上記のフレーム問題は人工知能における問題として知られているが、そのまま教育の問題として考えることも可能ではないだろうか。
「学校で学んだことは社会に出てから役に立たない。」
「勉強ができても仕事ができるとは限らない。」
などという言葉は耳にタコができるぐらいよく聞く。なぜ学校で学んだことが社会に出てから役に立たないと言われるのだろうか。それはどれだけ学校で正解を暗記したとしても、その硬直的な正解が「変化し続け、無限の選択肢が存在する現実社会」の中でそのまま適用できる場面があまり多くないからである。
考えるという行為は「事象の外延や輪郭を確定しフレームを作り出し、その範囲の中のほぼ無限の選択肢の中から必要なことだけを取捨選択する。」ということが中核部分になってくる。社会で必要な能力は「正解を暗記する能力」ではなく、この考える力であり、「現実社会の中で無限の選択肢から能動的に最適解を取捨選択して組み合わせる能力」なのである。
以前の記事で書いた「内発的動機」や「形式陶冶」と合わせて、このフレーム問題も教育を考えるための重要なモデルであると思う。
