蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。email:arinkoblog@gmail.com

ブログの新ガイドライン(2)無知の知~私の中のミクロコスモス 脳と心と思考~

 

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第一部 システム0とシステム1~ 無意識と感情 ~ 
第1章 はじめに
 このブログは社会のことを考える社会科学なのですが、ここ2~3年は認知科学に興味の中心が移りました。認知科学とは人間の知覚、記憶、思考などの知的機能の仕組みを、脳科学、心理学、哲学、言語学、宗教学、文化人類学神経科学、情報科学、システム科学・・・など様々な分野からのアプローチによって解明しようとする学問です。
 興味を持ったきっかけはいわゆる「ロジカルシンキング(論理的思考)」が、仕事を正確に効率的に行うために役に立つだろうと思い、ロジカルシンキング関連のビジネス書を読んだのが始まりでした。ロジカルシンキングの本を数冊読んだだけでは飽き足らなくなり、人間の心や思考を知るためにより根本的な脳科学認知心理学の学習も始めました。勉強の過程で人間の心や思考を研究する学際的領域(複数の学問にまたがった大きなカテゴリー)として「認知科学」という分野が確立していることを知りました。
 認知科学の勉強を始める前は脳科学や心理学はあまり好きではありませんでした。心や思考というのは人間にとって「最後の秘密基地」であり、「自由を保証された最後の領域」であり、脳科学や心理学などはその秘密基地を暴き、最後の自由を侵すようなものという感覚がありました。「最後の自由」が暴かれ、脳科学や心理学という名の透明な檻か透明なフレームに閉じ込められて、心の自由を侵されるような感覚と、それに反発したい気持ちとがありなんとなく好きになれませんでした。
 しかし認知科学をある程度学んだ現在は考え方が変わりました。私たちは心は自由でありたいけれど、その自らの心の自由によって苦しむこともまた多いと思います。思い通りにいかずイライラして八つ当たりしたりする。そのことで後でクヨクヨ悩んだりする。自分の希望に沿うように物事を勝手に解釈して後でうまくいかず悩む。愚にもつかない思い付きで不安になったり自信満々になったりする・・・。私たちの心は自由過ぎて、心の暴走を制御することが出来ずに苦しむ。または頑固過ぎて、自分の思うように動かすことが出来ずに苦しむ。この自由気ままで頑固で暴れん坊な自分の心を制御するために認知科学を学び、認知科学のフレームに心をはめることで、自由は失うことなく感情と思考をサポートし、よりよい方向へ柔軟に心をガイドすることが出来ると考えるようになりました。
 この記事では脳、心、思考について、下記の順に書いていきます。ただし単なる素人である私が「人間の脳と心と思考」という壮大なテーマをブログの一記事として書き切れるものではありませんので、人間の心の見取り図をかなり大まかに切り出して、私の興味の中心である「無知とは何か」を中心として展開していきたいと思います。
 記事の内容は全て先の研究者達の研究の成果の上に成り立っています。全ての研究者の方たちに感謝と敬意を申し上げます。また内容の一部に、認知科学における一般的な解釈に反して私の主観によって解釈されている部分がある可能性がありますので了解ください。

第一部 システム0とシステム1 ~無意識と感情~
第1章  はじめに
第2章  観念論 ~世界は脳の中に存在している。哲学からのアプローチ~
第3章  本能、無意識による決断 ~ システム0 ~
第4章  二重過程理論 ~システム1とシステム2、大脳辺縁系大脳新皮質、感情と思考~
第5章  歪められる世界 ~システム1、認知バイアスヒューリスティック
第6章  無知の知 ~世界と私の境界線~

第二部 システム2 ~思考と学習~
第7章  考えるとは
第8章  批判的思考(クリティカルシンキング) ~システム2、無知の知、内省~
第9章  論理的思考(ロジカルシンキング) その1 ~静的構造、要素還元主義、抽象と具体など~
第10章 論理的思考 その2 ~論理的思考と非論理的思考~
第11章 システム思考 その1 ~動的構造、世界は変化しながらつながっている~
第12章 論理的思考 その3 ~アウトプット~
第13章 論理的思考 その4 ~説明について~
第14章 学習 ~知識、理解、類推(アナロジー)、記憶~
第15章 メタ認知

第三部  発展と応用 ~事象の認識とその複雑性~
第16章 因果と推論
第17章 蓋然性と灰色の世界 ~ヒューリスティックの根幹~
第18章 事象の認識と問題の発見
第19章 システム思考 その2 ~「おにぎり」をテーマにシステム思考を考える~
第20章 システム思考 その3 ~近代化とアトミズム、少子高齢化をシステム思考で考える~

第四部  その他色々
第21章 前頭葉
第22章 発達障害自閉症スペクトラム 
第23章 自己中心性と認知的不協和 
第24章 システム3とシステム0以前 ~仏教、マインドフルネス、進化心理学
第25章 リベラルアーツと読書
第26章 まとめ
第27章 参考文献


第2章 観念論~世界は脳の中に存在している。哲学的アプローチ~
 世界とはひとりひとりの脳の中にエミュレート(模倣再現)された一種のバーチャルリアリティです。主に五感(視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚)から得た情報を、超高速で脳内に再現することが出来る私たちの脳は、不完全でありながらも驚異のエミュレーターです。世界はひとりひとりの脳内で個別に再生されていて、私たちには自らの脳内に再生される世界以外知るすべがなく、他人に見えている世界を確認して比較したりすることは出来ないので、私たちはこの世界が脳内で正しく再生されているかどうかは原理的に確認することはできません。
 例えば、一般的に人間は赤、緑、青の三色を感知する錐体細胞(色を認識する細胞)を網膜に持っていて、光の波長でおおむね780nmの赤色から380nmの紫色までを可視光線として網膜で感知して脳内で色を再現していますが、色盲色弱の人には特定の色が再現されず、違う色彩で世界は表現されています。他の生物では錐体細胞は二色だったり四色だったり、波長の長い赤外線や波長の短い紫外線を見ることが出来る生物もいるようで、見える世界の色が違っていると思われます。
 天才数学者ジョン・ナッシュの生涯を描いた映画「ビューティフルマインド」では、統合失調症を患うナッシュの脳内で、存在するはずがない政府機関のエージェントと大学時代の友人が幻覚として何十年にわたり見え続けていました。このように脳に疾患がある人は見えるはずがないもの(幽霊など)が見えたりします。しかし「幽霊が見える!」という人が間違っているとは必ずしも言い切れません。ひょっとしたら幽霊は本当に存在していて、その人が見ている世界が正しくて、ほとんどの人が幽霊が見えない間違った世界を見ているのかもしれないのですから。
 繰り返しますが、全ての人間を含む生物の脳内では各個体ごとに違った世界が再生されているので「本当の世界」がどういうものなのか確認することは原理的に不可能です。私たちは自らの脳で再生される世界以外の「本当の世界」を確認するすべを持っていないからです。私たちは自らが能動的に正しく世界を見ていると思い込んでいますが、実は驚異的な高性能ではあるが不完全なエミュレーターである脳が五感から得た情報を、電気信号や神経伝達物質のやりとりによって超高速処理してエミュレートした映像や音などを受動的に受け取っているに過ぎないのです。
 「でもそんなこと考えていてもしょうがない。人間の脳に投影される世界はおのおの大体共通しているからその共通している部分のことだけ考えよう。」という趣旨のことを言ったのがドイツの哲学者イマニュエル・カントですが、その通りです。本当の世界というものは様々な意味で絶対にわかり得ません。本当の世界なんてわかり得ないということを受け入れたなら、逆に世界の多様性を受け入れて、自らの思考の多様性を生み出す下地になるかと思います。
 ここでは「この世界は私の脳という、高性能で驚異的ではあるが不完全なコンピューターが再現した一種のバーチャルリアリティである。」ということを確認しておきたいと思います。次の章からこの不完全なコンピューターがどのようにして世界を認識しているのかを簡単なモデルを使って検討していきます。



第3章 本能、無意識による決断~ システム0 ~

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 上図は人間の情報の入力と処理のモデルです。近年の認知科学の研究では人間の行動の多くが上図のプロセス3の「本能、無意識(システム0)」で行われていることがわかっています。
 例えば、人は歩くとき、わざわざ「右足を出して、次は左足、その次はまた右足・・・」など考えることはありません。何も考えずに歩きます。車の免許を取りたての頃は、運転前の準備段階や運転中も常に色々なことを意識しながら運転しますが、運転に慣れるとほぼ無意識に歩くのと同じような感覚で運転します。いちいち考えながら意識しながら日常の行動をとっていたのでは脳は疲れ果ててしまうので、慣れた行動は「ルーチン化された行動プログラム」となり、全自動で処理される無意識下にインストールされます。
 また、私たちの脳の奥には、人類が進化の歴史の中で蓄積してきた本能がインストールされています。脳の奥の無意識下にインストールされているので、それらの本能を意識上で認識することは出来ません。「私たちが意識して自由意思で決断したと思っていたことが、実は、人間の脳の奥にインストールされた本能から発生した無意識下のルーチン行動プログラムであり、意識に上ってくる前に既に決断がなされている。そして意識はそれを追認しているだけである。」ということが、近年の研究により明らかになりました。
 この点について、ここでは多くを書くことはできないので、詳しくは参考文献を見ていただきたいのですが、ほんの一部紹介させてもらうと

① 可能性の低い選択肢を無意識で排除する「ニューラルネットワーク」がシステム0の根幹である。
② 高温のものに触ったとき無意識で手を引っ込める「反射」は、システム0の典型。
③ 脳に大きな腫瘍が出来て、意識と知性を保ちつつ殺人鬼に変貌してしまった男の例。
④ 心理学の実験においてオキシトシンというホルモンを投与された人は「他人を信頼する」ようになる割合が大幅に増える。
⑤ 生物学の観点から「不倫遺伝子(AVPR1A遺伝子)」の変異体を持つ人は追跡調査の結果、遺伝子を持たない人より統計的に有意な高い割合で不倫をする。
⑥ 心理学の実験で「老人を連想させる単語」を多く聞いた大学生のグループは、聞いてないグループより実験後の歩く速度が遅くなった。(プライミング効果)
⑦ 株などの投資において損失は先延ばしし、利益はすぐに確定してしまう。(プロスペクト理論

など、その他色々、脳科学、心理学、生物学、行動経済学のなどの様々な観点から人の本能的、無意識的決断が明らかになってきました。
 この章では「人間の行動のかなりの多くの部分が、本能と繰り返しの経験に由来する無意識下にインストールされた行動プログラムによって作り出されている。自らの思考の末の決断と思っていたことが無意識下ではすでに決断されていて、意識は後付けでその決断を支持する理由を探しているだけであり、全ての行動を自らの意識上の思考の末の決断で行っているというのは大きな勘違いである。」ということを確認しておきたいと思います。



第4章 二重過程理論 ~システム1とシステム2、大脳辺縁系大脳新皮質、感情と思考~

 認知科学に人間の思考のメカニズムを説明する二重過程理論という理論があります。システム0の無意識層で生成された思考の源を、意識層の「システム1(感情的な速い思考)」と「システム2(速い思考を吟味する遅い思考)」で、どのように処理するかを説明するモデルです。(ただし、下記のモデルはわかりやすさを重視した極めて単純なモデルとなっています。脳は下記のモデルほど単純ではありません。脳の機能の詳細は専門書などを参考ください。)

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 人の思考は、システム1とシステム2のスペクトラム(連続体)の間を状況に応じて左に行ったり右に行ったりしていますが、基本的にはより本能に近いシステム0およびシステム1から生成される速い思考をベースに世界を認識して行動しています。しかしモデルの通り、システム0、1の思考はその速さと引き換えに世界の認識に対して不正確な部分もかなり含まれています。その不正確な部分を含んだ速い思考を心理学では「ヒューリスティック」と呼び、システム0、1の無意識で生じる認識の歪みを「認知バイアス」と呼びます。次の章では「ヒューリスティック」と「認知バイアス」について検討します。



第5章 歪められる世界 ~システム1、認知バイアスヒューリスティック
 システム0で生成され、システム1で意識に上がってくるヒューリスティック認知バイアスは様々あるのですが、ここではすべてを紹介することはできませんので、私が考える人間の心の核心を構成する部分を(1)~(5)で大きくまとめたいと思います。

