蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

ブログの新ガイドライン(1)諸行無常~マクロコスモスの中の私~

変化し続けるこの世界の中で 
 このブログを始めたのが2010年の年末なので丸7年経ちました。近年はあまりブログを書いていませんが考えることをやめたわけではありません。むしろ色々考え過ぎていてなかなか書くことが出来ないといいますか。年末の備忘録として一度脳内の大掃除をして、しばらく考えることから離れるために近年考えていることを全てまとめてみようと思います。
 そもそも僕が「考える」ようになったのは2008年からです。当時の僕は東京でサラリーマンをしていて毎日の目の前の仕事と生活のこと以外何一つ考えていなかったと思います。(本を読むことなんて一切ありませんでした。)そんなときリーマンショックが起こりました。サブプライムローンの問題に端を発した経済問題は、アメリカの投資銀行のリーマンブラザーズの倒産をきっかけに世界経済を大混乱に陥れ、日本経済にも大きな影響を与え、僕の給料を激減させたのですが、僕はどうしてもその原因が知りたかった。遠い世界の出来事がどのようにして僕の生活に大きな影響を与えるのかそのメカニズムを知りたくなった。今後また同じようなことが起こらないとは限らないし「そんなことを考えてもしょうがないよ・・・大切なのは目の前のことを一生懸命頑張ることだけだよ・・・」と自分を誤魔化しながら生きていく自信がなくなり、知ったところでどうなることでもないのだけれどその原因を知らずにはいられなくなりました。
 最初は “ 資本主義崩壊!! ” のような本を読んだのですが、何が書いてあるかわけがわかりませんでした(笑)。経済の本を何冊も読んでいるうちに少しだけ経済のことも理解できるようになり、経済はそれ単体で成り立っているわけではなくこの世界の様々な要因と関連しあいながら成り立っていることがわかりました。と言うかこのドロドロに溶け合って形の無い世界の一部にフォーカスし、その部分を切り出して「経済」と言う名前をつけることで「経済」が存在するのだなとわかりました。そのうち興味は自然科学、社会科学、人文科学の様々な分野に移り、今はリベラルアーツを学ぶ雑学勉強者?となりました。
複雑系と仏教的な考え方
 近年ある概念に強く惹かれるようになったのですが、それは今回のタイトルにもなっている「諸行無常」という概念です。仏教の根本的な考えの一つを構成する概念で「この現実の世界のあらゆる事物は,種々の直接的・間接的原因や条件によってつくりだされたもので,絶えず変化し続け,決して永遠のものではないということ。(コトバンクより引用)」という意味です。ウィキペディアには「生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。(Wikipediaより引用)」と書いてありますが、これこそがとても重要なことなのではないかと考えるようになりました。
 人を含める生物全般はホメオスタシス(恒常性)という自らを一定の状態に保ち続けようとする本能を持っています。現状を維持し続けようとする本能、または保守性と言い換えることも出来るかと思います。人はホメオスタシスにより安定と変わらないものを求め続けるが、常に変化する世界はそれを脅かし続ける。これが世界と人の関係なのだと思います。その変化し続ける世界を考えるためには目の前のことだけ見ていても本質はわからない、全体に目を向けないと問題の根源はわからないという考え方が思考の第一歩だと考えるようになりました。
 ちなみに情報科学、システム科学、サイバネティクスヘラクレイトスの万物流転、西洋哲学におけるポスト構造主義、フランス現代歴史学アナール学派ホーリズム全体論)、ウォーラーステイン世界システム論、比較的新しい科学であるカオスや複雑系、MITのシステムダイナミクス、ピーター・センゲやメドウズのシステム思考 熱力学におけるエントロピー なども諸行無常と同じ方向性の考え方かと思います。また西洋的な考えでは「神」やプラトンの「イデア」のような「不動の絶対的なもの」を求めるのに対して、仏教ではその真逆の「変化」を根本においている。その対比が面白いです。

