TPPの是非
TPPのニュースを毎日のように新聞やテレビで見ます。TPPについての俺の考えを忘れないようにメモっておこう。最初に結論を書いておくとTPPに関してはどちらかといえば反対というスタンスです。だが、抗えない世界情勢の潮流の中で恐らく日本もTPPへ参加することになると思う。しかし、TPPに参加するかしないかは経済的にはたいした問題ではないと思う。TPPに参加した場合、環太平洋圏での完全自由貿易のメリットもありますし、またデメリットもあります。メリットがデメリットを上回るか、デメリットがメリットを上回るか。参加すれば外需産業に少しだけ追い風が吹き、内需産業に向かい風が吹く、参加しなければ内需産業に少しだけ追い風が吹き、外需産業に向かい風が吹く。どっちがいいかはわからない。TPPに参加すれば「目に見える格差」は広がると思います。参加しなければ「目に見えない格差」が維持されると思います。ともかく、時代の潮流が否応無くTPP参加へ日本政府を導くでしょう。
TPP参加は確実であるとは思いますが、俺は反対というスタンスです。反対の理由のひとつはアメリカ主導になりかねないということです。「世界のジャイアン」アメリカが「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」という「アメリカジャイアニズム」丸出しでTPPの主導権を握った場合、ISD条項等で日米修好通商条約のような不平等条約になってしまいかねない。参加国全体でフラットなシステムであるならば別に参加しようが、参加しまいが経済的にはどちらでもいい。とりあえず「アメリカジャイアニズム」という様相を呈しているTPPには参加は反対という立場です。
もうひとつの反対理由は「TPP(自由貿易)」というシステム自体が時代遅れであると考えるからです。参加の是非ではなく「自由貿易」という思想そのものがもはや時代遅れだと思うからです。TPPは200年前の学者リカードのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%84%AA%E4%BD%8D:TITLE=比較優位説を根源としています。比較優位説を端折って語ると「農業が得意な人は農業に特化して、機械を作ることが得意な人は機械を作ることに特化する。お互い得意な分野に特化して生産を行ったほうが生産量は増える。それから農作物と機械を交換すればお互いの利益になる。お互いWIN-WINになれる。」という考え方です。合理的に考えれば全くもってその通りで正しいのでしょうが・・・。
結局、現代社会は300年程前に始まった西洋的合理主義社会の延長だと思います。合理的思考で数字に支配された世界。1より2がいい。2より10がいい。とにもかくにも「拡大こそが絶対的な正義である。」これが西洋合理主義が作り上げた西洋的現代社会なのだと思います。極端な言い方をすれば西洋的合理主義社会は「数字に支配された拝金主義の世界」という言い方も可能かと思います。
西洋合理主義の権化、営利一直線のTPP賛成派は当然として、反対派も結局は「デジタルな拝金主義」という枠組みの中でしかTPPの参加の是非を論じていない面があると思います。しかしTPP反対派は少なからず西洋的デジタル主義とは一線を画し、非営利のアナログな社会システムを重んじている面もあると思いますので俺はTPP反対派に心情的には賛成です。
今となっては「拡大こそが絶対的な善」という西洋合理主義がどうにも受け付けることが出来ない。拡大する余地がある時代であるならばそれは確かに間違ってはいないとは思うが、その時代が終わりつつある現在においては非常に違和感を覚える。新自由主義の暴発によるリーマンショック。そしてソブリンリスクによる欧州金融危機。「市場」と「国家」のノーガードの壮絶な殴り合いの中で格差の拡大と路上に放り出される人たちが増えて世界中でデモが起こっている現実を考えると、数字だけで社会をコントロールすることはもう不可能だと思っています。社会をシムシティのように「数字だけでコントロールできる」という「致命的な思い上がり」こそが社会構造を歪にしている。よって「TPP」は参加の是非はともかく、思想自体が時代遅れだと思っています。