(1)自己中心性のバイアス ①自信過剰な傾向 ②自己防衛的な傾向

①自信過剰な傾向
 人は基本的には自分のことを「そこそこ優秀でそんなに捨てたもんじゃないぞ。」と思っています。「あぁ・・・俺は何をやってもダメな人間だ・・・」と自分の全てを否定的に考えてしまう抑鬱的な人や、修行僧や苦行者や革マル派のように自らの全てを否定して極限の高みを目指すストイックな人でない限り、多くの人は自分のことを「まあまあ優秀な人間」と思う傾向があります。逆に「俺はすごい!天才だ!」といつも思っている人もそんなにはいないかと思います。多くの人は特に意識はしませんが、自分をまあまあの人間と考え、ほどほどの自信を持って生きているかと思います。それは「自尊心」「誇り」「プライド」とも呼ばれていて、人が快適に生きていくうえで絶対に欠かすことが出来ないもので、健全な心を構成する重要な要素だと思われます。
 ここでは「人は謙虚になって自惚れるべきではない。」とか「自分に自信をもって堂々と生きるべきだ!」など言いたいわけではなく、ほどほどの自信を無意識で持っているのが人間のごく普通の心理状態である、ということを確認しておきたいと思います。自己中心性については22章でもう一度触れたいと思います。
 下記にて一部、自信過剰な傾向に関するバイアスを紹介します。詳細に関してはリンク先を参照願います。

・自己奉仕バイアス 自己高揚バイアス
・根本的帰属の誤り 基本的帰属錯誤
・優越の錯覚(1)
・優越の錯覚(2)
・平均以上効果
・ダニング・クルーガー効果
・不均衡な洞察の錯覚
・フォールスコンセンサス効果(投影バイアス)
 など

②自己防衛的な傾向
 人は無意識下で「まあまあ優秀な自分」というイメージを持っていますので、そのイメージを侵害されるような状況に陥った時には、無意識で自分の好ましいイメージやアイデンティティを守るように、その状況を自らに都合のいいように解釈をします。
・自己防衛バイアス=自己奉仕バイアス、自己高揚バイアス、根本的帰属の誤り
・自己正当化
・認知的不協和
・セルフハンディキャップ
 など

(2)一部を見て全てを理解したと勘違いする傾向(ヒューリスティックによる早合点、拙速なインプット)
(3)最初に思いついた考えを検証なしに信じる傾向(ヒューリスティックによる思い付き、拙速なアウトプット)
 人は無意識のうちに少ない情報で出来る限り物事を判断しようする傾向があります。その時、本能と自分の経験をベースに超高速で、システム0とシステム1から「なんとなくそう思った。」という直感的思考が生成されますが、それを「ヒューリスティック」と呼びます。人が使える時間は有限で、システム2でいつもじっくり考えられるわけではないので、ヒューリスティックによる判断は思考の経済性という点では非常に有効です。一番最初に思いついた考えというのは、正しいから思いついたのか、思いついたから正しいのかわかりませんが、思いついたことを常に批判的に検証しているわけにもいきませんので、一番最初の思いつきをとりあえず信用するのは様々な点において有効かと思われます。認知心理学者のダニエル・カーネマンは人間が拙速に結論を出す点において、人間を「結論に飛びつくマシン」と表現しました。
 しかし、速さと引き換えに様々なエラーも発生しますので留意が必要なのですが、人間は思い付きを検証しようと思い付くことは少なく、また少ない情報で辻褄合わせを行うことで主観的な整合性を作り出し、自らを納得させて満足してしまいます。さらにその少ない情報をもって全ての情報を得ていると勘違いします。手持ちの少ない情報の背後に、さらに重要な情報が隠されている可能性に思いが至ることがなく、さらに背後の情報を得ようと思いつかない点が、人間の情報処理における大きなエラーだと考えられます。ダニエル・カーネマンはこのエラーを「見たものが全て効果」と名付けました。「井の中の蛙効果」とも言い換えることが出来るかもしれません。
 もちろんこの世界の全てを知ることは出来ませんが、見えるものが全てではなく、見えるものは氷山の一角であると意識を常に持つことは重要だと思います。②③は17章の「因果と推論」と18章の「蓋然性と灰色の世界」でもう一度詳しく触れたいと思います。

・少数の法則・・・少ないサンプル数で、全体を判断してしまう。レアケースをあたかも一般的のように思い込む。
・感情ヒューリスティック・・・好きなもの、または嫌いなものが一番最初に思い浮かぶ。
・利用可能性ヒューリスティック・・・慣れ親しんだ思い出しやすいものが一番最初に思い浮かぶ。
・単純接触効果・・・特定の対象や考えに何度も接触するうちに、その対象に好意的な印象を持つ。
・代表性ヒューリスティック・・・「営業マン≒明るい、人当たりがいい」というような、イメージによる単純なレッテル貼りをすぐに行う。
 など

(4)無知の無知
 次の章で改めて「無知」についての詳細を書くのでここでは簡単に書きますが、情報が不足していることに気付かないことを「無知の無知」と言います。人は(1)~(3)の傾向により、自分は多くのことを知っていて不足している情報はないと思い込みます。自分が知らないということ(情報不足の状態)に気付かない人は、逆に「自分は何でも知っている」と錯覚してしまいます。

・知識の錯覚(第11章参照)
・ダニング・クルーガー効果
 など

(5)確証バイアス
 自分に自信があり、知らない情報はないと無意識に思い込んでいると、自分の考えを批判的に検討し反証を探そうとしなくなります。自分の考えに自信があるので「こうなって欲しい→こうなるに違いない→こうなるべきだ!」と考え、都合が悪い情報や知りたくない情報は、間違った情報か、または関係ない情報であるとして無視し、逆に自分の考えを補強するような情報ばかりが目に付くようになります。よって、ますます自分の考えが正しいと確証を持つようになっていくことを確証バイアスと言います。ユリウス・カエサルの「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えているわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。」という言葉は有名です。

・選択バイアス
・後知恵バイアス
・生存者バイアス
 など

 (1)~(5)をまとめて、おおまかな人間像を作りますと ”自分にある程度の自信があり、一部を見て全てを理解したと早合点する傾向と、思い付きを検証せずにすぐに信じる傾向がある。それゆえに自分は十分に情報と知識を持ち合わせていて、物事についてよく知っていると思い込み、知識不足であるとは思わない。常につじつまを合わせながら考えているので、論理的に間違っているとは思わない。自分が知らないことや都合が悪い情報は、関係のない情報や間違った情報であり、自分の考えは概ね正しいという認識を無意識下に持っている。” というのが基本的な人間像かと思われます。ただすべての人が絶対にこうだというわけではなく、あくまでこのような傾向性を持っているだけという点は強調したいと思います。
 ここでもう一度確認しておきたいのは、上記の五つの傾向は人間の本質的傾向であり、無意識下にインストールされている「ルーチン化された自動プログラム」に限りなく近いという点です。



第6章 無知の知 ~世界と私の境界線~

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 無知とは何か。字面の通り、知が無いこと、即ち知らないことを無知と言えるかと思います。しかし言うまでもなく、人はこの世界の全てのことを知ることはできません。教養のある人も、社会的地位の高い人も、経験豊富な人も、年長者も、そうでない人も「すべてのことを知ることは出来ず、知らないことが必ず存在する。」という意味においては、全ての人が無知であると言えるでしょう。
 全ての人は無知ではありますが、真の意味での無知とは「無知の無知」であると言えます。自分が知らないということに気付いていない人は、逆に自分は何でも知っているという錯覚に陥ります。この状態こそが本当の意味での「無知」です。逆に自分が知らないということに気付いている状態が、かのソクラテスの言葉で有名な「無知の知」です。
 「あなたは自分を物知りだと思いますか。無知だと思いますか。」とアンケートを取った場合、恐らく多くの人は(心の中はわかりませんが)「無知です。」と答えるかのではないでしょうか。確かに心の中(意識上)では自分が無知であると思っているかもしれません。しかし自分が知らないということに、本当の意味で気付くことはそう簡単なことではありません。自らが「無知だとなんとなく思っている。」ということと「無知であることを気付かざるを得ない状況を体験し、自らが無知であることを確信している。」とは大きく違います。
 第5章で検討したように人は無意識下で自らについてやや過信気味であり、一部を見て全てを理解したという勘違いをする特徴があり、いつも自分に都合のいい情報だけを取捨選択する傾向があります。結果、人は既知と未知と境界線が不明瞭な状態で「私は知っている」というぼんやりとした錯覚、幻覚の中で生きています。未知の事象に出会っても「ああ~これね!知ってる知ってる!」とよく知らないのに知っているという勘違いに陥ったり(知識の錯覚)、「ああ、それは関係ないことだから!」と過小評価したり否定したり、無意識レベルで未知の事象を避けるように処理することが多いと考えられます。(知識の錯覚については13章でまた触れたいと思います。)
 人は日常生活の中で、既知と未知との間にある高い壁を超えて、自らが無知であることを明白に認識する機会に遭遇することは少ないのではないでしょうか。「無知の知」を会得するには何か強烈な印象を伴った体験が必要なのだろうと考えます。既知と未知との間にある高い壁を一撃で吹き飛ばすような体験がないと、人は無意識で未知の事象を避け続けて、無知であることに気付くことは難しいのかもしれません。(僕の場合はリーマンショックがその体験となりました。世界経済の大混乱により目の前の生活が大きな影響を受けた時、初めて目の前の世界を構成する壁が破壊され、遥か遠い世界を垣間見ることにより、目の前の世界の外側の存在を知りました。) 
 ここまで見てきたように、人の脳は不完全なコンピューターです。ヒューリスティックやバイアスもあり、世界を正確に認識することは原理的には出来ません。しかし、たとえ世界を正確に認識することは絶対に出来ないにしても、よりベターに世界を認識する努力をすることは必要なのではないでしょうか。仏教では「(少ない情報と)希望的観測によって自らの心の中に作り出された世界と、変化し続ける本当の世界との整合性が取れずに人は苦しむ(意訳)」と教えられています。自らの心の中に作り出された世界と、本当の世界とのギャップをより減らすための最初の一歩が「無知の知」だと思います。自らが知らないということを認め、自らの心を開放し、様々な未知の情報を受け入れる「心の在り方」こそが、世界と私たちをよりベターにつなぐ唯一の扉です。自分が知っているという思い込みは、世界と私たちをつなぐ唯一の扉が閉ざしてしまうことになるのではないでしょうか。
 無知の知とは、無知を恥じることでもなく、無理に謙虚になろうとすることでもなく、今日まで培ってきた自信やプライドを捨てることでもなく、自分の考えを捨てることでも決してありません。「自分が知らないこと、気付いていないことがたくさんあるということを、ただ客観的に冷静に受け入れる。」ただそれだけだと思います。そして無知の知こそが、よりベターな思考が生みだされるスタート地点です。
 ここまで第一部ではシステム0による無意識下の自己中心性とシステム1による拙速な判断を中心に全体像を描き、無知に気付くことの難しさを炙り出すよう心掛けました。第二部ではシステム2による人間の思考について検討していきたいと思います。


第二部 システム2 ~思考と学習~


第7章 考えるとは
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 第一部ではシステム0とシステム1について取り扱いました。第二部では二重過程モデルのシステム2について広く検討して行きたいと思います。ここではシステム2を便宜的に、批判的思考(クリティカルシンキング)と論理的思考(ロジカルシンキング)とシステム思考と学習(知識、理解、記憶)とメタ認知に分けて考えます。
 批判的思考とはシステム1の安易な提案を鵜呑みにせず、拙速な判断に待ったをかけて、出来る限り吟味しようとする姿勢のことです。批判的思考は次の第8章で検討します。
 また論理的思考とはシステム2による遅い思考の中心を成すもので、対象を要素に細かく分解したり(要素還元、具体化)、要素を集めて構造に組み立てなおしたり(抽象化)、多角的に検討する思考です。論理的思考は第9章で検討します。
 システム思考は論理的思考の延長線上にあり、論理的思考を幾重にも重ねて拡大し、全体の動きまでも考慮に入れる思考です。システム思考は第11章で検討したいと思います。
 これらの思考をサポートするものであり、思考と不可分なのが学習(知識、理解、記憶)です。学習は第15章で検討します。
 そして、思考と学習において最も大切であると考えられる能力「メタ認知」について第16章で検討します。



