かつては「高品質のMADE IN JAPAN」の象徴だった弱電(エレクトロニクス)業界でリストラの嵐が吹き荒れているようです。日本の弱電業界の凋落の原因としてよく挙げられるのは
「日本の硬直的な垂直統合のビジネスモデルが、柔軟な国際的水平分業のビジネスモデルに駆逐された。」
「日本という閉鎖された世界2位の巨大市場で胡坐をかいていた日本企業はガラパゴス化して新しい発想を生み出せなくなった。」
「正社員を過剰に保護する硬直的な雇用体系が、雇用の柔軟性を失わせ、生産性を低下させている。」
「人件費が安い新興国のマンパワーに押された!」
「円高が国際競争力を失わせて〜・・・」
などなどの声が聞こえてきます。これらの分析は全て一理あり全て正しいと思います。原因を詳細に分析することは非常に重要ですが、当面は日本弱電業界の凋落の流れを止めるための有効な対策は見つかりそうもありません。それより「人生一生安定!」と思われた過去の優良企業からリストラされる人、自ら辞める人たちが増えている現実をどう考えるべきなのだろうか?
これからの時代、今まで「人生絶対安定!」と思われていてた一流企業や正社員でも明日はどうなるかはわかりません。超優良企業だった東京電力ですら、事実上終わってしまってしまいました。「正社員」はおろか「公務員」ですら借金1000兆の政府の現状を考えると、明日はどうなるかはわかりません。(ギリシャの例を見るように)
自分の努力で成し遂げてきたと思われた現在の地位も、全ては「時代と言う乗り物に乗った企業」という乗り物に乗っただけの砂の城でした。何も努力が無駄だったと言うわけでははありません。「結果」に意義があるのではなく「努力すること」そのものに意義がある。努力した結果、リストラされたとしてもそれは「無意味な努力」ではなく「努力不足」でもないと思います。全ては「時代」だ。「時代と企業という乗り物」から強制的であれ、自発的であれ、その乗り物から降りた時に初めて「自分」という存在に目が向くのではないのだろうか。自分のアイデンティティと企業を融合させていた人間が初めて、「自分」という単体の存在を意識するのではないだろうか。