口の増加と減少が、250年ほどの間に起こるのか、その原因を次の章以降で簡単に考えてみたいと思います。
2、人口学における人口転換理論
社会科学の一分野として、人口の増減を研究する人口学という学問があります。人口学では近代社会における人口の増減のメカニズムを人口転換理論という理論を用いて説明しています。社会の近代化とともに多産多死から少産多死へと移行していくプロセスを説明する理論ですが、その人口転換理論を用いて日本の人口動態について下記にて記述します。
このように人口転換理論は、近代化という大きな潮流に様々な要因が絡み、多産多死から少産多死へと移行していく過程を理論化しています。では次に少子化の原因について少し詳しく検討してみましょう。
3、少子化について
wikipediaより引用
(出典:経済のプリズム「戦後の日本の人口移動と経済成長」縄田康光)
少子化の原因は多岐に渡り、一概に言えるものではありませんが、ここでは3つ取り上げたいと思います。
(1)高学歴化・・・先ほども述べましたが、近代化が進むにつれ、労働集約産業から知識産業へ移行し、学歴社会化することで教育費が高騰するというメカニズムが発生します。これが少子化の最大の要因と言えると思います。
(2)自己実現・・・社会が発展するほど、選択肢の増加、選択の自由、行動の自由が増えていきます。その結果、人生のリソースを家庭に注ぐ割合は相対的に漸減していくと考えられます。結婚して子供を育てるだけが人生ではないという考え方も社会の中に芽生え始めます。
(3)非婚化・・・ここでは多くは記述できませんが、上述の複合的な要因により、婚姻率も漸減していくと考えられます。(関連記事参照)
このように少子化は様々な要因が相互作用を起こして、徐々に進行していくと考えられます。ここで一つ個人的に強調しておきたいことがあります。少子化の原因を「若者の経済的困窮」に求める風潮がありますが、上記のデータを見てもわかるように経済が右肩上がりの20世紀後半に、出生率は右肩下がりとなっていることを考えると、単純に若者の経済的困窮だけに原因を求めるのは難しいのではないかと考えます。確かに金銭問題や経済問題が少子化の要因の一つを構成していることは間違いありませんが、原因を金銭問題や経済問題に単純に一元化することで、問題の本質を見誤ることになるのではないでしょうか。その点は留意が必要と思います。
4、貧困化、無縁社会
これらのプロセスを経て、たどり着いたのが現在の社会です。20世紀後半から21世紀初頭までの経済的繁栄を謳歌した末の残渣が少子化、高齢化、無縁化、貧困問題として社会で表面化しつつあります。その社会を今後どうしていくのか?その点を次の章で「人口減少社会のデザイン」を通して検討したいと思います。
(出典)2015年まで総務省統計局「国勢調査」2020年以降は国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計(全国推計)2018(平成30)年推計」(2018)
第二章 人口減少社会のデザイン
本書を貫くテーマは「コミュニティと縁」をどう再生するかという点になるかと思われます。20世紀の「成長、上昇、拡大」いう運動の中でエネルギーをすべて使い果たし、燃え尽き、粉々になりそうな社会の中で、アトム(原子)のように漂う人々をいかにコミュニティに包摂し、連帯と共助という輪の中に連れ戻すのかという点が著者の根源的テーマなのだと思います。
結局、コミュニティと縁の再生というものは、誰かがトップダウンで設計して出来るものではなく、一人一人の心の中に社会運動のように、市民運動のようにボトムアップで染み出る、湧き上がるものなのだろうと思います。本書は時に思弁的に、哲学的に、時に具体的に、人口減少社会をどのように構想していくのか、その指針を柔らかな光のように示しています。
ただ、本書の中ではこれからの未来に関して、あまり悲観的な話は出てきませんでしたが、これからの未来はそれほど楽観できないこともあるということは忘れないようにする必要があるかとは思いました。
(第一章を書くのに疲れて、第二章はおざなりになりました・・・w)
【92冊目】ビジネスの未来 山口周
前半で私の言葉と見解を交えながら本書のサマリーを書いて、後半に私の意見を書きたいと思います。
私の言葉を交えたサマリーですが、かなり本書の内容を曲解しているかもしれませんが(汗)、大意と方向性はそれほど違わないと思います。
