少子高齢化社会を考える。その1〜高齢化社会誕生の背景。明治維新から終戦後まで〜
はじめに
俺はひっそりとこっそりと社会全般を研究していますが、そのメインテーマとなっているのは「無縁化」「非婚化」「少子高齢化」です。
現在の日本社会で「少子高齢化」が問題視されていますが、特に「高齢化」はますます大きな社会問題として認識されていくでしょう。少子高齢化の現代社会を考えるときになぜそうなったのかを考える必要があります。現在の「高齢化」の主要因は「団塊の世代の高齢化」ですが、団塊の世代にも親がいて、団塊の世代の親にも親がいて・・・となりますので、まず「団塊の世代」誕生以前の社会に目を向けてみたいと思います。
縄田康光氏の「歴史的に見た日本の人口と家族」(参議院資料〜立法と調査 第260号)を材料に人口学の見地から「近世〜現代社会」を考察します。下記の記事は「歴史的に見た日本の人口と家族」を参照にして、俺なりに要約して俺の考えを織り込んだ記事です。(縄田氏の研究は非常に参考になります。このブログより、直接資料を見ていただいたほうがより参考になると思います。)
(データは「歴史的に見た日本の人口と家族」](参議院資料〜立法と調査 第260号)から引用、作成しました。)
近代化以前の農業社会の江戸時代は食料の供給の限界から人口は3000万人前後を超えることが出来なかったようです(資料2を参照。まさにマルサス理論!?)。そのような「食料供給の限界という足枷を背負った社会」においては農村部では婚姻率は高かったものの、出生率はさほど高いとも言えず、都市部では現代社会同様、出生率も婚姻率も高くはなく、また離婚率も高い社会だったようです。社会全体の限られた富(食料)の中で「勝ち組」が結婚、出産していた社会とは、ある面において現代社会に通じるような構造だったのかも知れません。
明治維新以後、近代化、工業化へ向かった日本社会の人口は、農地の生産性に縛られることがなくなりました。近代化、工業化により「農地の生産性=食料生産の上限=人口の上限」という足枷から解き放たれた日本社会に「皆婚社会、多産社会」のバックグラウンドが形成されたと思います。「貧しいながらもなかなか餓死はしない社会」で誰でも出産が出来るようになり、1900年〜1950年の日本史上空前の高出生率時代が誕生しました。同時に医療、衛生、栄養面の改善により平均寿命が延びたことで明治維新以降、爆発的に日本の人口が増えました。(資料3参照)
明治維新から1920年ごろまでは医療、衛生、栄養面がまだまだ不十分だったので平均年齢も短く、乳幼児死亡率も高い「多産多死社会」でしたが、それが徐々に改善されていき1950年頃、団塊の世代の誕生あたりで「多産少死社会」の最終形態に到達したと思われます。そして1950年以降から現在に至る「少産少死社会」へものすごいスピードで突入しました。
その2へ続く・・・