明けましておめでとうございます。今年も俺の意見に少しでも興味を持ってお付き合いいただけたらと思います。
社会にほんの少しでも、問題提起を出来たらと年末にブログを始めましたが、日常で文章を書くことがあまり無いので思考を文章でアウトプットすることの難しさを痛感し誰よりも、俺自身が思考停止している現状ですw
しかし、思考停止したままブログを更新せずにいたらそのままブログからフェードアウトしてしまいそうなので最低、週に1回は日記でも何でも書きつづけようと決意しました。
さて、今回のテーマ「金はたくさんあればいい」
俺は拝金主義者ではないと自分では思っているがそれでも金はたくさんあればいいと考える単純な俗物です。
先日、近所の僧侶と酔っ払って討論した時の出来事。
俺「金はたくさんあればいい。」
僧侶「金より大事なものはある。それに金の魔力に取り憑かれ破滅した人間はたくさんいる。」
と紋切り型の古代哲学のような討論が始まりました。
確かに金より大切なものは沢山ある。それは自分の健康だったり自分の家族、友人etc… 俺はそれらを失ってまで金を得たいとは思わない。しかし、「金が全てではない。金より大事なものがある。」ということと「金が沢山あればいい。」ということは全く別次元の問題ではないの?
宝クジを当てて生活レベルが極度に上がりそのままグダグダになり破産してしまった人の話はよく聞きます。それより金が無くて苦労をしているという人の方がよっぽど多いのではないでしょうか?
どんなに奇麗事を言っても現代で金が人間の生きる手段である以上、金を否定することはできないと思いますし、否定する必要も無いものだと思います。
「金」と「自分にとって大事なこと」どっちが重要なのか「金」と「大事なこと」を比較して同じ次元で哲学的観点から優劣を考えるのではなく「自分にとって大切なことは大切である」「金も大切」と単純に別次元のものと切り分けて俺は考えています。
ちなみにこの僧侶は俺が子供のころから色々教えてもらい相談に乗ってくれた人です。酔っ払った俺の話を聞いてくれる俺の尊敬する人です。