蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

人は新しいことを知りたくない

 先日の記事で人の好奇心が加齢とともに減少していく件について書きましたがもう少し掘り下げてみたいと思います。
 タイトルの「人は新しいことを知りたくない」と聞けば少し違和感を感じるでしょうか。「人間は多かれ少なかれ好奇心を持っているのだから新しいことを知りたくないはずがない。」自然に考えるとこう思われるかもしれませんが、必ずしも人は常に新しいことを知りたがっているとは限らないのかもしれません。(本当に新しいことにまったく興味がない人もいます。)
 人は年齢を重ねるにつれ経験を重ねていきます。親にほめられた。友達が出来た。友達と喧嘩した。友達と仲直りした。頑張ってテストでいい点を取った。初めて恋人ができた。彼女に振られた。アルバイトしてお金を稼いだ。初めての就職。若いころは仕事が覚えられず怒られた。仕事を少しずつ覚えてできるようになった。仕事が認められた。給料が上がった。結婚した。子供が生まれた。会社に認められ昇進した!家を買った・・・・・・・・・・・・・様々な成功体験や失敗体験や決断の積み重ねこそが良くも悪くも、自信であり、誇りであり、アイデンティティであり、自らが作り上げた世界であり、安住の地であり、心の拠り所、城、聖域といってもいいと思います。
 表題の「新しいことを知りたくない」というのは「人は自らが作り上げてきたサンクチュアリ(聖域)の存在をおびやかされたくないという心理」を持っているということです。新しいことを知る、または「自分が知らなかったということを知ってしまう」ということは今日まで自信と誇りをもって築き上げてきた世界観が揺らぐ可能性があります。「新しいことを知って自分が作ってきた世界観が揺らぐぐらいなら、いっそ新しいことなど知らないほうがいい。自分が無知であることを絶対に認めたくない。自分が知らないこと、価値観が揺らぎそうなことは全て否定してやる。(世界観が揺らがない限りにおいては新しいことを知るのは構わない。)」と人が考えても、そう不思議なことではないと思います。そして歳を重ねるにつれ、その傾向は強くなるのかもしれません。
 人が歳とともに重ねる経験値を否定するわけでは全くありません。今日まで積み上げてきた経験というのは誰にも否定されることのない宝です。ただその経験だけを拠り所として、世界観が完全に固定され、世界が広がる可能性が閉ざされては面白くありません。時とともに固定され閉鎖されそうになる「自らのサンクチュアリ(聖域)」に閉じ込められないように、常に新しいことに好奇心を持ち、自らのアイデンティティを常に外の空気にさらす勇気を持ち続けることで人は新しい可能性を作り続けることができるのではないかと思います。