蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。内容は個人的見解です。email:arinkoblog@gmail.com

精神のアウトソース

生成AIが世の中に登場してから現在までその性能は指数関数的に向上している。特に最近のDeep Reserchはすごい。ネット上から情報をほんの数分で網羅的に探し出して、こちらが希望したテーマの詳細なレポートをすぐに作ってくれる。僕も生成AIが登場してから文章を書くことがめっきりと減った。自分が時間をかけて調べて、考えて、何度も推敲しながら書いた拙い文章より、生成AIが速く正確に大量に文章を作ってくれる。自分で文章を書くということが、とても面倒で、価値のないことに思えてくるのは僕だけではないだろう。恐らく多くの人が考えて文章を書くことが減ったのではないか。そしてこれからもその傾向は加速していくだろう。

生成AIによる「精神のアウトソース」という言葉を目にした。僕たちの精神が全てAIにアウトソーシングされ、自分で考えることが無くなり、AIの指示通りにしか行動できなくなっていくことだろう。もう既に生成AIによる精神のアウトソースは始まっている。自分で何かを深く考える前にがAIに質問したり、生成AIのサジェストによってネットショッピングを行ったり、生成AIに誘導されたSNSを見たり・・・。生成AIによる精神のアウトソースは始まっているし、もはや止めることはできない。

しかし、「自分で考えるよりはるかにいい判断をしてくれるAIに全てを委ねることの何がいけないのか?」と問われたとき、なんという答えがふさわしいのだろうか。