蟻の社会科学

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働き方改革~問題の深層~ その8「評価」

働き方改革は多くの企業にとって重要な課題ですが、なかなか成果につながらないケースも少なくありません。解決策を考える前に、まずはその原因を深く探ってみましょう。

表面的な問題だけでなく、組織の奥深くに潜む「気づきにくい原因」にこそ、失敗の鍵が隠されていることがあります。書籍やインターネットで見聞きした事例をもとに、企業で起こりがちな、しかし気づきにくい問題点を、生成AIを使って社員の体験談風にまとめました。


評価制度というものが、この会社には存在しないのではないか。私は入社してからずっと、そう感じていた。

私が中途採用で入社したその会社は、社員数が100名ほどの中堅企業。私は営業職として配属された。私の目標は、前職で培った経験を活かし、会社に貢献することだった。しかし、入社してすぐに私は、この会社の評価制度に違和感を覚えることになった。

営業職である以上、当然、個人の売上目標がある。しかし、その目標は「前年比10%増」といった漠然としたもので、達成するための具体的な戦略やサポートは一切なかった。そして何より、目標を達成したとしても、それがどう評価に結びつくのか、明確な説明がなかったのだ。

私は、前職の経験から、積極的に新しい顧客を開拓し、売上を伸ばした。上司である部長のCさんは、その成果を見て、よく声をかけてくれた。

「お、頑張っているな」

ただ、それだけ。私の売上が会社全体の売上にどう貢献しているのか、新しい顧客開拓がどう会社の未来につながるのか、といった話は一切なかった。まるで、私の成果は、Cさんにとって、ただの「頑張り」という抽象的な概念でしかなかった。

逆に、売上が伸び悩んでいる同僚のDさんに対しても、Cさんの評価は変わらない。

「Dは、昔から遅くまで頑張っているからな」

Dさんは、長年この会社に勤めており、Cさんとも懇意にしている。だから、売上が目標に届いていなくても、Cさんの中では「頑張っている」という評価になるのだ。

この会社では、「頑張っている」という言葉が、勤続年数や上司への従順さの代替になっていた。売上という客観的な指標よりも、勤続年数や上司との人間関係や、どれだけ「イエスマン」でいられるかが重視されていた。

ある日、私は業務の効率化を提案してみた。

「この資料作成、手作業でやるのではなく、このツールを使えばもっと早くできますよ」

しかし、Cさんの答えは、私の予想通りだった。

「いや、いいんだ。これまでのやり方で問題ないから。それに、手作業でやった方が、仕事をしたっていう実感があるだろう?」

この会社には、「生産性」という概念が存在しなかった。どれだけ時間をかけて非効率な作業をしても、それが「頑張っている」と見なされる。逆に、効率化を提案すると、「サボっている」と受け取られかねない雰囲気だった。

結局、私の提案は却下され、私は非効率な作業を続けるしかなかった。しかし、私は効率化を諦めなかった。仕事が終わってから、個人でツールを勉強し、自分一人で使える範囲で業務を自動化してみた。すると、これまで3時間かかっていた作業が、30分で終わるようになった。

私は、この成果をCさんに報告した。

「Cさん、このツールを使えば、この作業がこんなに効率化できるんです。チーム全体で使えば、もっと生産性が上がりますよ」

しかし、Cさんの反応は冷ややかだった。

「ふーん、でも、それで空いた時間で何をやるんだ?どうせ、他の作業をやるだけだろ?それだったら、今まで通りにやった方が、時間をかけた分だけしっかりと確実な仕事を出来るじゃないか」

私は、この会社では、どれだけ成果を出しても正当に評価されないことを悟った。年功序列や上司への従順さが評価のすべてであり、私の頑張りは、ただの「頑張っているな」という曖昧な言葉で片付けられてしまう。

どれだけ売上を伸ばしても、Cさんとの飲み会に参加し、Cさんの意見に賛同することの方が、評価される。そもそも、Cさんは、自分の知識と理解が及ぶ範囲内にいるイエスマンしか評価することができないのだ。自分の知識や理解の範囲を超える人間は評価の対象外なのだ。私は、この不透明な評価制度の中で、次第に無力感を感じるようになった。

そして、入社して1年が経った頃、私は転職を決意した。

退職の挨拶をするとき、Cさんは残念そうな顔で言った。

「君はよく頑張っていたのに、もったいないな」

その言葉を聞きながら、私は心の中で静かに呟いた。

「この会社には、頑張っているかどうかしか見てもらえないんです。私は、成果で評価されたかったんです」

あの日の記憶は、今でも私の中に深く残っている。