第8章 批判的思考(クリティカルシンキング) ~システム2、無知の知、内省~
 批判的思考とは、システム1の安易な提案を鵜呑みにすることなく、感情を抑え、論理的思考による検討へ橋渡しする姿勢のことです。「批判的」という字面からは他人の意見に反対するのが批判的思考というイメージを持つかもしれませんが、決してむやみに他人の意見に反対することを批判的思考というのではなく、あくまで自らの拙速な判断を自重して検討しようとする姿勢のことを批判的思考と言います。内省的思考という表現のほうがうまくニュアンスが伝わるかもしれません。
 第5章、第6章で検討したように、人間はどうしてもシステム0、システム1の本能に近い直観的な思い付き(ヒューリスティックやバイアス)を簡単に信じてしまう傾向があるのですが、そういう傾向が自らにあるということを認識して、システム2の判断を仰ぎながら行動を取るように心掛けることで、よりよい判断を下せるようになると思います。
 批判的思考についての詳細についてはここで多くを語ることは出来ませんので参考文献を参考にしていただきたいのですが、第4章の二重過程モデルのシステム1とシステム2を見比べて、「システム1からシステム2へ移行しようとする意志力」というイメージで考えていただければいいと思います。
 ただ批判的思考の中心を成す概念を一言で表すとしたら、繰り返しになりますが「無知の知」になるかと思います。自分は知っているという思い込みにとらわれることなく、知らないかもしれないという仮定の下に自らを置いておく、という姿勢は批判的思考を構成する最も基礎的な土台です。



第9章 論理的思考(ロジカルシンキング)その1 ~静的構造、要素還元主義、抽象と具体など~

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 心理学者ジョイ・ギルフォードは、人間の思考を「拡散的思考」と「収束的思考」に分類しました。拡散的思考とは複数の知識を発想する思考で、収束的思考とは発想した知識を組み立てて結論へ導く思考です。この拡散的思考、収束的思考を土台として、帰納(抽象)と演繹(順序立てる)へと展開しながら、論理的思考とは何かについて検討していきます。
 論理的に考えるとはどういうことか。論理的ではなくても考えるとはどういうことか。結局、「考えるとは何だろうか」と考えを深めていくと、必然的に「考える」という行為を抽象化して、捨象し、洗練させて、極めて純度の高い結晶にまで精錬する作業が必要となります。考えるという行為は非常に広範かつ多岐に渡り、一義的な定義は難しいと思いますが、下記の三点が論理的思考の核心を構成している方法になるかと考えています。

①対象に関する知識をなるべく多く発想する。発想した知識を手掛かりに、不足していると思われる知識をなるべく多く収集する。(拡散的思考)

② ①で収集した知識を、大構造、中構造、要素、とサイズ別に分類し整理整頓すること(≒帰納的推論による抽象化、体系化、収束的思考)

③ ②で整理整頓された知識を「抽象的概念から具体例」「前提から結論」「背景から現状」「原因から結果」「過去から未来」「目的から手段」「計画から実行」など、抽象的なことから具体的なこと、大きなことから小さなことへ順序立てて考えること(≒演繹的推論による順序立て、具体化、収束的思考)

 これをシステム1の思考とシステム2の思考を比較しながら、もう少しわかりやすくしたモデル図が下図です。

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もっとわかりやすい言葉で表現すると、論理的思考とは

プロセス0  紙とペンを準備する
プロセス1 (情報や知識を)集める。発想する。
プロセス2 (情報や知識を)分ける       (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス3 (情報や知識を)つなげる      (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス4 (情報や知識を)まとめる      (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス5 (情報や知識を)予測する。考える。 (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス6 (プロセス1~5を)繰り返す

この0~6までのプロセスこそが「考える」なのではないだろうかと考えています。

プロセス0 紙とペンを準備する
 考えるためにまず必要なのが紙とペンです。学校で教科書も問題集もノートに書くこともなく学ぶことが出来ないように、たくさんの情報や知識を自らの脳内だけで整理整頓することは不可能です。紙に書きだして情報の全体像を俯瞰することで、初めて考え始めることが出来るようになります。

プロセス1 集める 発想する(知識や情報の収集や発想)
 この最初のプロセスから躓くことが多いと思われます。たびたびの繰り返しで恐縮ですが、人は自分が様々なことを知っていると思い込んでいるので、そもそも情報や知識を収集しようとしない傾向があります。必要な情報が不足したままでは物事を正確に考えることが出来ません。システム1に引っ張られる引力に負けることなく、批判的思考を働かせて、このプロセス1でなるべくたくさんの情報や知識を収集し、なるべくたくさん発想することが重要になります。

プロセス2 分ける(具体化 要素分解 要素還元)
「分かる」の語源は「分ける」だと言われていますが、自分が持っている知識を意識的に明確に分けることがプロセス2だと思います。自分が持っている情報や知識というのは、意識しないと案外とあやふやなものです。モデル図にある通り、人の頭の中では似たような知識がひと塊となって頭の中にぼんやりと存在していて、ある情報を思い出そうとしたときに他の情報も一緒に思い出されてしまい、よくわからなくなったりすることがあります。持っている知識をできるだけ個別の「要素」に分解して分けることで、頭の中が整理されてスムーズに物事を考えることが出来るようになります。

プロセス3 つなげる(演繹、順序立てる、関係付ける)
 この世界に存在しているものは全て、単体で存在していることはなく、他の何かとつながりを持って存在しています。例えば、人は「地球」の上で生活し、「空気」を吸って生きています。「両親」から生まれ、誰かが作ってくれた「食べ物」を食べ、誰かが作ってくれた「道路」を歩き、誰かが作ってくれた「服」を着て生活しています。たとえ、たった一人、真っ裸で宇宙空間に放り出されたとしても「宇宙」との関係を断つことは出来ません。
 このように全てのものは何かと関連せずに存在することは出来ません。「この世のありとあらゆるものは何かと関連しながら存在している」ということを意識して「要素」と「要素」のつながりを考えることが「考える」のプロセス3になるかと思います。

プロセス4 まとめる(帰納、抽象化 階層化)
 要素に分け、要素同士をつなげたら、それらを包んでまとめる「構造」を作ります。例えばモデル図の「4」と「D」だけ部分的に見ても両者の関連性を見出しにくいかもしれませんが、「文字」という大きな構造で考えると「4」と「D」の関連性や共通点を見出しやすくなるかと思います。このように要素の共通点を見出し、大きな構造でまとめることを抽象化と言います。物事を抽象化して、全体像を空から見下ろすように俯瞰することが出来れば、要素の関連性を容易に見つけることができるようになり、考えるという作業が非常に楽になります。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、この「森を見る」いうことがまとめるということであり、「考える」のプロセス4の抽象化という部分になります。

プロセス5 予測する 考える(推論 仮説)
 プロセス1~4を経て、情報が整理され全体像と因果関係が見えてくると、不足している部分がどこか予測することが出来るようになります。

プロセス6 繰り返す(拡大 精緻化 システム思考へ)
 プロセス1~5を繰り返すことにより全体像が拡大し、構造同士の関連性がより明確になっていき、不足部分や不明瞭な部分や次の展開など、様々なことを検討しやすくなっていきます。





第10章 論理的思考 その2 ~非論理的思考~
 この章では前章の論理的思考について、(1)抽象化(≒帰納法)と(2)順序立てる(≒演繹法)という2つの方向から、具体的に深く検討していきます。後半では論理的思考と非論理的思考とはどういうことかを検討したいと思います。

(1)抽象化(≒帰納法
 人間の論理的思考力の核心にあるのが、思考モデルの「プロセス4のまとめる」の抽象化という能力です。Wikipediaによると抽象化とは「思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。」と書かれています。また帰納法については「個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法のこと。」と書かれています。厳密には抽象化と帰納法は違いますが、ここではほぼ同等の意味として扱います。
抽象化をもう少しわかりやすく例えると

・複雑なものを単純化して考える
・複数の要素から共通点を見つけ、一つの構造にまとめる
・混沌(カオス)の中に秩序(コスモス)やパターンを見出す
・鳥のように羽ばたき、全体を見渡して、全体像を描き出す
・木を見て、森も見て、葉も見る。全体と部分を分けて把握する

というイメージで表現出来るかと考えます。次の3つのモデルで抽象化を説明します。

①まとめる ~まとまっていないとよくわからない~

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 上記のモデルは多少大げさに表現されています。何の秩序もなくバラバラに配置してあっては何がなんだかわかりませんが、「炊き込みご飯系」「植物系」「肉系」「海鮮系」など一つ上の階層の抽象的な名称を作り、整理することで把握しにくかった全体像をすっきりと把握することが出来るようになります。


②つなげる ~細かすぎるとつなげられない(関係づけられない)~
 
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「田子町から川本町へ行く最短のプランを計画してください。」という問題が出された場合、まずどこからどこなのかよくわからないと思います。具体的すぎる物事と具体的すぎる物事は、つながりや関係をうまく構築できないことがよくあります。その時は抽象化をして一つ上の階層、二つ上の階層まで広げることによって物事の関連性を見つけることが出来ることがあります。しかし、抽象化しすぎると今度はつながりや関係が曖昧で漠然となりすぎることもあります。
 抽象度のことを「粒度」とも言い、抽象的なことは「粒度が粗い」、具体的なことは「粒度が細かい」と表現することがあります。論理的思考においては、粒度を意識して全体⇔部分の関係性を考えることが、非常に重要になります。


③まとめて、つなげる ~全体像がないと部分と順序がわからない~

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 物事を考えるということは地図に例えることが可能かと思います。①地図(全体像) ②現在地 ③道順 ④目的地を確認することによってスムーズに移動することが出来ます。抽象化というのは現在地、道順、目的地を全て包括する地図(全体像)を作ることと言えるかと思います。地図という全体像がなければ、現在地、道順、目的地を把握してスムーズに移動することは困難です。


(2)順序立てる(≒演繹法

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 人間の論理的思考力の核心のもう一つを構成するのが、演繹法と呼ばれる「順序立てる」能力です。Wikipediaによると演繹法とは「一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法である。」と定義されています。少し意味が違いますが、わかりやすく考えるためにここでは「順序立てる」ことを演繹法と定義したいと思います。
 演繹法をもう少し砕いて説明すると、例えば「1→2→3→4→5」という順番の事象があったとして、その事象の説明をするときに「3→5→2→1→4」という順番で説明しても恐らく理解されません。「1→2→3→4→5」という正しく順序立てて説明をすると、相手は「論理的な説明」と受け取るのではないでしょうか。
 私たちが生きている日常の世界では、基本的には物事には方向性というものが存在します。「原因→結果」のような、非対称な方向性が日常生活では常に存在しています。その物事の非対称な方向性を考えることが、「順序立てる(≒演繹)」ということであり、論理的思考の柱の一つとなります。
 非対称な方向性を考えるときは A→B、またはA→B→C という抽象的なモデルで、ある程度までは考えることが出来るのではないかと考えています。むしろ、最初はこれぐらい抽象的なモデルから考え始めるほうがわかりやすくていいのではないでしょうか。第9章の「思考のモデル」、後に出てくる「フィッシュボーンチャート」「フローチャート」に、7W1H、原因、結果、根拠、手段、目的などを付け足していけば、物事の全体像や、様々な問題の解決法を検討するときのたたき台を作ることが出来るのではないでしょうか。


