蟻の社会科学

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原子力発電の中長期展望〜廃炉にすることが出来るのか?〜

 原発の再稼動問題が世論を二つに切り裂いています。一方は自然を愛し、原発全廃を求めるイデオロギカルなものを感じさせる「原発反対派」。もう一方はお金を愛し、経済のために原発存続を目指す、これまたイデオロギカルなものを感じさせる「原発推進派」。この二つが、原発問題を考える上での二大勢力だと思われます。この二大勢力は自分の立場や意見をはっきりと表しているのですが、政府の意見というのがいまいち見えてこない。当面は社会と経済のために原発を維持する立場というのは理解できますが、30年後、50年後原発をどうするのか中長期的ヴィジョンが全く見えてこない。原発推進派の強い影響下にある政府が中長期的ヴィジョンを示すこと自体が無理な話なのかもしれませんが。最初に書いておくと俺は「中長期的には原発を廃止するべき」という立場です。



エネルギー白書2010より引用
 近年のエネルギーの需要
 ともかく今後のエネルギーの需要予測をしてみたいと思います。上図は日本の(電力を含めた)総エネルギーの需給の推移ですが、1973年から2008年まで約1.6倍になっています。ここで注目したいのが1995年あたりから2008年までエネルギーの需要は頭打ちになっているという点です。総エネルギーだけではなく一世帯あたりの電力消費量もなどなど様々なエネルギー指標が1990年代後半から頭打ちになっているという点に注目したいと思います・・・。仮説ですが、実は日本の総エネルギー需要は1990年代後半にピークに達してしまったのではないか?

今後のエネルギー需要予測
 今後のエネルギーの需給を考えるのは決して簡単ではありませんが、それを考えるための非常に強力なツールが存在します。それは「人口動態」です。2100年の日本の人口は4700万人という推計もあれば、8000万人という推計もあるので確かなことはわかりませんが、1億2000万人ではないことだけは確かなようです。現在の1億2000万人のエネルギー需給を維持するためには、人口が8000万人になったのであれば一人当たり現在の1.5倍のエネルギーを消費しなければいけない。人口が4700万人になったのであれば2.5倍のエネルギーを消費しなければいけない。自然に考えれば「そんなことは無理だ。」と思わざるを得ません。人口減と高齢化に歩調を合わせて、30年後、50年後、100年後・・・日本社会でエネルギーの需要は減っていくと思われます。


原子力発電を擁護する立場から考える「原子力
 日本においてはエネルギーの需要は減っていくでしょうが、世界全体では新興国の成長によりエネルギーの需要は増えていくでしょう。エネルギー価格が上昇する時代、エネルギー小国の日本では「原子力発電」への世論の追い風が吹くと思います。エネルギーの需要が減っていくとは言え、世界的にエネルギー価格が上昇していけば日本は引き続き原子力発電に頼っていかざるを得ないのかもしれないとも思います。


原子力発電に反対する立場から考える「原子力
 原子力発電をすぐに全廃することも不可能ですが、今後新たな原発を建てることもまた不可能でしょう。原子力発電は現状を維持しながら、騙し騙し発電を続けながら2030年〜2050年には既存の原発のほとんどが「耐用年数の限界=廃炉」という問題に直面すると思います。問題は2030年〜2050年頃、弱りきった日本に、全ての原発を莫大な費用がかかる「廃炉」にするだけの体力が残っているのだろうか?

「日本のエネルギー需要の減少は確実である。」
「2030年〜2050年には既存の原発の多くは耐用年数の限界が来る。」
「建設からたった40年しか経っていない福島第一原発があれほどの事故に見舞われたのに、既存の原発は2030年〜2050年まで絶対に安全という保証があるのか?」

 事故が起こるかどうかは別としても「エネルギー需要の減少」と「将来絶対に原発の耐用年数の限界が来る」ということは確かだと思います。目先の経済も確かに重要です。しかし、エネルギー価格が上昇しようとも上昇しなくても、いつか原発が使えなくなる日は来ます。その日が来ることがわかっているのであれば、その日に備えてまだ日本に体力がある今のうちに「原発廃止への中長期的ロードマップ」を作成することが政府の役割ではないのだろうか?それこそが国家100年の計を考える「政治」の役割ではないのだろうか?