蟻の社会科学

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私はリフレ無効派です。

 2009年頃だったか、私が経済のことを考え始めたとき、リフレ論はなかなかの勢いがあった。今よりもっと経済のことがわかっていないかった当時の私は、「金を刷ればいい!」という単純で力強いリフレの論理に最初は強い共感を持っていた。しかし、その後わからないなりに経済のことを学び、考えた結果、リフレというのは実現が困難なのではないかと思うようになった。その点について簡単に書いてみたい。
 経済を考えるとき、まず「少子高齢化による急速な人口減少」という日本社会の大前提を考えなければいけない。人口が減少しながら高齢化が進んでいるということは、総需要が日に日に減っていっているということだ。実体経済のパイがどんどん縮小していくのに、金を刷ればパイが拡大するとはとても思えない。金を刷ったところで、高齢化が進んでいる社会において、お金を借りてまで家を買ったり車を買ったりする人たちが、1970~80年代のように激増するとは思えない。インフラは日本中整備され、グローバル経済の結果、生活必需品は安い価格で手に入るようになり、需要も供給も既に飽和している。それなのに実体経済のパイの縮小を上回る勢いで投資や消費が拡大するとは思えない。もちろんこの考えに反対意見もあるだろうが、私としては日本社会の上記の現状を考えた場合、金を刷れば経済が上向くとはとても思えなくなった。これは経済学のテクニカルなことに言及しなくても、単純な事実ではないかと思う。
 金融マーケットが許す限り、政府が金を刷ること自体は反対でもない。刷った金をヘリコプターマネーで生活困窮者に給付することに反対ではないし、むしろ困っている人にはどんどん給付するべきだと思う。ただし、給付されたお金は市場を少し循環し、巡り巡って富裕層の口座や企業の内部留保へ吸収されていくだけだろう。別にこれは政府が悪いわけでも、富裕層が悪いわけでもない。政府の刷る金の量が足りないわけではないし、富裕層から税金をたくさん取れば解決する問題でもない。原因は少子高齢化によって、活力を失った日本の市場、日本の社会そのものなのではないか。
 結論としては、金を刷ること自体は強く反対するわけではないが、金を刷ることで経済が上向くという考え方には賛同できない。
 

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