非論理的思考
 環境問題、社会問題、仕事の問題点など、何でもいいのですが、「何らかの問題」について考えるとします。その問題は「12個の要素」と「数字、アルファベッド、という2つの抽象的構造」の相互関係によって成り立っているとします。しかし、まず問題を考え始めるときに12の要素と2つの構造が「順序立って頭に思い浮かんでくる」ことはありません。一番初めに思い浮かんでくるのは「E」かもしれませんし、「4」かもしれません。「アルファベッド」という抽象的構造がぼんやりと最初に思い浮かんでくるかもしれません。
 とても重要なことなので繰り返しますが、何かを考えるとき基本的には頭に思い浮かんでくる順番はバラバラです。システム1の利用可能性ヒューリスティックにより思い出しやすいものから思い浮かんだり、感情ヒューリスティックにより好きなものや願望が最初に思い付いたりして、順序立って思い浮かんでくることはありません。
 そもそも、その問題が「12個の要素」と「数字、アルファベッド、という2つの抽象的構造」の相互関係で成り立っているという前提自体が、考え始めてから要素(情報や知識)を整理整頓して、抽象化して、構造を作り、全体像の把握に努めて、ようやく判明することです。
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 ここでもう一度確認しておきますと、論理的思考とは「バラバラに順不同に思い浮かんだものを手掛かりにして発想を広げ、抽象化して、順序立てて、整理整頓すること」です。
 人は意識こそしていませんが、この世界について常に抽象化を行い、順序立てて因果関係を理解しようとしています。しかし、システム1が優位に立っている私たちの脳は、抽象化も順序立てることも基本的には得意ではなく、強く意識して批判的思考を心掛けていない限りは、抽象化も順序立てることも積極的には行いません。よって、人はシステム1による速い思考の引力に引き寄せられ、バラバラに思いついた順に説明や行動を始めてしまい、自分でもよくわからなくなり、後付けで辻褄合わせをしようとして、ますますよくわからなくなってしまうという「非論理的思考」や「非論理的行動」をついつい行ってしまいます。
 抽象化と順序立てる能力を鍛えるにはトレーニングが必要となります。第12章でそのトレーニングについて説明したいと思います。




第11章 システム思考 ~動的構造、世界は変化しながらつながっている~
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 システム思考とは第9章の論理的思考のプロセス6を繰り返し、全体と部分の関連性を把握し、全体の動きと部分の相互作用まで考慮に入れて考えることを言います。例えるなら、「木を見て森を見て葉を見る」だけでなく空の変化、雨、川、季節、森の生き物など周辺の環境など全てを考慮に入れ「森が含まれる周辺環境全体とその相互作用」まで考えることです。
 言葉で書くとわかりにくいかもしれませんが、車の運転で例えるとわかりやすいかもしれません。僕たちは車を運転している時はありとあらゆることを同時に考えています。目の前のことだけに集中するわけでなく、ハンドルだけに集中するわけでなく、アクセルだけに集中するわけでなく、ブレーキだけに集中するわけではありません。前方全体(前の車両、信号、天気、歩行者、路面状況、標識etc)と車の計器類やミラーで後方なども絶えず気を配り、先の変化を予測して、それら全ての情報の統合の結果として、ハンドル、アクセル、ブレーキを操作します。
 このように全体と部分、先の変化の予測などを考慮に入れる全体最適思考」をシステム思考と言います。論理的思考は主に「部分的な構造を、静的(時間の経過と変化を考慮に入れない)に細かく考えること」であり、システム思考は主に「全体的な構造を、動的(時間の経過と変化を考慮に入れる)に大きく考えること」と言えるかと思います。どちらの思考が上ということはなく、論理的思考とシステム思考の線引きも特に明確なものではありません。ケースバイケースで使い分けることが重要です。




第12章 論理的思考 その3 ~アウトプット(拡散的思考)~

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 人間の短期記憶(ワーキングメモリ)は4つしかなく(7つという説も有力)、せいぜい1〜4個のことしか頭の中に一時的に保留して考えることができません。しかし目の前にある、理解すべき、解決すべき事象は、大小合わせて数十個、多ければ数百個の要素から構成されています。この数十、数百個の要素を4つのワーキングメモリだけを頼りに頭の中だけで考えることは不可能です。紙に書きだして、全体像を俯瞰することで考えることが出来るようになります。
 思考力というのは知識量におおむね比例します。知っていることが多ければ多いほど、それらの知識を組み合わせてたくさんのことを考えることができます。しかし、たくさん知識を持っていてもそれらを発想する力も同時に持ち合わせていないと、多くの知識は宝の持ち腐れになってしまいかねません。筋肉をつけるために筋肉トレーニングが必要なように、発想力を高めるにはひたすら紙に発想を書き出すトレーニングが必要となります。ひたすら紙に書き出すトレーニングをすることで上記のモデルのシステム2のように、連想的に多くの知識を発想する力が付いてきます。
 また、発想力というのは疑問を持つ力に直結していると思います。思考を広げるには疑問を持つことが重要です。疑問を持たなければ新しいことを知りたいと思うこともなく、世界が広がることはありません。疑問を持つ力がなければ上記のモデルのシステム1のように、思い付きや見たまんまで思考が終わってしまい、連想的に思考を広げていくことが出来ません。
 テーマを決めて要素を大量に発想し、紙に書き出し、抽象化と順序立てるトレーニングを何度も何度も何度も・・・行うことによって発想力と疑問力と論理的思考力を磨くことが出来ると思います。この章ではどのようにして紙に書きだすかの方法を考えます。

文字、文章タイプ
 
(1)箇条書き(単語、短文)【拡散的思考】
思いついた単語や短文を上から順に書いていく箇条書き。シンプルながら発想力を磨いたり、考えを広げたりまとめるのに有効です。コンサルタントの赤羽雄二さんが提唱する「0秒思考」で用いられる方法です。

(2)文章【収束的思考】
最終的な体裁の整ったまとめとして有効ですが、ざっくりと考えを広げたりまとめたりするにはそれほど有効ではないかもしれません。あくまで思考の最終的なまとめとしたほうがいいかと思います。しかし、文章を大量に書くことが思考力を磨くために最も効果がある方法だと考えています。
   
図形タイプ

(1)フリースタイル型…自由に思考を書き出して全体像を俯瞰し、まとめることが出来る。

マインドマップ【拡散的思考】
連想ゲームのようにどんどん要素をつなげて広げていきます。ひたすら発想力を磨いたり、発想を広げる場合に向いています。
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②フィッシュボーンチャート風(おすすめ!)【拡散的思考+収束的思考】
抽象的なメインストリームに具体的な脚注を加えることで、大きく細かく流れをまとめたり把握できます。この記事の中でもフィッシュボーンチャート風のモデルを多用しています。 
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フローチャート【収束的思考】
多くの要素が広く複雑に入り組んでいる事象の把握に向いていると思います。マインドマップで発想したものを動的に整理した状態と言えます。
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など。①②③に明確な線引きがあるわけではなく、とにかく自由に大量に書き出すことが重要です。

(2)フレームワーク型…決まった型に要素をはめ込んで考える。ビジネスシーンでよく使われる。収束的思考
 詳細は参考文献やビジネス本などに譲り、概要だけ4つ下記にて記載します。
マトリックス
二軸マトリックス 四象マトリックス など
②3C
Customer(市場・顧客) Competitor(競合) Company(自社) それぞれをリサーチし、戦略を考えるフレームワーク
③4P
Product(製品) Price(価格) Place(流通) Promotion(販促) 4つの視点からマーケティングを考えるフレームワーク
④5F
「買い手の交渉力」「売り手の交渉力」「業界内の競争」「新規参入の脅威」「代替品の脅威」の5つの力学から業界を考えるフレームワーク

などなど






第13章 論理的思考 その4 ~説明と理解について~
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 この章では「説明」について検討します。人に何かを説明するという行為は、論理的思考力、コミュニケーション力など、知的能力が最も試される分野だと思います。
 上記のモデル図を例に、「野球」というものを全く知らない人に説明するには、どのように説明を行えばいいかを考えます。相手が野球というものを全く知らないのであれば、「ピッチャーが・・・」「ホームランが・・・」「ダブルプレーが・・・」など、具体的なことから説明しても通じません。
 相手が野球を全く知らないのであれば、まず最初に「これはスポーツである。」という最も抽象的で大きな概念から説明する必要があります。最も大きな前提を最初に説明することなく説明を始めても、相手の理解があやふやなまま話が進んでしまう可能性があります。まず最初に「スポーツである。」という抽象的概念を説明し、その後は「2チームで戦う。」「1チーム9人である。」など、包括的に、少しずつ具体度を高めていくことで、比較的スムーズに理解を得られるのではないでしょうか。
 自分が野球についてよく知っているのであれば、ついつい相手も野球についてある程度知っているだろうという自己中心的な思い込みに陥ってしまうことはよくあります。「スポーツである。」ということをわざわざ説明するまでもないだろうと思い、説明を端折ってしまうことがありますが、それは自らの思い込みであるということをメタ認知するのは重要です。

 もう一つ別の例を考えてみます。「2週間でプロセスが1~7まである仕事」というのがあり、その仕事を新人に説明するとしましょう。(下図)
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第一週の月曜日から始まり、第二週の金曜日で終わりです。プロセス1から説明をすることが出来ればいいのですが、例えば今日が第二週の火曜日だとしたら、プロセス5の説明から始めなければいけないということも多いでしょう。その時はプロセス5をいきなり説明するのではなく

(1)この仕事はプロセスが1から7まであること(抽象化して、まず全体像を説明する)
(2)今日は日程の都合上、プロセスの5を説明すること(その次に、具体的事例を説明する)

この2点を伝えるだけでも、相手は全体像(抽象的概念)と現在地、目的地(具体的事例)の流れのイメージをつかむことが出来て、より早く理解できます。

 説明において重要なのは下記の四点かと思います。

①(状況を考えながら)相手が持っている知識量や理解度を推し量る。
②それに応じて、相手が理解するのに必要な抽象度を考えて、抽象的概念から具体例へ順序立てて説明する。
③5W1H、前提、結論、目的などをあやふやにすることなく、明確にすることを意識して説明を行う。
④可能な限り、紙などに書き出して説明すると、なお良い。

 第10章の「非論理的思考」の項目でも説明しましたが、人は具体的なことを、思いついた順に、順不同で説明を始めてしまうという習性があるようです。説明を行うときはそのことを認識しつつ、上記の四点を意識しながら行うようにするといいかと思います。
 人に理解してもらいやすいように抽象的な概念から説明を心掛ける、ということを逆に考えると、自分が何か未知のものを理解しようとするときは、抽象的な概念から考えるように心掛けると理解しやすいということになります。複数の具体的事項をいかに抽象的概念に置き換え、順序立てられるかが論理的思考の重要な鍵になります。
 この記事でも人間の思考という複雑な事象を、「システム0、1、2」と抽象的な概念に置き換えて説明していますが、うまく説明できているか自信はありません。(笑)



第14章 学習 ~知識、理解、類推(アナロジー)、記憶について~
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 ここまで複数の章で「思考」の概要について検討しましたが、この章では「思考」を構成する要素である「知識」と、知識に関連する「理解」と「記憶」についての概要を検討します。「思考」の材料となる「知識」は「理解」と「記憶」なくしては成り立つことは出来ず、また「理解」と「記憶」も相互に支えあうことなく成り立つことは出来ません。これらについて検討します。

知識について
 知識とは何かは認知科学では「意味ネットワーク」という言葉で説明されることが多いのですが、簡単に説明すると「知識とは、多くのノード(結び目、中継点、ハブ)を介した一連のネットワークで構成された※シームレスクラスター(集団)である。知識と知識は互いを支え合ってネットワークを作ることで初めて存在することが出来るものであり、そのネットワークにつながることなく単独で存在することは出来ないもの。」という感じでしょうか。(※シームレス=継ぎ目がない、区切りが無い、線引きがなくあいまい)
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 文章ではわかりにくいかと思いますので、モデルを使って説明します。コートジボワールというあまりなじみのない言葉でも「アフリカ」の「国」という知識とネットワークを作り、意味を与えあうことによって、知識として自らの脳内に存在することが出来ます。同時に「アフリカ」という言葉も「地球の反対側にある大陸」などのぼんやりとした知識とネットワークを構成し、「国」という言葉も「人が集まって立法府や行政府や企業を構成し、社会的ルールが成立している地域」などのぼんやりとした知識と連結することにより、自らの脳内で成立しています。「コートジボワール」が何かを「国」や「アフリカ」という知識と結びつかずに理解することは出来ません。
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 上図はイギリスに関する適当な思い付きをまとめたモデルです。イギリスに関する様々な知識が集まって様々なノードを介してネットワークを構成し、クラスター(集団)となっています。「ビッグベン」は「イギリス」「ロンドン」と不可分であり、「マンチェスターユナイテッド」は「サッカー」「プレミアリーグ」という知識とネットワークを構成せずに単独で存在することは出来ません。「イギリス」という単語はそれに付随する様々な知識と結びつくことで、初めて意味を持った「イギリス」になります。

