田中角栄は
と述べています。
僕は都市から地方へ富を分散すれば魔法のように豊かな社会を実現できるなどとは
微塵も思いませんが、田中の考えは非常に学ぶべきものがあると思います。先日書いた記事と以前に書いた記事をもう一度練り直して「近世社会から
現代社会への変遷」について考えてみたいと思います。このブログは基本的に同じことを何回も繰り返しています・・・
これから
現在騒がれている生活保護問題は必ずしも個人の責任とは言えないと思う。(もちろん、働く意思をまるで持たずに日本国憲法第25条をあたかも聖書かコーランのように持ち出す人が増えているのは極めて大きな問題なのだが。)
結局、近代化はフワフワと浮遊する現代人を大量に生み出した。経済が成長している間はそのフワフワと生きる現代人全てを包み込むことが出来るのだが、経済の成長が終わってしまった瞬間に生きるための確実な土台を持たないフワフワ現代人は生きていくための手段の全てを失ってしまう。(例えば会社が倒産した瞬間に住宅ローンを払えなくなり行き場を無くしてしまうなど)生活保護の増加は個人の責任ではなく単なる近代の末路なのだ。今回は書ききれないのだが、ちょっと強引に言うと「少子化」も「高齢化」も「非婚化」も「無縁化」も全ては近代社会の末路であり、誰かに責任を問うこと自体が不可能な問題なのだ。僕らが今生きている時代はその近代社会の末路の時代なのであって「政府が悪い」とか「生活保護受給者の努力不足」とか「若者の努力不足」とか、誰かに責任を押し付けること自体が馬鹿げている。
政治家の不作為や生活保護受給者の努力不足などは決して肯定できることではないし問題点を洗い出していくことは非常に重要だけど、対症療法にこだわるのではなくもっともっと歴史から学び、これからの未来を考えていくことも重要なことだと思う。
