蟻の社会科学

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金はたくさんあればいい(けど・・・。)Part3

 以前のエントリーでも書きましたが、俺は「金はたくさんあればいい。」と考える俗物です。なぜそう考えるかというと「金はたくさんあればいい。」という俗物思想を現実社会の中で積極的に否定できる明確な論拠を見つけられないからです。金というものを絶対的に否定しなければいけない明確な論拠を見つけられないから、徳の低い俺は単純に「無いよりあったほうがいい。」と思っています。
 しかし、金というものが幸福をもたらす普遍性がある物とは思っていません。簡単に得られる物とも思いません。「一時的な手段としてある程度の有効性があるぐらいの物」だと認識しています。「金を得ることが人生の絶対的な目的」とは思いませんし、まして他人に損害を与えてまで得なければいけないものでは絶対にないと思います。金はあればいいけど、無ければ無いでやっていける手段、方法、社会、面白い生き方を考えています。 

 金は何かしらの目的のための、何かしらの手段でしかないと思います。では多くの人が多くの金を欲する理由と目的とはなんだろうか?豊かな暮らしをしたいからなのだろうか?「豊かな暮らし」といっても年収1000万の人と年収300万の人の暮らしがどれだけ違うのだろうか?年収1000万円の人がレクサスに乗って、年収300万の人が軽自動車に乗っているとしても移動手段としては特に変わりがない。年収300万の人が薄型液晶テレビを1台しか買えないとしても、年収1000万の人が薄型液晶テレビを5台買うわけでもない。年収1000万の人が毎日高級レストランで食事をしているわけでもないし、年収300万の人がファミレスで食事ををするからといって貧しいとは思えません。実質的、物質的な生活レベルにおいては年収1000万の人も300万の人もさほど変わらないと言えるでしょう。(ま、若干無理のある定義ですがw)
 では多くの人が多くの金を求める理由として考えられるのは何だろうか?理由は3つあると思います。一つは「単純な見栄」・・・年収300万より1000万のほうが「フフ〜ン♪」と鼻を高く出来るからですかね。自分の努力が数字によって肯定されるという満足感とでもいうのでしょうか。2つ目は「能動的可能性」・・・実際に何かに使うわけではありませんが、金が多いほうが何かを出来る可能性は高くなります。何かコトを成し遂げられる可能性が無いよりあるほうがいいので、金は多いほうがいいかもしれません。3つ目は「受動的安心感」・・・何か人生にコトが起こったときに金がたくさんあったほうが安心だという考えですかね。
 現在、多くの人がたくさんの金を求め、老いも若きも節約に励むのはこれが一番の理由なのでしょうね。漠然とした不安に包まれる日本の未来、という現実を前に通帳という仮想空間に記載された数字だけが安心の源というのは凄くシュールな世界ですなぁ。