新しい知識と理解について
 新しい知識は、隣接する古い知識が新しい知識に接続し、ネットワークを構成することによって理解され、知識として取り込まれます。
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「ドンテディヴィンチェンゾ」という言葉は恐らくほとんどの人は聞いたことがなく、また理解もできないと思います。答えを言いますと「ドンテが名前、ディヴィンチェンゾが苗字で、アメリプロバスケットボールリーグNBAに所属するバスケットボールの選手」です。

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答えを聞くと「アメリカ」「バスケットボール選手」などの元々持っていた古い知識が「ドンテディヴィンチェンゾ」に意味を与えて、「ドンテディヴィンチェンゾ」が何であるかの理解を促し、新しい知識となります。
 
 隣接する古い知識が新しい知識に接続し、ネットワークを構成することで新しい知識を理解して取り込むことが出来る、ということは隣接する知識を持っていない場合は、新しい知識を取り込むことが出来ないということです。「ドンテディヴィンチェンゾ」は「人名」で「アメリカ」の「バスケットボールの選手」という比較的わかりやすい知識と接続し、なんとか理解することが出来るかと思います。
 しかし、例えば「マートン学派」(14世紀イギリス、オックスフォードのマートンカレッジを中心とする、数学者、自然哲学者による運動論の学派)という言葉を聞いても「はあ・・・?14世紀・・・?運動論・・・?」という感じで理解できないと思います。多くの人は自分が持っている知識と、「マートン学派」を橋渡しする知識が不足しているので、ほとんど接続されず、「マートン学派」を新しい知識として取り込むことは難しいでしょう。
 このように、隣接、関連する知識同士が脳内で互いに支え合う広大でシームレスな“ぼんやりとしたネットワーク”によって作られるひとまとまり(クラスター)が「知識」であり、「知識の深さ、理解の深さ」とはクラスターを構成する「知識の量」「ネットワークの密度」「知識の整理整頓具合」に依存するものになるかと思います。知識とはシームレスであるがゆえに、「どこが始まりでどこが終わりか?」「深く知っているかどうか?」と明確に線引きしたり、定義したり、意識することは難しいものです。線引きや定義が難しいがゆえに、自分がよくわかっていないことをよくわかっていると錯覚するバイアスのことを「知識の錯覚」と言います。
 「コートジボワールを知っていますか?」「イギリスを知っていますか?」と同じ問いがあったとして、同じ「知っている」でも、前者はただ名前を知っているだけであり、後者はある程度の大きさのクラスターとして一定の深さの知識を保有していることになります。しかし、自らの知識の深さについて明確に意識しないと知識の錯覚により、ぼんやりと同じ「知っている」で処理してしまうので注意が必要です。
 自らが持っている知識同士の入り組んだの関係を整理整頓することが第9章の「論理的思考」であり、次に検討する「理解」だと言えます。また、シームレスな知識に対して「どこまで知っていてどこから知らないか」の線引きをすることをメタ認知といいます。メタ認知の役割も様々ありますが、次の章で検討します。

理解について

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 理解とは何かという定義も難しいですが、大きく分けて二種類あると考えています。一つは第9章に出てきた思考モデルのシステム2そのものです。知識を集めて、知識同士の関係を考えネットワークを構成し、整理整頓し、知識を増やしネットワークを広げていく、これこそが理解の一つの定義なのではないかと考えています。即ち「思考≒理解」だと考えて差し支えないと思います。これを「思考型アプローチによる理解」と定義します。
 もう一の理解の方法として「類推(アナロジー)型アプローチによる理解」があります。類推とは、よく内容が分かっている事象Aとよく内容が分からない事象Bがあったとき、事象Aと事象Bを比較し、共通した部分や共通した構造を見つけ、「恐らく事象Bも事象Aと共通した点から考えて同じような内容だろう。」と推測することです。
例 Q 鳥と言えば「鳥の巣」。では犬と言えば? A「犬小屋」 (共通点:住み家)
  Q 人間なら「食べ物」。では車では? A「ガソリン」 (共通点:エネルギー源)
 また、複雑な事象を身近な例え話で説明することも典型的な類推です。「アリとキリギリス」「三匹の仔豚」「あかずきん」など童話による例え話で教訓を説明することで、よりわかりやすく理解が促されます。
 アナロジーというものに対してピンと来ないかもしれませんが、私たちはアナロジーなしには何もできないと言っても過言ではないほど、日常生活の中でアナロジーを多用して生きています。例えば、iphoneしか使ったことない人が、アンドロイドのスマートフォンを全く使えないかと言えばそんなことはありません。同じスマートフォンなので中身が多少違えど、同じような操作方法なのですぐに使えるようになるかと思います。車を運転する時も、自分の車は運転できるけどレンタカーは運転できない、ということもないと思います。同じ車なので多少の違いはあれど運転は恐らくできると思います。(ここでは軽自動車とダンプカーなど極端な例は除きます。)料理をする時も、親子丼は作れるけど野菜炒めは作ったことがないので作れない、ということもないでしょう。それほど難度の高くない料理であれば、今までの料理の経験からアナロジーを活用して同じような難度の料理を作ることは出来ると思います。転職した時に前職の経験を新しい仕事に活かす、というのは典型的なアナロジーになるかと思います。私たちはいつも自らの経験を抽象化して要点だけを抽出するアナロジーという能力を多用しながら、物事を理解し、思考しながら生きています。
 このように「新しい知識と古い知識のネットワークの構成し、整理整頓する。」という思考型のアプローチと「新しい知識と古い知識の共通点や共通の構造の発見を通じて理解を促す。」という類推型のアプローチによって「理解とは何か」を大まかに説明することが出来るかと思います。

記憶について
 認知科学において「記憶」は多くの種類に分類されています。「感覚記憶」「短期記憶」「長期記憶」など記憶の長さによる分類、「手続き記憶」「エピソード記憶」「意味記憶」など記憶の質による分類など、細分化されていますのが、ここでは知識に関する記憶である「意味記憶」と「長期記憶」について、なるべくシンプルに考えます。まずは特徴について大きく3つにまとめます。

(1)記憶の定着は思い出した回数に比例する
 学生時代、テスト前に教科書や参考書を何度も読んだのに、テスト本番の時には全く思い出せなかったという経験や、仕事を覚えられずに上司や先輩に「この間言っただろ!」と言われた経験は多くの人にあるかと思います。これは記憶力が悪いということではありません。(知識の)記憶というのは一度の学習で定着することはなく、何度も「思い出す」ことによって、脳の回路が太くなり、強化され記憶として定着します。テスト前に何度も教科書を読んでも、読むだけでは「思い出していない」ので、記憶として定着することはありません。また仕事でも一度の経験だけで理解し、覚えられることはありません。何度も経験し、自らの中で何度も思い出し、内省を繰り返すことで記憶として定着します。ここでは記憶に必要なのは「思い出す」ということと、「繰り返す」ということと、また「書き出す」ということも重要であることを確認しておきたいと思います。

(2)目的や意味を理解したことは記憶しやすく忘れにくい(精緻化)
 これは文章で説明するよりモデルで説明したほうが感覚的に分かりやすいかもしれません。
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度々の登場となるモデルですが、システム1の情報や知識が整理されていない状態では、知識のつながりが弱いので記憶しようとしても難しく、また覚えたとしても単なる丸暗記になってしまい、すぐに忘れてしまうということは感覚的に理解してもらえるかと思います。システム2の状態では、その事象の目的や意味を理解して情報や知識が強固なネットワークを作り一体化しているので、一つ一つの情報や知識を忘れにくくなります。理解を深めることを精緻化とも言いますが、精緻化を行うことで記憶の定着を行いやすくなります。

(3)一度記憶したことは、後で考えを柔軟に変えることは難しくなる
 第3章でも説明しましたが、何度も繰り返し経験したり思い出したことは、脳の回路が強化されてやがて「ルーチン化された行動プログラム」となり、システム0の無意識下にインストールされます。無意識下にインストールされるまで脳の回路が強化されて、脳に焼き付いてしまうと、なかなかその事象に対する「理解」や「記憶」を変更することは難しくなります。
 システム1による速く硬い思考というのは、記憶の固定と大きく関係していると言えるかと思います。また加齢により「新しいことを覚えられない」「新しいことを覚えようとしない」「今までのやり方に執着する」というのも、同じことを何度も何度も繰り返したことにより、脳の回路が太く強化されて、焼き付いて変更が難しくなった状態だと言えます。




第15章 メタ認知
 上記の思考と学習をよりよく実践するために必要なのが「メタ認知」という能力です。メタ認知とは、自らの状態を客観的にモニタリングして把握する能力で、批判的思考に極めて近い概念であり、批判的思考を詳細に行うことをメタ認知と言えるかと思います。

・システム1の感情的思考や速い思考に流されていないか。
・システム1の自信過剰や自己防衛的な考えに陥っていないか。
・知っていると思い込んで、新しい情報や知識を軽視していないか。
・今までの考えに固執して、新しい考え方を感情的に拒否していないか。
・どこまで知っているべきかを考えているか。全体像と部分を把握しているか。
・どこまで知っているかを理解しているか。
・記憶している、またはすぐに記憶できると思い込んでいないか。
などなど
 
 思考力、知識、理解、記憶というのは一朝一夕に身につくものではなく、静かな環境の中で何度も「思い出す」ことと「繰り返す」ことと「書き出す」ことが最も重要となります。最初は知識と知識の結びつきが弱く「(知識の)点と点」だったものが、やがて何度も繰り返される思考の中で「線のつながり」「面のつながり」「多様な面と面のつながりと重なりと広がり」というように、様々な知識が心の中で結びつき、支え合い、溶け合い、発展していきます。その過程の中で、情報や知識を集める能力、分ける能力、つなげる能力、まとめる能力、広げる能力、メタ認知能力も洗練されていくものだと考えられます。





 ここまで第二部ではシステム2である思考と学習について大まかに検討してきました。簡単にまとめますと、本能や無意識の速い思考に負けない意志力を批判的思考(クリティカルシンキング)といい、細かく、正確に、前提から結論まで順序立てる思考を論理的思考(ロジカルシンキング)といい、大きな全体像を変化を含めて考えることをシステム思考という。そしてこれらの思考の材料であり、ほぼ思考とイコールであるのが学習(知識、理解、記憶)であり、思考と学習に重要なのがメタ認知です。
 私たちは常にシステム1の引力に引っ張られています。地球の引力に引っ張られながら生きていることをほとんど認識することがないように、システム1に引っ張られていることを認識することも、批判的思考とメタ認知を心掛けていないと難しいものです。より良い判断を下すためには人間の心や思考についてある程度理解することと、メタ認知による自らのモニタリングは欠かせないものです。
 しかし、私たちはシステム2だけで生きているロボットではなく、感情を持った人間なので、いつもシステム2を目指さなければいけないということはないと思います。システム1から生まれる豊かな感情こそが人間なのであり、大事なのはシステム1とシステム2のバランスなのではないかと考えています。 
 
 

第三部 発展と応用 ~事象の認識とその複雑性~
 第一部では無意識と感情、第二部では思考と学習について検討しました。ただし、第一部、第二部では説明と理解に必要な最小限の記述しか行っておらず説明が不足している部分がありますので、第三部ではその不足している部分を中心に具体的な検討を行いたいと思います。


第16章 因果と推論

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 この章では第5章のヒューリスティックとバイアス、第8章の批判的思考と第9章の論理的思考と第10章のシステム思考について「因果」と「推論」を基に少し深く検討します。
 因果というのは字面の通り「物事の原因と結果」です。推論とは「既知の事柄を基にして未知の事柄について予想し論じること(wikipediaより)」です。また、結果から原因(現在から過去)を予想することを後向き推論(診断推論)、原因から結果(現在から未来)を予想することを前向き推論(予測推論)と呼びます。私たちはいつも物事の因果関係をこの前向き推論、後向き推論によって考えています。一説によると起きている時間の90%以上、何らかの形で物事の因果関係を考えているとか!? この因果と推論に関して四点ほど記述します。

