今日NHKスペシャルで放送していた「老人漂流社会」は非常に重かった。このブログで高齢化社会問題については何度か記事を書いてきたが、現実とはこれほど重いものなのか・・・。
現在の高齢者のセーフティネットは大まかに考えると・・・
【1】家族や地域による非営利のセーフティネット
【2】ケアや介護を貯金や年金で金銭によって購入するセーフティネット
【3】政府や自治体の行政による生活保護というセーフティネット
この3重のセーフティネットが存在していると思う。戦後からこれまでの日本社会には【1】と【2】のセーフティネットが十分に機能していたと思う。「地縁血縁腐れ縁」が色濃く残っていた社会では【1】が機能し、核家族化と都市化が進み【1】が弱まった現在でも、高度経済成長時に蓄えた貯金で【2】が機能している。しかし、【1】も【2】も機能しなくなリつつある現在、いきなり【3】という最後のセーフティネットに頼らざるを得ない人がどんどん増えている。
問題はやがてこの【3】の最後のセーフティネットも、政府の財政危機によって破られてしまうかもしれないということだ。全てのセーフティネットを突き破ってしまった人たちが今後どんどん増えていく社会をどう考えていけばいいのだろうか・・・?
少し抽象的な話になるが、このような問題の背景にあるのは合理主義による近代社会がもたらした「アトミズム」なのだろう。「個人」の徹底的自由を盲目的に翼賛する社会が最後に辿り着くのは、個人が「アトム」としてばらばらに存在する社会なのだろう。さらに抽象的な意味不明なことを述べると、近代社会は個人の人生も一回こっきりの使い捨ての消費型人生へとしてしまったのかもしれない。そんな社会からは明るい未来なんて生まれないのかもしれない・・・。
俺は今日の番組が提示した問題に対して具体的な方策を持ち合わせていないが、僕たちがこれから真剣に考えていけないのは上記のような問題だと思う。
最後に・・・何度もこのブログで引用してきたが田中角栄の言葉を引用します。
(俺は別に地方分権論者でも公共事業推進派でもありません。)