蟻の社会科学

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限界効用の逓減と日本社会

はじめに 
 俺の経済観について書いてみます。俺の経済学の究極的な命題は「人間が存在しなくても経済は成り立つか?」を出発点としています。そんなもん成り立つわけがありません。
 経済学において「人口」は静学的経済学の立場から「与件(それとして与えられたもの。無条件の前提)」として扱われる面がしばしあります。しかし現実問題として西暦2100年の日本の人口は4000〜5000万人と現在の半分以下と推計されていて、半分以上いなくなっています。その未来に向かう途中の日本社会において既存の経済学が通用するのかという大きな疑問を持っています。「人間の存在論と経済」をベースにして「社会学」「経済学」「哲学」「歴史観」を統合させた超マクロ検討をしていきたいと思います。

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 コツコツとマクロ、ミクロ経済学も勉強していますが経済学は本当に難しい。マクロ経済は様々な学派があるので一体どれがどうなのかチンプンカンプンです。アダム・スミスの「神の見えざる手」から現代まで、経済学はいったい進歩してきたのだろうか?と思います。ありとあらゆる理論が出てきたが、その場、その時代の分析だけで全て後付けであり、資本主義が有する「有限の中の無限」という究極的な矛盾を永遠に解決できないだろうと結論だけは出しました。
そして、俺なりの単純なモデルは「究極的には経済、現代資本主義は「人間の存在」を前提としている。そして「人間の頭数と人間の永遠の増加。そして社会心理と人間の欲望に強く依存している。」
有効需要、経済成長=人口x若さ(平均年齢)x将来への期待や希望x欲望x技術革新」
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「民族性、宗教、教育水準、気候、資源、etc…」
という式になりました。まだまだ薄学で経済についてはよくわかりませんが、経済学が「人口と年齢」という動的モデルをどこまで考慮に入れているのだろうか?という疑問を持っています。極端な例えですが「人口が100人で平均年齢が70歳の村」と「人口が1000人で平均年齢が25歳の町」があったとして経済学の理論が両者に同じように通用するのだろうかと素朴に疑問を持っています。 
 人口が多くて平均年齢が若い国であれば、成長を見込めますし、将来への期待や希望を持てます。どんどん投資が行われどんどんお金も使われるでしょう。そして豊かになりたいという欲望が経済成長を促進すると思います。現在の日本はその逆です。人口は多いですが減り始めていて、平均年齢がどんどん上がり、社会保障費の増加などで将来への期待や希望もあまり持てませんのでお金もあまり使われません。ひょっとしたら日本は豊かになり過ぎたので生活をこれ以上良くしたいという欲望も、もはや弱いのかもしれません。こんな式で経済を全て説明出来るとは思いませんが、経済が社会心理の強い影響下にある以上、経済は「経済人を前提とした合理的な理論」というような考えだけでは説明が出来ず、その合理的経済理論の外側からアプローチして、動学的に社会学や社会心理、哲学、歴史との融合を考慮に入れなければいけないのだろうと平凡な結論を出しました。 
 人口の減少による経済の縮小という意見に対して、「人口が減少している国でも経済成長している国がある。故に人口が減少すると経済が縮小するとは言い切れない。」という意見も少なからずあります。確かに人口が減少していても経済が成長している国はあると思います。しかしその場合、その国の経済を動かすエンジンを考えないといけないと思います。その国が資源国であれば人口が減ったとしても内需に依存せず、資源の輸出で経済は拡大していくでしょう。(ナウル共和国などは国民は働きもせずにリン鉱石を輸出するだけで世界で一番豊かな国だった時期がありますし。)その国が今の韓国のように外需に大きく依存しているのであれば、人口が減り内需が縮小しようとも輸出によって経済は拡大していく可能性は十分あると思います。インフラが整備されておらず、家電や住居や車、色々なサービスなどの需要がまだまだ伸びると予想される新興国であれば、その需要により経済の成長は見込めるかもしれません。資源国であれ、外需依存国であれ何かしらの需要が地球のどこかにあるから輸出によって成長していますが、その需要の源は「上記の式に当てはまっている地球のどこかの地域」になると思います。
 日本はどうなのだろうか?日本は1億2000万もの巨大な人口とマーケットを持つ先進国です。アメリカ、中国に次ぐ、世界で3番目大きなマーケット(EURO圏は除く)が生み出す内需、円経済圏」に大きく依存している国です。そしてその巨大なマーケットはもはや飽和しています。日本国内は完全にインフラが整備されていますし、多くの人が「三種の神器」(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機→カラーテレビ、クーラー、自動車→デジタルカメラ、薄型テレビ、DVDレコーダー)などなどの利器を所有していますので工業製品も、サービスも新たな需要を見込めません。社会全体が高齢化しつつありますので団塊の世代が若かった頃ほどは、住宅の需要も車の需要も企業の設備投資もサービスも雇用も、ありとあらゆる需要は以前ほど望めません。老人が住宅を買ったり車を頻繁に買い換えたりするとはとても思えません。若年層の数も相対的に減ってきていますので昔のような爆発的な需要は望めません。まして若者は貧乏で将来に対する期待や希望もありませんので子供も生まず、家も買わず車も買わず、金を使いません。社会心理というものはコントロールが非常に難しいものです。(少なくとも報道と思想の自由がある国では。)「未来は明るい!」と言っても多くの人はそうは思えないでしょう。
 日本は戦後、海外に輸出して経済成長したというイメージを持たれがちですが1970年まで経常収支は赤字だったようです。1945年から1970年までの爆発的な経済の拡大は1億人の若くて巨大な内需に大きく依存していたようです。そして今でも内需に大きく依存しています。しかし、1億2000万の人口の巨大なマーケットが急速に劣化、縮小していっているのですからその問題に対して旧来の「合理的な経済人を前提とした理論的な経済学」ではなかなかうまい答えが見つからないのではないだろうかと思っています。どんなに金融緩和をしようとも国内では投資先は見つからないでしょう。金を使ったとしても以前の日本社会ほど爆発的な使い道は見当たらないでしょう。生産人口が減少していく上に、その生産人口は従属人口となった高齢者の面倒を見なければいけない。そんな心理的背景を持った社会で需要を、経済成長を見込むことは非常に困難だと考えざるを得ません。外需に活路を見出すことが悪いことでは決してありませんが、この巨大な日本市場の急速な縮小を補って、さらに縮小を上回る拡大を即効的に外需に求めることは難しいでしょう。それよりも企業は外需を求め、日本に戻らずに海外へ出て行ったっきりになるでしょう。そして新興国も日本と同じような状態になり、結局はニッチモサッチモも行かなくなるでしょう。 
 うーむ、長くなりましたが何を言いたいかというと残念ながら日本経済はもはや成長することは難しいということです。しかし、それが決して暗い未来であるとも思いません。日本人はインフラ面、物質面で世界で有数の豊かでしょう。経済的に下降していくと言ってもまだまだ豊かです。ありふれた言い方ですが物質的豊かさから精神的豊かさを目指す時代なのだろうか。

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