以前、浅田彰の「構造と力」の書評で上記の部分を引用しましたが、もう一度「近代社会の解体」ついて考えてみたいと思います。。
近代社会の解体という言葉を聞くと、近代社会の闇がディストピアを生み出して社会が崩壊したかのように聞こえますが、実は逆です。私たちは能動的に社会を解体することでエネルギーを取り出しているのです。個人化、多様化の名のもとに、家族やコミュニティを解体することで膨大なエネルギーを生みだしています。核家族化、単身化を推し進めることで世帯を増やし、個人主義を推し進めつつ、欲望を喚起させるパーソナライズされた様々なサービスを生み出すことで、消費を促し経済のパイを拡大させる。この解体によって生み出されるエネルギーを使うことでのみ、近代社会は前進を続けることが出来ていました。
問題は社会を解体し尽くして、エネルギーを取り出せなくなったとき、即ちこれからです。乾いた雑巾を千切れんばかりに絞るように、さらに社会を解体してエネルギーを取り出そうとしても、社会はますます破壊されていくだけではないかと思います。
この終わりなき解体運動を止めることは出来るのか?止められるとしたらどのような力なのだろうか?それとも解体し尽くすまで止めることは出来ないのだろうか?