蟻の社会科学

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グローバルマクロ経済の限界を探る


               社会科学の極めて単純な概念図

 資本主義は原理的に「有限の中の無限」という究極的な矛盾を内包しています。自転車操業のように自転車を漕ぎ続けないといけない宿命です。さらに時間と共に回転数を上げ続けないと維持できない宿命です。システムを維持するためには拡大し続けるしかないという悲しい宿命を背負っています。
 しかし人類の知恵は技術革新により「マルサスの罠」を悠々と貫き、ローマクラブの「成長の限界」を飛び越えて、人類に物質的な豊かさを現在まで提供し続けています。「人類に豊かな生活を供給する資本主義」それは決して悪いことでもないと思います。しかし、それでもやはり「リーマンショック」に代表されるような「資本主義が内包する有限の中の無限という矛盾」を人類は未だに克服することは出来ていないと思います。
 上記の図でざっくりと表しましたが、マクロ経済は複雑な要因によって大きな影響を受けます。ありとあらゆるミクロ要因の集合体が「グローバルマクロ経済」です。その複雑なミクロ要因がマクロ経済に与える影響を「精緻なモデル化、定量化する」ことは不可能だと思われます。エリザベス女王が先般の金融危機の時に「なぜエコノミストの誰1人、金融危機を予測できなかったのですか?」との疑問を投げかけたニュースを聞いたことがありますが、それは「人間には人間社会をモデル化、定量化することが不可能だから」だと言えるのではないでしょうか?
 俺も「IS-LM分析、フィッシャーの法則、ドーマーの定理、情報の島・・・」などなど経済学を色々勉強しましたが(1/3も理解できているか自分自身疑問ですわw)「ミクロ要因の集合であるマクロ経済、そのマクロ経済がミクロ要因に与える影響、複雑な人間社会を定量化することは絶対に不可能である。また資本主義の「有限の中の無限という矛盾」を超えることも絶対に不可能。」との結論だけは出せました。近代経済学の「合理的経済人」や「人間の無限の欲望」というあり得ない前提では経済学は何かしら限界があると判断しました。捻くれ者の俺は経済成長を目指す経済学ではなく、経済成長の限界を粗探しする経済学を目指すことにしました。
 むしろ経済学を学べば学ぶほど「お釈迦様の手のひらで驕り高ぶっている孫悟空状態」になりかねないと思います。経済学に嵌れば嵌るほど「数式によって人間社会すら統治、制御し、豊かにできる。」との孫悟空的な観念が強まっていくと思います。その観念は日本においてはマクロ経済学で社会を良くして皆を幸せに出来る!という「古典的マネタリスト≒リフレ派」を生み出したり、アメリカにおいては金融工学を発達させて、巨大なバブルとリーマンショックを起こしたと思います。「有限の中の無限というお釈迦様を忘れた孫悟空」が現実社会をむしろ不安定化させていると思います。俺は経済学を全否定するわけではありません。経済学の目的という面から考えると、「人類を豊かにして、有限の富を有効に分配するための経済学」であるならば非常にいい学問ではありますが、「有限を突破し無限を目指し、永遠の経済成長を目指すための功利主義的経済学」であるならば、それは人類にとって悪影響でしかないのだろうかと考えてしまいます。
 ありとあらゆるミクロ要因の集合体である「社会とマクロ経済」を定量化することは不可能ですが、「グローバルマクロ経済の成長の限界」をモデル化することは、極めて簡単にではありますが可能かなぁ???・・・むしろあまりややこしく考えないほうがいいような気がします。

グローバルマクロ経済の極めて単純なモデル

経済の定義
1.人間が存在する。
2.その人間が技術革新によりモノやサービスを必要とするようになる。
3.経済成長とはモノやサービスの需要と供給の拡大。
4.そのモノやサービスの需要と供給の拡大を助けるのが金融。

経済成長の歴史
産業革命以前(西欧中心)
「100の人間が1のモノやサービスを必要とし、100の需要が生まれる。100の需要に対し、100の供給が生まれる。」
産業革命後(やっぱり西欧中心)
「200の人間が3のモノやサービスを必要として、600の需要が生まれる。600の需要に対し、600の供給が生まれる。」
第二次世界大戦後(それでも西欧中心+一部新興国
「500の人間が10のモノやサービスを必要として(圧倒的技術革新!!)、5000の需要が生まれる。5000の需要に対し、4000の供給が生まれる。(黄金の時代)
・西暦1990年頃(資本主義陣営の大勝利!)から現在(ヨーロッパ+アジア+新興国のグローバル経済)
「1000の人間が15のモノやサービスを必要として、15000の需要が生まれる。15000の需要に対して20000の供給が生まれる。『足りない5000の需要は無理矢理作る!そうだ!家を買わせよう!』
・今後
「わかりません???」


