蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。email:arinkoblog@gmail.com

無知の知と絶望

 あえて説明する必要すらないかもしれないが、「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉である。「自分は何でも知っているという、自分だけの小さな世界に閉じこもっていたらつまらないよ!自分が何も知らないということを認めて、世界観をどんどん広めていこうよ!」ライトなニュアンスで表現するとこんな感じだろうか。
 確かにその通りである。自分が何も知らないということを認めることが、自らの世界を広げる第一歩であると思うし、世界を広げることは基本的にはいいことなんだろうなと思う・・・。
 しかし、「無知の知」を自己啓発セミナーの安易な標語や方針のようなものだと思って、舐めてはいけない。「無知の知」に立ち向かうということは、己の存在価値や己のアイデンティティへの挑戦とさえ言える、絶望的なまでの闘いであると認識しておいたほうがいい。
 新しいことを知るということは、一種の絶望との遭遇でもある。自分が「こうだ!」と思っていたことが、未知との遭遇により徹底的なまでに破壊されることなど日常茶飯事だ。自らのアイデンティティさえも脅威に晒されるぐらいの絶望との遭遇である。そんな絶望に好き好んで立ち向かうぐらいなら、何も知ろうとしないほうが、ずっと安らかに生きていける。
 しかし、人間の適応力も舐めてはいけない。自らの無知を何度も何度も体験することにより、パンチドランカーのように「無知」への耐性を身につけたときに、「不可知の知」に辿り着くのかもしれない。

人は新しいことを知りたくない
考えられていないことはほとんど存在しない

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