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(1)原因帰属(外的帰属、内的帰属)
 原因を考えること(後向き推論)を原因帰属ともいい、原因帰属は外的帰属と内的帰属に分類されます。外的帰属というのは、その事象の発生原因をその事象の外的要因によって考えることであり、内的帰属とはその事象の発生原因をその事象の内部にある要因によって考えることです。
 という説明をしてもわかりにくいと思いますので「風が吹けば桶屋が儲かる」という話に置き換えて考えると、桶屋が儲かった原因を「風」にするのが外的帰属であり、「桶屋がいい桶を作っていたから」など桶屋に原因を求めるのが内的帰属です。別の例に置き換えると「知り合いが転ぶ場面を目撃した」という結果に対して、「雨が降っているので床が濡れていて転んだ」とか「あそこは見えにくい段差があるので転んだ」などの原因に結び付けるのが外的帰属で、「あの人はいつもおっちょこちょいだから転んだ」とその人が持つ特性に原因を求めるのが内的帰属です。「ある会社が倒産した」という結果に対して、「不況」や「社会や業界の構造の変化について行けなかった」などの原因に結びつけるのが外的帰属で、「経営者の能力が足りなかった」「社員が頑張っていなかった」などの内部要因に原因を求めるのが内的帰属です。もう一つ例を出すと、プロセス1がスタートでプロセス10が結果としたとき、プロセス10の原因をプロセス1~8に求めるのが外的帰属で、プロセス9に求めるのが内的帰属です。
 第5章で紹介したシステム1のヒューリスティックや、自己中心性バイアスの「根本的な帰属の誤り」により、私たちは「内的帰属」によって物事を判断する傾向を持っています。目に見えないことや目に見えにくいことに思いを馳せて原因を考えるより、目の前にあることや一番目立つことに感情的に原因を結びつけたり、こじつけて辻褄を合わせるほうが楽なので内的帰属で物事を考える傾向を持っています。しかし多くの因果は外的要因と内的要因によって成り立っているということを意識して、両方について考えるようにすることが重要です。

(2)一つの結果は複数の要因によってもたらされる
 一つの結果が単一の原因だけによって起こるということはありません。モデル図のように複数の要因が集まって一つの結果をもたらします。例えば飛行機の墜落事故があったとして、墜落の原因を「エンジンが止まったから」という理由だけで片付けるのがおかしいのは言うまでも無いでしょう。
 なぜエンジンが止まったのか、設計に問題があったのか、製造に問題があったのか、整備に問題があったのか・・・重要なのはその理由を深く追及することであることは明らかです。東日本大震災福島第一原発の事故の原因を「地震が発生したから」という一つの原因だけで納得できる人はいないと思います。学会による地震の規模に対する予測の難しさ、予備電源の設置に関するプラント設計の問題、東京電力の安全対策への意識や、政府の原子力行政の不備など、様々な点に原因は及ぶと考えられます。
 しかし、システム1のヒューリスティック、バイアスにより私たちは外的要因を考えるときも、一番目立つ単一の原因に感情的に決め付けてしまう傾向を持っています。一つの結果は複数の外的要因、内的要因によってもたらされるということを常に意識して考える癖をつけることは極めて重要です。

(3)原因は特定できないことも多く、単なる偶然としか言えないことも多い
 この世界は様々な因果が複雑に絡み合って成立しています。原因の原因の原因の原因・・・となぜなぜ分析を繰り返し、原因を深く考えてもそれが本当の原因なのかは特定できないことが多々あります。身近なことであれば原因を明確に特定できることも多いかもしれませんが、規模の大きな事象や、時間軸が長い事象や、とても細かい事象などは、本当の原因がわからないことは多くなるかと思います。経済などはその傾向が顕著で、例えば「この経済政策のおかげで景気が上向きました。」と政治家が自画自賛していたとしても、景気が上向いたのがその政策のおかげということは誰も証明できません。その政治家の希望的観測によるただの思い込みかもしれません。
 (2)で書きましたが、一つの結果は複数の要因よってもたらされるということも含めると、真の原因が何であるかわからないということは多々あります。「これが原因だ!」と確信しても、実はそれは「たまたま偶然起こった」ということはよくあることであり、「せいぜい推測でしかないけどこれが原因かもしれないな。」という程度の推論しか出来ないことも多くあるということに留意が必要です。

(4)明確な因果関係を求める本能
 第4章のモデル図で示しましたが、人間には物事に対して「明確な因果関係を拙速に求める本能に近い習性(参考文献参照)」をシステム1にインストールされていて、すぐに白黒をつけたがる傾向を持っています。明確に速く、原因と結果を知りたいというのは抑えきれない本能に近いものではありますが、先述の(2)(3)で書いたように一つの結果は複数の原因によってもたらされ、また様々な因果が複雑に絡み合っているこの世界では原因を明確に特定できないことや、単なる偶然ということもよくあります。拙速に白黒をつけたがる傾向に待ったをかけて、「原因は特定できず、推測でしかない」「単なる偶然である可能性」という白黒つけられない灰色の不明瞭で不安定な状態を受け入れて保留するというのもシステム2による思考にとって重要な姿勢だと思います。
 そもそも私たちは神様でもなんでもないので、全ての情報を手に入れることなど不可能です。「情報が不足している可能性が高いが、全ての情報を手に入れることもまた出来ない」という不安定な状態を受け入れる考え方である「不可知の知」も、無知の知と同じように、そして同じぐらい、重要な考え方だと思います。「知らない」「わからない」「たまたま」という言葉からマイナスのイメージを感じるかもしれませんが、あるがままの状態を受け入れるというのもまた必要です。
 過去のことさえよくわからないことが多いのに、未来がわからないことだらけなのは言うまでも無いことかもしれません。





第17章 蓋然性と灰色の世界 ~ヒューリスティックの根幹~
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 上記の図をパッと見たときに①~③のどの答えを選択するでしょうか。答えは見てみないとわからない以上、③を選択するのが正しい答えと言えるかと思います。しかし、選択肢が①と②だけの場合ならどうでしょうか。恐らく①を選択する人が多いかと思います。真っ直ぐの方が自然な感じがしますし、曲がっている必然性があまり感じられません。実際、日常生活で上記のようなものを見たときも、真っ直ぐになっていることが多いかと思います。
 私たちの脳のシステム1は、基本的には蓋然的(もっともらしい)な推論を選択する傾向があります。日常生活の中で上記のような問題に出会ったときに、③の「見てみないとわからない」という答えを常に選択していたのでは、ありとあらゆることに困難が生じると考えられます。

・食べ物に毒が入っているかもわからない。(気にしすぎである。)
・道路に地雷が埋められているかもしれない。(心配しすぎである。)
・恋人が実はロボットで、悪の組織の構成員かもしれない。(そうじゃない可能性のほうが高そう。)
・地球が丸いかは直接見てみないとわからない。(科学的な証拠を信じたほうが正しそう。)
・この世界が本当に存在しているかわからない。(とりあえず存在していると仮定しよう!)

このような判断をいつも下していたのでは生きていくことは出来ませんので、私たちは常に真偽はとりあえず棚に上げて、ほぼ無意識で、超高速で、数少ない事実を手掛かりに足りない情報を想像で補いながら、その時々の様々な蓋然的な(もっともらしい)推論を選択しながら生きています。
 しかし、ほぼ無意識で、超高速で蓋然的な推論を選択しているので、ここでヒューリスティックやバイアスによるエラーが入り込みます。むしろ、この無意識かつ超高速での蓋然的な推論の選択こそが、ヒューリスティックというものの根幹です。
 自分が蓋然的だと考え意思決定をして、その根拠をいくつか集めて、「この意思決定に間違いは無いだろう」と思っていても、それが確証バイアスに過ぎず、外部から見るとただのつじつま合わせにしか見えないということはよくあります。蓋然性とは、本人の主観で数少ない事実を組み合わせて、足りない情報を想像で補いながら、もっともらしさを作り出すということに過ぎません。かと言って、常に確証を求めていては、上記の例のようにまともに生きていくことも出来ません。また、人それぞれ選択する蓋然性は違いますので、考えの相違による争いが起こることもよくあります。
 哲学者のニーチェは「事実など存在しない。あるのは解釈だけだ。」という言葉を残しました。私たちは白も黒も無い灰色の世界を生きています。絶対に正しい答えが存在することは少なく、多くの場合、灰色の決断に蓋然性を求めながら生きています。その蓋然性は正しいかどうかわからず、確認さえ出来ないことが多くあります。私たちは確認することが出来ない多くのことを想像によって補いながら、灰色の世界の中で、灰色の決断しながら生きているということを心に留め、なるべく白か黒か拙速に決断することないよう心掛けることで、よりよい意思決定を行えるようになるのではないかと思います。




第18章 事象の認識と問題の発見
 第10章の非論理的思考の続きとして、 思弁的で抽象的な思考実験のような話になりますが、事象の認識の複雑性について考えます。
 
 「A→B」という因果関係の事象があるとします。この事象を心の中で思い起こす時、心はどのような働きをするでしょうか。「「A→B」を思い起こすなんてそんなこと簡単だ!」と思われるかもしれませんが、案外難しいものかもしれません。

・A   (Aしか思い浮かばない)
・B   (Bしか思い浮かばない)
・A B (AとBが思う浮かんだが、つながりが思い浮かばない)
・A→B (正解 正しい因果関係が思い浮かぶ)
・B→A (因果関係を逆にしてしまった)
・    (そもそも何も思い浮かばなかった)

「A→B」という極めて単純な因果関係を思い浮かべようとしたときでさえ、考えられるパターンは上記の6個になるかと思います。A、B以外を思い浮かべてしまうパターンも含めるともっと多くなります。


 ではA→B→Cという因果関係ではどうでしょうか。

・A   (Aしか思い浮かばない)
・B   (Bしか思い浮かばない)
・C   (Cしか思い浮かばない)
・A B (AとBしか思い浮かばない上につながりが思い浮かばない)
・A C (AとCしか思い浮かばない上につながりが思い浮かばない)
・B C (BとCしか思い浮かばない上につながりが思い浮かばない)
・A→C (AとCが思い浮かび、因果関係も正しいがBが無い)
・C→A→B(ABCが思い浮かんだが、因果関係が間違っている)
・以下省略・・・

 ここで確認しておきたいのは、A→B、またはA→B→Cという極めて単純な因果関係ですら、考えようによっては正確に心の中で思い起こすことは難しいということです。人は、自分が知っていることと思い浮かぶこと(利用可能性ヒューリスティック)だけが、この世界の全てとつい思い込んでしまう「無知の無知」というバイアスが掛かっているので、断片的な発想で作り上げた不完全なモデルでも正しいと勘違いしてしまうことがよくあります。
 ここではA→B、またはA→B→Cというわかりやすいモデルで表現しましたが、現実社会での問題はこのようにわかりやすくはありません。「「A~Z」の26個の中から複数の正しい選択肢を選び出して、正しく因果関係を作りなさい。ただし、何が正しいかは各々の判断に委ねる。また「A~Z」以外にも、各々が正しいと思えば数字でもひらがなでも選んでかまわない。」という感じの、問題も回答も一体何が正解なのか全くわからないということが数多くあります。
 与えられた問題を解く能力も問題解決能力であることは間違いありませんが、「問題が何なのか」「問題が本当に存在しているのか」「問題の範囲はどこまでなのか」「問題に対する前提は正しいのか」など、「問題を発見して、定義する能力」がさらに一歩踏み込んだ本当の問題解決能力なのだろうと思います。