需給面の考察
経済成長の鈍化の要因は「需要面」ではないかと考えています。需要の鈍化の理由は色々あると思いますが・・・・

【需要面】
1.「人口の増加の限界」・・・先進国も新興国出生率が低くなります。
2.「高齢化」・・・先進国は高齢化しつつあります。高齢化する社会では需要が伸びることは無いでしょう。
3.「欲望の限界」・・・消費性向ではなく物質的な限界があると思われます。先進国では技術革新と供給力の圧倒的増強によりインフラが整っていまし、モノもサービスも溢れています。そして豊かさの一つの例を挙げますと、20年前にはパソコンなどは高嶺の花でしたが今では数万円で購入出来て、さらにはブラジルの人とネット回線を通じて無料でskypeで会話出来るほどになりました。先進国の人はこれ以上豊かになりようが無いほど豊かになったのではないでしょうか?3Dテレビをみんなが欲しがるわけではありません。みんながwindows7にすぐに乗り換えるわけではありません。車の価格が半分になったとしても売り上げ台数が2倍になると思えません(少なくとも日本では)。これ以上新たなモノやサービスを欲しがれと言っても難しいのではないでしょうか。上記の例で産業革命以前は「1のモノやサービスを必要とする」とざっくりと定義し、現在は「15のモノやサービスを必要とする」とざっくりと定義しました。俺にはこの数値が15以上になるとは思えないのですが・・・。せいぜい20ぐらいでしょうか。新興国もいずれ需要の限界に到達するでしょう。新興国の需要に限界が達したらアフリカの奥地、インドの奥地、アマゾンの内陸部、若しくは人間を工場で作って(!)、無理矢理にでも需要を作り出すのでしょうか?そのころには先進国ではみんなが気軽に宇宙旅行へ行き、自家用飛行機に乗り、ドラえもんのような世界になっているのでしょうか。物事には何かしらの限界が必ずあると思います。(日銀の白川総裁の発言を下に記載しておきます。)
4.「資源面、環境面などなど(成長の限界にて示されるように)」・・・資源がやはり今後大きな問題になってくると思います。
【供給面】
モノという物質面においては「日本とドイツとアメリカの工場がフル稼働すれば人類全てに工業製品を供給できる」と言われるほど人類は圧倒的供給力を有しているようです。モデル図で示したように需給ギャップが今後どんどん広がっていくと思います。

まとめ
 地球上では実体経済の需要を上回る供給力のために、今後どんどん需給ギャップが広がり、金で金を稼ぐため、金で金を返すため孫悟空はジャンジャンお金を作り続けるでしょう。それはバブルを引き起こし、資源価格を乱高下させて、格差を拡大させ、ますますカオスな社会になると思います。グローバル資本主義が今後カオスな社会をもたらすと思われますが、それについて肯定することも否定することもできません。なるようにしかならないという現実が待っています。いや孫悟空もなるようにしかならないと知っているのでしょう。
 そして、そんなカオスな社会の中では経済学は存在感を低下させると思います。GDP(需給の拡大)というものでは社会の幸福を定量化できず、GNH(国民総幸福量)という概念がますます広がっていくのではないかと考えています。

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http://www.jiji.com/jc/zc?k=201105/2011050600032
新興国、いずれ課題に直面=バブルや高齢化−日銀総裁

 【ヘルシンキ時事】日銀の白川方明総裁は5日、当地で行われたフィンランド中央銀行創立200年を記念する会議で講演した。白川総裁は、中国など高度成長を続ける新興国は、今後日本のようにバブルや高齢化などの問題に直面すると予想。成長を持続させるには、こうした課題の克服が重要と語った。
 白川総裁は、人口動態などから「現在の中国は日本の高度成長期に当たる1960年代に相当する。今後も高成長を続けるだろう」と予測。インドも今後数年で労働者人口がピークとなる「人口ボーナス」期を迎え、成長が加速する可能性があるとした。
 白川総裁はその上で、こうした国は日本が高度成長期の後に経験したバブルや高齢化、ビジネスモデルの硬直化といった課題に「いずれ直面する」とし、「高度成長を永久に続けることはできない」と強調。バブル期の過度の自信や、コスト削減と大量生産という企業の手法が通用しなくなったことなどが「日本の教訓」だと話した。(2011/05/06-06:16)

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