蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。内容は個人的見解です。email:arinkoblog@gmail.com

人はわざわざシステム思考を身に付けようと思うだろうか?



「システム思考」とは(AI による概要)
システム思考とは、複雑な問題を解決するために、物事を要素の集まりとしてではなく、全体像を把握し、要素間の相互関係や因果関係を理解する思考法です。
システム思考は、問題の表面的な部分だけでなく、その背後にある構造やシステム全体を理解することで、より効果的な解決策を見つけることを目指します。

システム思考の主な特徴:全体像の把握:個々の要素だけでなく、システム全体の構造や相互関係を理解します。
因果関係の理解:原因と結果の関係を把握し、問題の根本原因を探ります。
相互関係の認識:各要素が互いにどのように影響し合っているかを理解します。
フィードバックループの理解:システム内のフィードバックループを把握し、その影響を予測します。
レバレッジポイントの発見:システム全体に大きな影響を与える可能性のあるポイントを見つけ、そこに焦点を当てます。



人はわざわざシステム思考を身に付けようと思うだろうか?

このブログでは「システム思考」をひとつのテーマにしている。そもそも人は、わざわざシステム思考を身につけようと思うだろうか、と考えるようになった。この問いを考えるたびに、システム思考の祖ブッダも、行動経済学の大家でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンも、日本の認知科学の重鎮の先生も、その点については否定的な見解だったことを思い出す。人間は無意識のうちに複雑な因果関係を単純化し、目の前の現象のことしか考えない。だが、それが普通なのではないだろうか。

考えてみれば、わざわざ物事の原因や結果を遠くまでさかのぼって考えることほど面倒でエネルギーを消費する行為はない。私たちの脳は、効率的に生存するために進化してきた。そのため、無駄な思考を避け、最短距離で答えにたどり着くことを本能的に好む。毎日特に大きな問題なく、平穏に生きていられるのなら、わざわざ脳に負荷をかけ、はるかなる過去や未来へ思いを馳せて、世界の複雑な因果関係を考える必要もないだろう。

たとえば、朝起きて会社に行き、仕事を終えて帰宅する。この日々のルーティンの中で、自分がなぜこの仕事を選び、この生活を送っているのか、その背後にある社会構造や個人的な選択の連鎖を深く掘り下げる人は少ない。それよりも、今日の夕食の献立や、週末の予定や、好きな漫画やテレビ、Youtubeinstagramのことを考える方が、はるかに現実的で、脳にとっても楽なことだ。システム思考は、いわば「脳の筋力トレーニング」のようなものだ。しかし、日常生活で特に必要性を感じなければ、わざわざその筋肉を鍛えようとは誰も思わない。むしろ、現状を維持し、安定した状態を保つことこそが、多くの人にとっての目指す状態ではないだろうか。

会社でもよほど大きな問題がない限り、わざわざ今の業務を効率化しようとは思わないものだ。周囲の人間と軋轢を引き起こしてまで業務効率化を進めて、一体何の意味があるのだろうか。まして、それを人に勧めてどうなるというのだろうか。ことと次第によっては、単なる「ロジハラ」となってしまい、相手が作り上げてきた世界観を否定するだけになってしまうのではないのか。

最近ではAIの台頭などもあり、論理的思考やシステム思考を駆使して、わざわざ脳を酷使する必要もない時代なのかもしれないなと、少し寂しいがそう思うようになった。

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