蟻の社会科学

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解体を止める力は果たしてあるのだろうか?

 近代社会のダイナミズムは脱コード化の必然的帰結である。脱コード化の結果、コスモスは沈黙する無限空間へと還元され、ノモスは解体して人々は共同体の外に放り出される。コスモスーノモス構造の解体は、そのままでは文字通りのアノミーに、つまりカオスの全面展開に、つながりかねない。今や新たな解決が求められることになる。ここで近代社会がとった解決は、きわめて陳腐なものと言ってもいいかもしれない。象徴秩序の紐帯が緩み切った所で、excesを抱えてじっとしていることに耐えられなくなたっとき、人々はわれがちに一方向へと走り出す。何か絶対的な到達点があるわけではない。走ることそのものが問題なのである。一丸となって走っている限り、矛盾は先へ先へと繰り延べられ、かりそめの相対的安定感を得ることができる。しかし、足を止めたが最後、背後から迫って来るカオスがすべてを吞み込むだろう。それを先へ先へと延期するためにこそ、絶えざる前進が必要になるのである。こうして、近代社会は膨大な熱い前進運動として実現されることになる。
浅田彰「構造と力」より引用

 以前、浅田彰「構造と力」の書評で上記の部分を引用しましたが、もう一度「近代社会の解体」ついて考えてみたいと思います。。
 近代社会の解体という言葉を聞くと、近代社会の闇がディストピアを生み出して社会が崩壊したかのように聞こえますが、実は逆です。私たちは能動的に社会を解体することでエネルギーを取り出しているのです。個人化、多様化の名のもとに、家族やコミュニティを解体することで膨大なエネルギーを生みだしています。核家族化、単身化を推し進めることで世帯を増やし、個人主義を推し進めつつ、欲望を喚起させるパーソナライズされた様々なサービスを生み出すことで、消費を促し経済のパイを拡大させる。この解体によって生み出されるエネルギーを使うことでのみ、近代社会は前進を続けることが出来ていました。
 問題は社会を解体し尽くして、エネルギーを取り出せなくなったとき、即ちこれからです。乾いた雑巾を千切れんばかりに絞るように、さらに社会を解体してエネルギーを取り出そうとしても、社会はますます破壊されていくだけではないかと思います。
 この終わりなき解体運動を止めることは出来るのか?止められるとしたらどのような力なのだろうか?それとも解体し尽くすまで止めることは出来ないのだろうか?

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