第19章 システム思考 その2 ~「おにぎり」をテーマにシステム思考を考える~
 この章ではシステム思考とは何かを日本人のソウルフードであるおにぎりをテーマにして考えてみます。
 おにぎりというシンプルな食品と言えど、考えようと思えばいくらでも考えることが出来ます。「おにぎりとは何か」の全体像を思いつく限りフィッシュボーンチャートで書き出しました。
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 ここでのポイントはおにぎりを考えるときに、おにぎりの前の段階の「苗」から、後の段階の「食べる」まで書き出している点です。システム思考のポイントは、そのテーマだけを考えるのではなく、そのテーマを取り囲む周辺まで一緒に考える全体論的な視点です。この世界の全てのものは、何か別のものとの関係があって存在しています。おにぎりもいきなり空間にポンッと完成形として現れるわけではなく、複数のプロセスを経ておにぎりとなります。そう考えると「苗」の段階から考え始めたほうがより深くおにぎりについて考えられますし、おにぎりの目的は食べるためにあるのだと考えると、「食べる」シーンまで考えないと、おにぎりについて深く考えたとは言えないのではないでしょうか。とは言え、おにぎりを考えるときに「ビッグバンによる宇宙開闢と物質の誕生から、ビッグクランチによる宇宙の終焉まで」を考えていたのではキリがなく、単なる頭のおかしい人なので、おにぎりとは何かの範囲は自分で設定する必要があります。
 





第20章 システム思考 その3 ~近代化とアトミズム、少子高齢化をシステム思考で考える~
超大作につき執筆中・・・ 



第四部  その他色々



第21章 前頭葉
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 この章では脳の前方に位置する前頭葉前頭前野)の概要について検討したいと思います。二重過程モデルのシステム2についての、さらに詳細な説明となります。
 前頭葉はシステム2の最高意思決定機関であり、システム0、システム1から発生する思考を統率する脳の中央指令部です。オーケストラの指揮者、大統領、社長などのアナロジーでよく例えられます。
 
・オーケストラの指揮者(前頭葉、システム2)と演奏者達(システム0、1)
・大統領(前頭葉、システム2)と行政機関の一般職員(システム0、1)
・会社の社長、取締役会(前頭葉、システム2)と社員(システム0、1)

 前頭葉は20世紀の中盤~後半までは沈黙の脳とも呼ばれ、機能がいまいち不明でした。と言うのも、前頭葉を損傷したり手術で切除しても、一定の認知機能は保たれ、話したり、記憶したり、計算したり、認識したりすることは可能なので、前頭葉が持つ機能が何なのか正確には特定されていませんでした。(精神疾患を治療するという名目で、機能がよくわからない前頭葉をとりあえず切除してみようというロボトミー手術が20世紀の中盤まで世界中で行われていました。)
 その後、前頭葉が持つ複雑な機能が解明されました。上記のモデル図を見てのとおり、前頭葉は複数の機能を同時にこなしています。「全体像を想像し、目標を立て、計画に沿って認知技能を調整しながら実行し、その後検証する。」というのがメインの機能であり、同時に、短期の記憶、知識のサーチエンジン、意欲、メタ認知、感情の制御、社会的成熟性なども担っています。
 オーケストラに指揮者がいなくても、それぞれの楽器の演奏者は音を出すことが出来ます。大統領がいなくても、一般職員は自らの仕事を行うことは可能です。社長がいなくても、社員は仕事を行うことは可能です。しかし、オーケストラに指揮者がいなければ、統率が取れた演奏を行うことはまず出来ません。大統領や社長がいなければ、短期的には問題は無くても、中長期的には組織が目指す目標や方向が定まらず、やがて組織はバラバラになってしまう可能性が高いでしょう。
 同じように前頭葉が損傷していたり、機能が弱いと、話したり、記憶したり、計算したり、認識するという認知機能をある程度保ちつつも、「全体像を想像し、目標と計画を立てて、実行し、検証する。」という一連のプロセスをスムーズに行うことが出来ずに、システム0、1から上がってくる衝動を、思いつきや気まぐれのままに、協調性もないままに、順不同で、支離滅裂に行ってしまうことになります。
 前頭葉を損傷した人物の具体例として、1800年代のアメリカ人でフィニアス・ゲージという人物を紹介します。ゲージは鉄道工事の現場監督として、現場の気性の荒い作業者を束ねる非常に人望のある人物でした。人柄、責任感、協調性、計画力、実行力、など申し分の無い人物でしたが、ある日、工事中の爆発事故で、鉄の棒が左目から前頭葉を貫通する怪我を負ってしまいました。一命は取り留めたものの、その後のゲージは性格が大きく変わってしまい、移り気で、行き当たりばったりに行動し、感情の起伏が激しく、協調性も無く、下品な悪態をつく人物になってしまったそうです。また、ゲージが自分の性格が変わってしまったことを認識(メタ認知)している様子が全く無かったという点も、注目すべき重要な点かと思います。
 文献ではゲージの例以外にも、前頭葉の脳内出血により行動意欲が大幅に低下して、法律の知識は失っていないのに仕事を行えなくなった弁護士や、普通に会話は出来るのに、順序立てて行動を行うことが全く出来なくなった人物など、様々な症状が紹介されています。これらの例から、前頭葉は実行機能、感情の抑制、社会的協調性など、複数の機能を同時に担う非常に高度で複雑な領域であることがわかります。
 人類の進化という側面からみると、前頭葉は脳の中で一番最後に進化、発達した領域です。また、一人の人間の成長という観点から見ても、前頭葉は最も成長が遅く、20代前半でようやく成長が終了すると言われています。進化や成長が遅いということは、逆に退化が早いということでもあり、40代から前頭葉が萎縮していくと言われています。高齢者が感情的になるのも、前頭葉の萎縮に関係して、感情の制御能力が落ちていると推測されます。また、アルコールの影響により、一番最初に機能が落ちるのも前頭葉です。
 このように前頭葉は非常に複雑な機能を担う領域であり、また加齢や飲酒や薬物の影響を受けやすく脆い領域でもあります。しかし、人間の脳の可塑性(柔軟性)は非常に高いので、30代40代50代になっても読書をしたり、ものをしっかりと考えることで、前頭葉の機能を維持し、成長させ高めていくことも可能です。私たちの意思決定は前頭葉が担っているということを認識し、なるべく機能が落ちないように心がけて行きたいものです。





第22章 発達障害自閉症スペクトラム ~中枢性統合の脆弱性
 この章では近年、テレビやネットでも話題に上がることが多い発達障害について考えたいと思います。詳細は専門書などに譲り、概略だけ書きます。
 発達障害も様々なタイプがありますが、前章でも紹介した前頭葉の機能不全と関連していると考えられています。ADHD(注意欠陥、多動性障害)、アスペルガー症候群学習障害などを一括りとして自閉症スペクトラムと呼ばれています。その下記の三つが中核的症状かと思います。

(1)社会性の障害(人の心を想像できない、内省やメタ認知脆弱性
(2)限定された興味、強いこだわり(世界観が限定されている)
(3)想像力の欠如、全体像を考えられない(中枢性統合の脆弱性≒システム思考の脆弱性

 発達障害の解釈にもいろいろあり、一義的に解釈するのは難しいかもしれませんが

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上記のモデルで「著しく、かつ常時システム1の左側付近にいる人を発達障害」というのだろうなと思います。前頭葉の機能不全により、システム1の衝動をシステム2によって制御することが出来ない、即ち批判的思考や感情の制御が出来ない。興味が限定されていたり、視野が狭くて全体像を考えることが出来ない、即ちシステム思考が出来ない。自分の考えに固執して、周囲の環境に合わせて考えを変えることが出来ない。このような人を発達障害と呼ぶのだろうと考えています。
 しかし、これは程度の問題であって、僕を含め多くの人はモデルの左側に寄っていると考えると、全ての人間が程度の差はあれ発達障碍者と言えるのではないだろうかと考えられます。また常にシステム2であろうとするのも何か人間として不自然な感じがしなくはないような気がします。過去現在の多くの科学者が発達障害の傾向があったとも言われていて、発達障碍者の限定された興味や、強いこだわりが特定の分野に生かされると大きな業績が生まれることがあるとも言われています。また人間に備わっているシステム1由来の「根拠なき熱い情熱」こそが社会を牽引する大きな原動力になり、今日まで社会発展させてきたとも言えます。
 最近、発達障害のメディアの登場が増えていますが、発達障害というのは必ずしも悪い側面だけではなく、良い側面も併せ持っているという認識を持つことは重要だなと考えています。また同時に全ての人はある意味では発達障碍者なのだと解釈したならば、発達障害の傾向が強い人に対しても「お互い様」と思い接することが出来るかもしれないなと考えます。
 



第23章 自己中心性と認知的不協和
 この章では第5章で記述した自己中心性について検討します。
  私たちのシステム1に埋め込まれているバイアスの中でもとくに強力なのが、自己中心性だと考えています。ちなみに仏教の唯識派では末那識と呼ばれていて、無意識下で絶え間なく自己に執着する習性という感じでしょうか。

・自分はこんなに頑張ったから悪くない。
・自分は悪くない。相手が悪い。環境が悪い。
・自分は被害者で、相手が加害者だ。
・自分は悪くないので、相手が責めを負って当然だ。
・自分はよく知っているので間違いない。
・自分の記憶は間違っていない。
・自分のほうが相手より能力で上回っている。(マウンティングの本能)
・自分のほうが相手より上なので悪いのは相手だ。
・自分は・・・
・自分は・・・

 私たちは無意識下に強い自己中心性を持っていて「まあまあ優れた自分」というイメージを持っています。(全ての人がそうだというわけではなく、あくまで一般論として人はそのような傾向性を持っているという意味です。)その素敵な自分というアイデンティティを侵害されそうになったときに、自己防衛本能が働き、人はアイデンティティを必死で守ろうとすることがあります。アイデンティティを守るためならどんなにおかしな理屈でも作り出して、辻褄を合わせて自らを正当化し、自らに都合の悪いことを正当化するためなら記憶の改竄も無意識で行い、自分は悪くないという根拠としてしまうこともあります。また、自らのアイデンティティを守るため自己正当化を行って、何かしらの矛盾が発生した場合は、その矛盾を解消するための矛先が理不尽に相手や他人に向かうこともよくあります。
 これは認知的不協和と呼ばれていて、人間の根源的習性の一つと考えられます。認知的不協和の具体例は参考文献に譲りますが、認知的不協和の説明の引き合いによく出される具体例を下記にて記載します。

・イソップ寓話の酸っぱい葡萄
・社会心理学者レオン・フェスティンガーの「予言が外れるとき」
など

 この世界を主観的に自己中心の視点で見て、自己のイメージを守ろうとし、おかしな理屈を作り出し、何とか整合性を作ろうとしてもがき苦しむ。相手に罪や責任を押し付けて自らを守ろうとする。絶え間なく自己に執着し擁護しようとする無意識によって、人はますます居心地の悪い非論理的なロジックで構成された小さな箱の中へ自らを閉じ込てしまう。結局、自らを苦しめているのは自らであるということも多いのかもしれません。もちろん私自身も認知的不協和を克服できているわけもなく、上記の人間像に大いに当てはまっています!
 この盲目的に自己に執着する習性というのは本能に近いところに埋め込まれているので、克服することは容易ではありませんし、克服など不可能かもしれませんが、私たちはこのような習性を持っていることを認識し、メタ認知によってこの習性をコントロールしながらうまく付き合っていくことは重要なのだろうと考えています。
 




第24章 システム3とシステム0以前 ~仏教、マインドフルネス、進化心理学

仏教 ~システム3~
 ここまでの文章の中で少しだけ仏教に触れてきましたが、私が認知科学を学んできて思ったのが、システム2の批判的思考やメタ認知やシステム思考を、突き詰めて純粋な結晶まで精錬させていくと、最後は仏教になるのではないかということです。この世界の大きな因果と小さな因果の組み合わせをシステム思考によって出来るかぎり理解して、自らのシステム1によるヒューリスティックやバイアスも出来るかぎりメタ認知し、自らがこの世界の一部であるということを客観視し、この世界と一体化することが仏教の方向性なのかなと思っています。仏教とは、システム2を超えたところにある「悟り」と呼ばれるシステム3とも言える状態を目指すものだとなんとなく思っています。私も仏教は勉強中でこの解釈が正しいかどうかわかりませんが、大きな方向性で見ればそういう感じかなと思います。