著者が言う通り、恐らくこれ以上社会が豊かになるのは難しいのではないかと私も感じます。永遠の命、恒星間宇宙旅行、タイムマシンなど開発されれば、まだ経済は拡大するのかもしれませんが、現実レベルではこれ以上物質的に豊かになるのも難しいのではないでしょうか。しかし、永遠の成長という宿命を背負った資本主義社会を維持するためにはどういう形であれ、経済的拡大を目指すしかありません。大きくなりようがないものを無理やり拡大させようとする中で、過労死やパワハラ、正規と非正規の格差問題など様々な労働問題が生じ、幸福感と下手をすれば人間としての尊厳さえも棄損しているのかもしれません。
筆者が言っていることはもっともで、特に反論もありませんが、問題は具体的にどのようにしてこのような社会を実現するのかという手段の問題になってくると思います。私には特に具体策は思いつきませんが、非営利的活動いわゆるNGO、NPOの活動が重要になってくると考えています。「子ども食堂」「フリーマーケット」「クラウドファンディング」など、営利を全く目的としていないわけではないが、「営利より、その活動そのものに価値を置き、かつ安価に利用できるサービス」というのが、今後の経済において大きな役割を果たしていくのではないかと考えます。
遠い将来、社会全体がそのような方向性へ舵を切る時、本書が示すベクトルが社会的ドメインになってくるのではないかと感じます。
これからの新しい社会のシステムと考え方(1)コモディティとコミュニティのクラスター社会時代へ【再掲】
先日、「人新世の資本論」を読んで書評を書きましたが、「(´-`).。oOそういえば、俺も以前こんなこと考えてたなような気がするな・・・」と思い出してブログを検索したらそんな記事が出てきたので参考までに記載します。しかし、昔の文章を読むと本当に下手だ(笑) 今も別にうまくないけど。
【91冊目】人新世の資本論 斎藤幸平
2020/12/24現在、Amazonの経済学カテゴリで1位になっている本書について書評を書きたいと思います。本書は資本論後の後期マルクスを読み直すことで新たなマルクス像を描き出し、それを援用しながら現在の資本主義を批判的に解釈し、未来への展望を示しています。先日、ブルシットジョブの書評を書きましたが、やはりこのご時世、資本主義へ懐疑的な見方が広がっているのでしょうか。
まず本書の意訳を記載して、その後に私の意見を書きたいと思います。
ここまでが本書の意訳です。最後の六七八章は意訳というか、ほとんど僕の考えになっています(笑) 自分で言うのもなんですが、僕がこのブログの前期にテーマとしていたこととほぼ同じようなことが書かれていて驚きました。
このような資本主義のアンチテーゼとしての農的生活への回帰という考えは決して古い考え方ではありません。早くも18世紀、19世紀にもそのような考え方はありましたし、武者小路実篤「新しき村」、「ヤマギシ会」、70年代ヒッピーの「コミューン」も同じような思想の流れを汲むものと考えられます。しかし、これまでの「自然回帰的思想」は「啓蒙思想」「資本主義」という超巨大なパワーの前には風前の灯のようなもので、一般的には「左翼的(共産主義的)な自然を愛する人の同好会」というようなものとしてしか社会に認知されていなかったと思います。
しかし、近年においては、このような考え方も社会の中で一定の影響を持ってきたのではないかと思います。先ほども書きましたが、
(1)環境を破壊し続け、自分たちの生活環境さえも危うくなってきているのに、「緑の資本主義」など詐欺まがいの主張を繰り返す。
(2)世界的に格差が拡大し続けていて、先進国でさえ明日の食事と住む場所に事欠く人々が増えている。(決して食料や住む場所が足りないというわけではない)
(3)極限まで細分化された作業を繰り返し、想像力を失った人々。
(4)欲望と消費を駆り立てられ、「使用価値」のないモノやサービスを追い求める人々。(哲学者ボードリヤール風に言えば「記号の消費」)
(5)相互扶助などの人間関係さえ金銭に置き換えられ、金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに全ての縁から切り離されて孤立する人々。(アトミズム)
このような社会が持続可能でしょうか。このような社会は幸せなのでしょうか。もちろんこの問題に正解はありません。しかし、僕たちはこの社会について、他人事ではなく本気で考えなければいけない時期なのではないかと思います。本書はこれからの社会について考えるための多くの示唆を与えてくれます。