近代化が進むことにより、テイラー主義、官僚主義、手続き主義、形式主義、システム主義がどんどん進んでいく・・・。
俺が働いていて思うことは「もう何もかもマニュアル化、システム化され過ぎているなぁ・・」ということです。徹底的に形式化された手続きをこなしていくことこそが労働になった。人生においては、塾へ行ってなるべくいい大学へ入り、正社員になること。大企業へ入ることが近代社会の生きるためのマニュアルになってしまった。そんな社会になりました。
以前に書いた記事を引用しますが
しかしこのような社会が始まったのはそんな昔ではありません。
産業(3部門)別15歳以上就業者数の推移-全国(大正9年〜平成17年)
総務省統計局より画像を引用
江戸時代には命の綱である食糧の生産を行う第一次産業に従事する人の割合が70〜80%でした。上記の表を見ると1950年には約50%、1970年には約20%です。原始時代の狩猟採集生活や産業革命以前の農耕生活、即ち「食糧を作る=生きる」というシンプルな社会は結構最近まで日本社会に存在していました。(現在の地球でもそのようなシンプルな社会が大半だと思います。日本でも今でも、地方ではその時代の風習、雰囲気が色濃く残っている地域はあります。)
恐らくルネッサンスや宗教改革の時代の西洋社会を基点とする近代化という巨大なビッグウェーブは、世界中の国をシンプルな社会から複雑な社会へ作り変えながら、その勢力を拡大しつつあります。このビッグウェーブはいい面もありますし、悪い面もあるので善か悪かなどの判断を下すことは俺には出来ません。
有能な人もそうでない人も「食糧を作る」という枠組みの中で生きていた産業革命以前のシンプルな社会では、格差を決定するものは「能力」ではなく、「非合理的な階級制度」でした。しかし、非合理的な階級制度がなくなり誰もが「自由と平等」となった現在の複雑な社会では「能力」こそが格差の基準となりました。この複雑な社会に対応できる「有能な人」と、この複雑な社会に対応できない「有能でない人」の格差はどんどん広がりつつあります。(もちろん、能力だけが格差の原因ではないのですが)
もはや、この格差社会を是正することはもはや不可能でしょう。共産主義的手法に頼ったしてもこの格差社会を是正することは不可能だと思われます。 社会の複雑化を止めることなど出来るはずもないし、昔に戻ること自体がいいことなのかもわかりません。それでも確実に言える事は、この進歩し過ぎた複雑な社会はその複雑さ故に社会そのものを破壊していくと思われます。その破壊されつつある社会こそが現代の先進国なのだと思います。破壊された社会のその後は俺には良くわかりませんが。