学び、考える
 世界も社会も人も考え方も全て流転していく中で、より良く生きていくには結局この変化し続ける世界を「受け入れる」以外にないのだろうと思います。そしてそんな世界を「受け入れる」ために必要なのは学び続けること、考え続けることなのではないかと考えるようになりました。「学ぶ」という言葉を聞くと多くの人はあまりいい印象は持たないかもしれません。学生時代のテスト勉強などを思い出して、どちらかというと 「修行」のようなつらいイメージを思い起こす人も多いかと思います。それは学校で次のような状態のまま勉強していたからではないでしょうか。「何を言っているのかわけがわからない先生」「ただ単純にこの先生が嫌いだ」 「全く面白くない授業」「1時間も座っているのがつらい」「そもそも何のために勉強しているのかわからない」「テストのためにやりたくも無いのに嫌々勉強している」etc…。
 本当は学ぶことは楽しいものだと思います。「自分が知らない新しいことを知る。」というのはとても楽しいことだと思います。新しいことを知り、新しいことができるようになるというのは人生の大きな喜びになると思います。「大人になってから勉強するなんて今さら勘弁してほしい。勉強は子供や学生がやることだろう。」と思っている人がとても多いことに驚きますが、学ぶということは本来一生続けることなのではないでしょうか。学び続け、考え続け、この変化し続ける世界を受け入れて、その変化する流れに乗っていくしなやかさと柔軟性が生まれたとき、人には今までとは違う新しい可能性と少しの幸せが生まれるのではないかと思います。

目の前のことと見えないこと
 僕たちの目の前にあるものは全て見えないところで発生しています。今、目の前にあるものはいずれ見えないところへ消えるでしょう。今僕の目の前にあるパソコンは工場で作られたものです。そのパソコンは以前は様々な金属やシリコン、石油などの原材料でした。ではそれ以前は一体なんだったのか。いや、そもそもこの世界を構成している素粒子、原子はいつから存在しているのだろうか・・・? 宇宙はいつ誕生したのだろう? 物質はいつ誕生したのだろう? 地球はいつ誕生したのだろう? 生物はいつ誕生したのだろう? 人類はいつ誕生したのだろう? 僕たちが生きている民主主義資本主義社会はいつどのようにして成立したのだろう? 政治ってそもそも何なんだろう? 経済って何なんだろう? 景気って何なんだろう? お金って何なんだろう?(もちろん僕も詳しくは知りません!)
 多くの人は上記の問いかけに対して「そんなこと自分には関係ない!そんなことを考えてもしょうがないだろう!」と言うかもしれません。では一体何なら関係あるというのか?「宇宙の誕生なんて自分には関係ない!政治や経済なんて自分には関係ない!」というのなら一体どこからが自分に関係あることと言うのだろうか?どこからこの世界と自分の関係を線引きすればいいのだろうか?宇宙も政治も経済も僕たちはその中で生きているのだから関係ないと言い切れるはずがありません。関係ない関係ない関係ない・・・ と世界を狭めていくと最終的には目の前のことと自分のことだけしか考えられなくなっていきます。目の前のことしか考えられないと、変化し続ける世界の中で変わらないものを求め続け苦しむことになるのかもしれません。
 もちろん目の前にあることはとても重要です。それこそが自分の世界の全てとも言えます。目の前にある現実を力一杯生きることより重要なことはないでしょう。僕のように目の前にあることの外側ばかり考え続けるのも良くないことだと思います(笑)。しかし、目の前にあるものは目の前にないところで発生し、目の前からいずれ消えていくということを意識する考え方もまた重要だと思います。

ビッグヒストリーとリベラルアーツ
 ビッグヒストリーという新しい分野の学問があります。デイビッド・クリスチャンという歴史学者が1988年から始めた歴史学なのですが、これはビッグバンから現在までの歴史の全てを自然科学、社会科学、人文科学の分野を横断しながら考えるという学問です。その視野の広さゆえに全体的に浅くなりがちですが、その視野の広さこそがこれからの時代とても重要なのではないかと僕は考えています。断片化、細分化された様々な情報や知識を抽象化して統合し再構成し体系化する能力を養うために最も適切な入り口がこのビッグヒストリーという分野ではないかと思います。そして、ビッグヒストリーから得た視野の広さを深めるために重要なのが以前にも紹介したリベラルアーツ(簡単に言うと様々な本を読むということ)という考え方になると思います。

