蟻の社会科学

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「土地は捨てられるのか」 島根県の山林を相続の男性、国を相手に実験的訴訟

土地は捨てられるのか 男性、国を相手に「実験的訴訟」
朝日新聞:2017年12月4日20時16分
http://www.asahi.com/articles/ASKCY6787KCYUUPI003.html
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171204004582_comm.jpg
国に引き取りを求め、裁判で争った山林。敗訴した所有者の司法書士(右)は「国庫帰属の基準が必要」と話す=島根県安来市

■負動産時代
 人口は増え、不動産は価値を持ち続けるという「土地神話」を前提とした日本の土地制度が曲がり角を迎えている。
地方や都市郊外を中心に、資産価値を失って処分に困る「負動産」が広がる中、国も対策に乗り出しているものの、課題は山積みだ。 土地制度をめぐり対応を迫られている課題や見直しの動きを考える。
 いらなくなった土地を国に引き取ってもらおうと、国を相手に裁判を起こした男性がいる。 民法には「所有者のない不動産は、国庫に帰属する」(第239条)との規定がある。だが、どんな場合に国庫に帰属するかという基準はずっとあいまいだった。 「土地は捨てられるか否か」が直接争われた珍しい裁判となった。
 訴えを起こしたのは鳥取県米子市司法書士・鹿島康裕さん(41)。 2014年、島根県安来市の山林約2万3千平方メートルを父親から生前贈与された。 その3週間後、鹿島さんは山林の所有権を「放棄する」とし、所有者のいない不動産なので国が引き取るべきだと訴えを起こした。
 鹿島さんは、司法書士としての日常業務のなかで、持て余している土地を国や自治体に寄付したいというお年寄りらの相談をよく受けていた。 子や孫が地元から出ていき、このまま土地を持ち続けて大丈夫なのかなど、多くの人が不安を感じていた。
しかし、寄付を受けるかどうかは行政側の判断で、利用価値がなければ受けてもらえないケースがほとんどだ。
(後略)

 ルネサンスから始まった近代は科学革命、宗教改革プロテスタンティズム産業革命を土台とし、その上に経済学という手段を用いて現代社会を構成した。それらを支えた絶対的基盤は「科学の発展による人口増加」と僕は思っている。
 しかし上記の問題は近現代社会の根幹に疑問を投げかけているのではないか。人口増加を背景に絶対に動かない価値である「不動産」の普遍性を盲信することにより資本主義は成立してきた面が大きい。(日本のバブル経済も、先のリーマンショックも不動産神話が引き起こしたものだ。)いや、近現代社会に限ることではなく人類の歴史は土地を求める闘争こそが主題となってきたのではないだろうか。「土地を捨てる」という概念が生まれることこそ、社会の曲がり角であることを示す確かな証拠なのだろう・・・

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