欧州債務危機 その3〜カオスの深淵 by朝日新聞〜
俺は朝日新聞があまり好きではない。しかし、朝日新聞が毎朝俺の家に届くので毎日読んでいる・・・。12月4日から12月6日まで朝日新聞に書かれていた「カオスの深淵」という欧州債務危機を取り扱った記事が非常にうまく書かれていました。「カオスの深淵」を俺なりに読み解いてみよう。
①12月4日 「借金が民主主義を追い詰める!」
資本主義の究極的な原理の一つは「未来からの借金」です。「未来の人が借金を返してくれるだろう。今を楽しもう!後は野となれ山となれ!」とみんなが思い続けている間は、資本主義はうまく循環し続けます。しかしヒトタビ、「貸した金が返ってくるかわからねぇぇぇ!!」とみんなが思ってしまったら資本主義はあっという間に逆噴射を始めてカオスを生み出します。
例えばギリシャの国債。(サブプライム問題とリーマンショックも同じ構造ですが)「ギリシャ政府はいずれ金を返してくれるだろう。」とギリシャ国債の買い手(金融機関)が思っている間はギリシャ国債は普通債権ですが、「ギリシャ政府は金を返せないんじゃないか!」とギリシャ国債の買い手(金融機関)が思い始めればギリシャ国債はあっという間に単なる不良債権に変わってしまいます。ギリシャという国の実態は欧州債務危機の前も、欧州債務危機後も、何一つ変わっていません。世界で一番セックスが好きな国であり、脱税賄賂なんでもありの公務員天国です。ただ変わったのは「ギリシャ国債の買い手の心理」です。「ギリシャはお金を返してくれるだろう・・・!!」から「ギリシャはお金を返してくれないかもしれない!!!」というギリシャ国債の買い手の心理だけが変わりました。
世の中のお金の循環を司るのはやっぱり金融機関です。金融機関が「良し!」と思えば世の中にお金が出回り、「ダメだ!」と思えばギリシャやイタリアという国家と国民の生活すらズタボロに切り裂いてしまいます。民主主義社会と人々の生活は、金融機関の「良し!」と「ダメだ!」の心理、世の中の雰囲気だけで、右から左へ上から下へ動かされてしまう時代です。記事中の 「我々を統治するのは政府ではなく市場だ。」とのアテネ商工会議所会頭の言葉は言い得て妙です。
②12月5日 「国境を越え逃げる税金!」
現在のグローバル金融資本主義の世界では、政府さえも金融機関傘下の一企業というポジションと言えると思います。政府が民間企業と違うのは「税金」という形態で「強制的に利用料を徴収する権利を持っている。」という点です。民間企業は製品やサービスを市場に提供し、それが市場から必要とされればお金を手に入れることが出来ますが、政府は強制的にお金を手に入れてサービスを社会に提供します。
人もお金も自由自在に飛び回る現代社会では金を持っている人も企業も「政府に強制的に金を取られてなるものか!」と「税金を取られない場所」へどんどん流れていってしまう。「企業に逃げられてしまうなら、法人税率を引き下げたほうがまだいい・・・」という政府の苦渋の選択は、国から逃げ出すことが出来ない国民への幅広い課税という形で、国民に負担を強いることになります。そして国民は脱税という形で国家に対抗することになります。「強制的に料金を徴収してサービスを提供する政府」という企業は、現在のグローバル資本主義社会においてはどんどんその統治力、影響力を弱めてます。
③12月6日 「国家が蒸発する!」
人とお金が国境を越えて縦横無尽に動き、政府が金融機関傘下の単なる一企業となってしまった現代社会では「国家」すら、もはや定義があやふやになっています。近現代社会において「現代人の生活を担保する最低限の枠組み、システムである国家、政府」の存在すら、不明瞭になる時代です。先進国を中心に世界中が「0と1の二進法で支配されるシムシティのようなゲームのような社会」になりつつあります。全てが数字によって支配され、国家さえもあやふやになる無重力社会の中でこれから人々は何を信じて、何を頼りに生きていけばいいのだろうか?
まとめ
これから世界中が無重力社会に突入していきます。どこが上で、どこが下で、右も左も定義できない時代に突入していきます。唯一の足場となりそうなお金(数字)さえも、もはや制御不能になっていきます。何一つ足場を見出せない社会の中で人は確固たる足場を再び探さなければいけない時代になるだろうと思います。