砂状化する社会~アトミズム~
 現在の超高度情報社会ではインターネット普及前には考えられなかったほど情報が氾濫しています。人々はあまりの情報の多さゆえに情報を取捨選択することをあきらめて、自分に都合がいい情報、自分が好きな情報だけを選択するようになっていく傾向があります。その結果、人は自分の世界に閉じこもり、社会は断片化、細分化され、砂状化していくのではないだろうかと思います。インターネット上で極限まで細切れにされた世界を人々が好きなように選択する状況を考えてもらえれば、社会の断片化、砂状化という言葉のイメージを持ってもらえるかと思います。また、少子化、高齢化、非婚化、単身社会、無縁化などの概念も砂状化する社会にグルーピングされると思います。砂状化を哲学や社会学の用語ではアトミズム(原子論)と呼ぶこともあります。
 哲学者のオルテガ・イ・ガセットが不朽の名著「大衆の反逆」の中で下記のように述べています。

(前略)すなわち、十九世紀によって組織づけられた世界は、自動的に新しい人間を生み出したが、その際、その新しい人間に、恐るべき欲求とそれら欲求を満足させるためのあらゆる面に関する強力な手段とを与えた。つまり、経済的手段、肉体的手段(衛生状態と平均的健康状態はそれまでのすべての時代に優っている)、市民的手段および技術的手段(技術的手段と言う言葉を、わたしは、過去の平均人にはなく、今日の平均人にはある、あの実用的な効力を持った膨大な部分的・具体的な知識と言う意味で用いている)がそれである。十九世紀は、平均人に前述のようなすべての力を与えた後で、彼を野放しにしてしまったのだ。ところで、平均人は彼の本質的な傾向に従って自分の中に閉じこもってしまった。かくしてわれわれは、かつてのいかなる時代の大衆よりも強力な大衆、しかし、従来の大衆とは異なり、自己の中に完全に閉じこもってしまい、自分は自足しうると信じ込み、何者にも、また誰にも関心を払い得ない(要するに手に負えない)大衆人と出会うこととなったのである。(後略)

 ガセットが1929年出版の「大衆の反逆」の中で述べていたことが、圧倒的なまでの社会的自由と物質的自由を基礎とする現在の超高度情報化社会によって今後ますます先鋭化していくのではないだろうかと思います。そして哲学者のサルトルが言うところの「自由な社会の中ですべてを自分で選択しなければいけない「自由という刑罰」」によって人はますます孤独に陥っていくのではないでしょうか。過去と比較して変化の規模はどんどん大きく速くなっていく、そんな超高度情報社会を生きる人々は社会の変化の規模の大きさと速さに目を背けるようにますます自らの世界に閉じこもり、世界はどんどん砂状化していくのではないかと考えています。

まとめ
 最後に言いたいことをまとめると、今後の「変化は大きく速く、人々が断片化し、砂状化する諸行無常の社会」の中でよりベターに生きていくために重要なことは、この世界のことをより大きな視点で俯瞰し学び考えることなのではないかと思います。大きく速く動く時代の中で断片化された目の前の事象だけを考えていてもこの世界のことを考えることは出来ないのではないかと思います。そのために最適な入り口がビッグヒストリーとリベラルアーツいう新しい切り口なのではないかと考えています。
 自分の存在を「より大きなものの一部である。」「全体の中の一部である。」「宇宙の一部である。」と考える近代以前までの社会に存在した考え方を現代風にブラッシュアップして再び取り戻すことが、これからの時代を生きるためのよりよい手段となると考えています。
ブログ総論 その2へ続く

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