「ITとは何か?」と問われたとき、明確なコンセンサスは得にくいものです。多くの人がITを最新のコンピューターやソフトウェアと結びつけて考えがちですが、その本質はもっと深く、普遍的な概念にあると私は考えます。私にとって、ITとは究極的に「頭の外で考えること」、つまり、人間の認知能力を拡張し、思考を外部に記録・処理するあらゆる手段を指します。
「頭の外で考える」こととしてのIT
この定義に立つならば、ITの原点はおよそ5000年前にまで遡ります。それは、文字の発見に他なりません。文字が誕生するまで、人間は思考を自身の記憶に頼るか、口頭で伝えるしかありませんでした。しかし、文字の発明によって、思考や知識は個人の頭の中から解放され、粘土板やパピルスといった物理的な媒体に記録できるようになりました。
これにより、以下のような画期的な変化がもたらされました。
思考の永続化と共有: 一度記録された情報は、時間や空間を超えて保存され、多くの人々に共有されることが可能になりました。これにより、個人の知識が社会全体の知識として蓄積され、後世に引き継がれるようになりました。
思考の外部化による複雑な思考の補助: 頭の中だけで考えていると、情報量や論理展開に限界があります。文字に書き出すことで、思考を「見える化」し、客観的に分析したり、修正したりすることが容易になります。これにより、より複雑で多層的な思考が可能になったのです。
知識の伝達と教育の基盤: 文字によって知識が体系化され、教育を通じて効率的に次世代に伝達されるようになりました。これは、社会や文明の発展に不可欠な基盤となりました。
このように、文字の発明は、人間の思考プロセスを根本から変革し、認知能力を飛躍的に向上させた、まさに「ITの原理」と呼ぶにふさわしい出来事だったのです。
媒体やツールの進化は「些末な問題」
文字を記す媒体がパピルスや粘土板であろうと、最新のパソコンやスマートフォンやソフトウェアであろうと、その本質的な機能は「頭の外で考える」ことを可能にする点において共通しています。もちろん、現代のデジタルツールは、その処理速度、情報量、連携性において、古代のそれとは比較にならないほどの進化を遂げています。
計算能力の拡張: 電卓から始まり、コンピューターは人間が行うには膨大すぎる計算を瞬時にこなします。これは、数学的思考を外部に委ねることで、より高度な分析や予測を可能にしました。
情報の高速処理と可視化: データベース、スプレッドシート、データ可視化ツールなどは、膨大な情報を整理・分析し、パターンを発見する手助けをします。これにより、複雑な状況を迅速に把握し、意思決定に役立てることができます。
コミュニケーションと協働の強化: インターネット、メール、チャット、共同編集ツールなどは、地理的な制約を超えて思考を共有し、協力して問題を解決する力を提供します。
しかし、これらの「最新のツール」がもたらす恩恵は、すべて「頭の外で考える」という根本原理の延長線上にあるものです。ツールの進化は、その原理をより強力に、より広範囲に、より高速に適用できるようになったという点で重要ですが、ITの本質を変えるものではありません。
重要なのは、私たちがどのようなツールを使っているかではなく、そのツールを使って何を考え、どのように思考を深め、どのように知識を共有し、創造していくかという点にあります。パピルスに詩を書き記す行為も、AIに複雑なデータ分析をさせる行為も、本質的には同じ「頭の外で考える」という人間の営みの一環なのです。
したがって、ITを「最新のテクノロジー」や「プログラミング」などの狭い枠で捉えるのではなく、「人間の思考を外部化し、拡張する手段」という広い視点で理解することが重要です。文字の発明から始まり、印刷、電信、電話、そして現代のコンピューターとインターネットに至るまで、人類は一貫して「頭の外で考える」ためのツールを発展させてきました。これらのツールを賢く使いこなすことで、私たちはこれからも知の地平を広げ、新たな価値を創造していくことができるでしょう。