マインドフルネス(瞑想)
 仏教の開祖ブッダ菩提樹の下で何日も瞑想し、悟りを開いたとされています。その悟りがどのようなものなのかは様々な解釈があり、よくわかりませんが、マインドフルネス(瞑想)とメタ認知が関係していることは確かかと考えられます。
 私たちの脳は常に活動しています。私たちが何も考えないようにしていても、いつも頭の中に様々な考えが浮かんでは消え、消えては浮かんできます。ふとした時に昔の恥ずかしい体験を思い出していたたまれない気持ちになったり、嫌いな人間をやり込める想像をして憂さ晴らしをしたり、日曜の午後になると翌週の仕事のことをついつい考えて憂鬱になったり、お腹が空いたときは自然と牛丼のことを考えたり、牛丼の流れからキン肉マンのことを考え始めたり、キン肉マンの流れからラーメンマンのことを考えたり、その流れからそういえば新しいラーメン屋が出来ていたなと考えたり・・・。これはデフォルトモードネットワークと呼ばれていて、脳は機能を停止しないように、常に何かぼんやりと考えが浮かぶようにできているようです。
 近年よく耳にするようになったマインドフルネスとは、何か一点に集中することにより(例えば自分の呼吸など)、デフォルトモードネットワークのぼんやりと何か考え事をしている状態から、脳を明晰(マインドフル)にし、メタ認知能力を高める作用があるそうです。仏教の修行者のように毎日毎日何時間も瞑想することは出来ませんが、毎日10分~15分行うだけでも大きな効果があるようです。瞑想というと東洋の神秘のようなスピリチュアルというか、下手すればオカルトのようなイメージを持たれかねませんが、近年では多くの認知科学者もその効果を認めていて、グーグルなどの大企業もマインドフルネスを取り入れているという話はよく聞きます。
 ブッダや仏教の修行僧のような強力なメタ認知能力を手に入れずとも、マインドフルネスによって集中力が高まり、意識が明晰になり、日々の生活の中で様々な「気づき」が増えてくると、日々の生活で見える風景も変わってくるものなのかもしれないなと思います。しかし、科学者が重要なことを思い付く時はデフォルトモードネットワークの時が多いと言われているように、デフォルトモードネットワークは決して悪い状態というわけではありません。重要なのはマインドフルな明晰な状態と、デフォルトモードネットワークのぼんやりとした状態のバランスだと思います。ぼんやりとした状態で思考を思い切り深めて、脳が明晰な状態でそれを発揮する。明晰とぼんやりを上手に行き来するメリハリこそが重要なんだろうなと考えています。

進化心理学 ~システム0以前~
 私たちのシステム1はなぜとても速く決断を下すのか。システム0による本能や無意識にインストールされている行動プログラムは、なぜそのように行動するようにプログラミングされているのかなど、いわば、システム0以前を考えて、システム0、システム1がどのようにして成り立ったのかを考えるのが、進化心理学という学問です。
 私たちの祖先は数百万年前のアフリカ大陸からずっと進化を続けてきて20万年ほど前に「ホモ・サピエンス」となりました。数百万年間、猛獣たちがうごめく弱肉強食の荒野で生き残るのに一番必要だったのは何より「速さ」です。危険を察知したら、何も考えずにすぐに決断して逃げ出す速さこそが、その個体の生存可能性を高める最大の能力となりました。ゆえに私たちにはとても速く決断を下す傾向を、システム0、システム1にインストールされていると言われています。
 私たちのシステム0、システム1はその数百万年前から今日までの間に蓄積された、生物としての行動プログラムを埋め込まれています。ヒューリスティックによる思考の速さやバイアスによる思考の偏りの裏側には、このような数百万年の蓄積という壮大なロマンが隠されている。そういう大きな視点で考えると、この世界の大きな因果の中にいるということを感じます。そして、完全とはとても言えないにしても、かなり正確にこの138億±2000万年前の宇宙誕生から今日までの物語を解明した人類の偉業に、驚きと敬意を持たずにはいられません。



第25章 読書とリベラルアーツ(教養)
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 一人の人間が生きられる時間は短く、一生で行ける空間の広さもそれほど広くありません。私の場合20世紀後半から21世紀中盤までの恐らく70~80年を、地球の日本という限られた空間を主として生きていくと思います。
 しかし、本には一人の人間が千年、一万年生きても考え付かないことや経験できないことがたくさん書いてあります。普通に生きていたら絶対に知ることができない世界のことを、時空を大きく超えて、短時間で仮想的に追体験することが出来ます。色んなジャンルの本をたくさん読めば知識が蓄積されていきます。初めは「点」の知識として脳内で知識と知識のつながりが薄いかもしれませんが、読めば読むほど知識と知識がリンクしはじめ、やがてそれは「線」の知識となり、そして「面」の知識となり、最後は「面の集合体」の知識となります。面の集合体となった知識のネットワークから多様な思考を生み出すことが可能になります。
 近年はインターネットの普及により、スマートフォン等で極めて多くの情報を高速で反射的に処理することが多くなっています。その影響により、世界的傾向として人は断片的かつ表面的に高速で情報を処理し、脳が深くものを考えることが出来なくなりつつある、との調査結果なども聞きます。正にシステム1だけの思考と情報処理により、システム2が使われぬまま錆び付いていっているのかもしれません。これからAIの登場や少子高齢化など予測不可能に大きく変化していくであろう世の中だからこそ、読書による知識の蓄積と思考力の研鑽が重要になっていくのではないでしょうか。

リベラルアーツ(教養)について
 リベラルアーツとは自由を獲得するための知識(教養)を増やす活動です。リベラルアーツのリベラルとは「自由」という意味で、その源流は古代ギリシアまでさかのぼります。
 古代ギリシアには、「自由市民」と「奴隷」の二つの身分があり、自由市民として生きていくためには知識を身につけていなければなりませんでした。なぜなら知識が無ければ人に利用されるだけの奴隷として生きていくしかなかったからです。自由に生きていくためには知識を身につけなければいけないという考え方、概念がリベラルアーツです。後に「文法」「修辞学」「論理学」の三学と、数学に関わる「算数」「幾何」「天文」「音楽」の四学で構成される「自由七科」として古代ローマに体系化されました。
 人は知識を得ると知識を得た分だけ自由になれると思います。例えば文字を覚えればありとあらゆる場面で役に立ちます。何が書いてあるかわからないという不自由から解放されます。パソコンの便利な機能を一つ覚えるとそれを知らなかった今までの不自由で非効率な状態から一つだけ解放されます。車の運転の知識を得て免許を取ればその分だけ行動の自由が増えます。徒歩や公共交通機関だけしか使えないという不自由な状態から解放されます。知識を積み重ねることで様々な不自由から解放されていきます。リベラルアーツとは知識を積み重ね、思考の自由を得ることで硬直した不自由な価値観からの解放を目指す活動と言えるでしょう。
 例えば、「ミランコビッチ・サイクル」を例にリベラルアーツについて考えてみます。ミランコビッチサイクルとは地球の公転軌道と自転のブレ(歳差運動)によって、太陽からの光量が変化して地球への日射量や気温が数万年~十万年単位で変化することを示した理論です。地球は太陽の周りを回っていますが、その軌道は真円ではなく楕円軌道であり、約十万年のサイクルで太陽に近づいたり遠ざかったりしています。また地球はコマのように自転していて、二万五千八百年周期でコマのように首ふり運動を行っています。この公転と自転のブレに影響されて地球の気温や環境は数万年~十万年サイクルで大きく変化しています。
 地球温暖化という問題を考えるときでも、多角的に物事を考えることが出来ないと、その原因を「人間の活動による温室効果ガスが問題だ!」というシステム1で作られた一つの視点だけで結論を出してしまうかもしれませんが、ミランコビッチサイクルを知っていると「確かに人間の活動による温室効果ガスは大きな原因だろうが、地球の公転軌道の変化や歳差運動の影響も考慮に入れなければいけないかもしれないし、すぐに断定は出来ないな。太陽の活動量の変化の影響とかもあるかもしれないし。」とシステム2を用いて、多角的に灰色の仮説を何個も組み立てることが出来るかもしれません。
 リベラルアーツとは様々な教養を身につけて、アナロジーを用いて多角的に物事を検討し、解決方法を見出す能力を磨くことです。ミランコビッチサイクルの話を聞いて「だから何だ。そんなの自分の生活に関係ない。」と思えば世界は広がることはありませんが、「へえ~!」と感心して興味を持てば、また別の機会にミランコビッチサイクルのアナロジーを用いて、何かの問題解決に役に立つことがあるかと思います。世界に対して心を開いて「へえ~」と思うことを増やすことはとても重要だなと考えます。

山口周「独学の技法」より引用

 テクノロジーはどうしても必然的に専門家を要請します。(中略)もし教養という概念を科学的知識のスペシャリゼーションというものと対立的に考えれば勝負は見えていると思う。それは教養側の敗北でしかない。しかし、教養というものは、専門領域の間を動くときに、つまり境界をクロスオーバーするときに、自由で柔軟な運動、精神の運動を可能にします。専門化が進めば進むほど、専門の境界を越えて動くことが出来る精神への能力が必要になってくる。その能力を与える唯一のものが、教養なのです。だからこそ科学的知識と技術・教育が進めば進むほど教養が必要になってくるのです。    

加藤周一「教養の再生のために」



第26章 まとめ
 ここまで長々と記述してきましたので、最後は単純に箇条書きによって要点をまとめます。

・「無知の知」 自らが何も知らない、深く考えていない、ということに気付くのはとても難しいが、自らが無知であると気付くことは重要である。

・「批判的思考(クリティカルシンキング)」 システム1の引力に負けることなく、考えようとする意思力は重要である。

・「論理的思考(ロジカルシンキング)」 考えるという行為の核心を構成するのは
①「知識と発想力」
②「帰納法、抽象化、まとめる」
③「演繹法、具体化、つなげる、順序立てる」
である。

・「知的好奇心」 知識をたくさん集めて、思考力を磨き、この世界を楽しもう。



第27章 参考文献
 私がこの記事を書くにあたって参考にした本のなかで、特に印象に残った本を下記にて紹介します。

認知科学の総論

心と脳――認知科学入門 (岩波新書)

心と脳――認知科学入門 (岩波新書)

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

  • 作者:小坂井 敏晶
  • 発売日: 2013/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

システム0

システム1

意思決定の心理学 脳とこころの傾向と対策 (講談社選書メチエ)

意思決定の心理学 脳とこころの傾向と対策 (講談社選書メチエ)

  • 作者:阿部 修士
  • 発売日: 2017/01/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
知ってるつもり――無知の科学

知ってるつもり――無知の科学

批判的思考(クリティカルシンキング

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法

クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法


論理的思考(ロジカルシンキング)とアウトプット

アブダクション―仮説と発見の論理

アブダクション―仮説と発見の論理

具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ

具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ

  • 作者:細谷 功
  • 発売日: 2014/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

  • 作者:赤羽 雄二
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
[カラー改訂版]頭がよくなる「図解思考」の技術

[カラー改訂版]頭がよくなる「図解思考」の技術

  • 作者:永田 豊志
  • 発売日: 2014/01/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
入門 考える技術・書く技術――日本人のロジカルシンキング実践法

入門 考える技術・書く技術――日本人のロジカルシンキング実践法

  • 作者:山崎 康司
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
グロービスMBAキーワード 図解 基本フレームワーク50

グロービスMBAキーワード 図解 基本フレームワーク50

  • 作者:グロービス
  • 発売日: 2015/11/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

システム思考

システム・シンキング入門 (日経文庫)

システム・シンキング入門 (日経文庫)

学習

メタ認知で〈学ぶ力〉を高める: 認知心理学が解き明かす効果的学習法

メタ認知で〈学ぶ力〉を高める: 認知心理学が解き明かす効果的学習法

  • 作者:三宮 真智子
  • 発売日: 2018/09/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

システム2の中心を構成する 脳の前頭葉

因果と推論

原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ

原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ

  • 作者:久米 郁男
  • 発売日: 2013/11/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

発達障害

新訂 自閉症の謎を解き明かす

新訂 自閉症の謎を解き明かす

自己中心性

仏教、マインドフルネス、進化心理学

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

ブッタとシッタカブッタ 1こたえはボクにある

ブッタとシッタカブッタ 1こたえはボクにある

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

読書

知的戦闘力を高める 独学の技法

知的戦闘力を高める 独学の技法

  • 作者:山口 周
  • 発売日: 2017/11/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)