蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

人は死に、万物は流転する。だからこその愛と情熱。

 人は死ぬ。これは今までもこれからも未来永劫に避けられない運命だ。生命医療がどれだけ発達したとして、平均寿命が200歳になったとしても、この定めから人は決して逃れられない。
 だからと言って、人は絶望しながら生きているだろうか?「どうせ死ぬんだから何やっても意味無いよ・・・」と思いながら多くの人は生きているのだろうか?男女間で恋心が生まれ、愛し合ったときに「結婚して子供を作っても、どうせ生まれた子もいつか死ぬんだから子供なんて作ってもしょうがないよ。結婚しても意味無いよ。」なんて考えを前提とした「愛」は存在するだろうか?(結婚は子供を作ることだけが目的ではないことを付記しておきます。)
 俺は死ぬほどの経験をしたことが未だ無い。「死」を本気で意識したことは無いから偉そうなことは言えない。世の中には本気で自ら死を選ばざるを得ない状況にまで追い込まれた人も沢山いるということは否定は出来ないので、必ずしも人が「死」を意識しながら生きていないとは言い切れない。しかし多くの人はどんな状況に置かれても「死にたくない!」と思うのではないだろうか? 「死にたくない!生きたい!」「あいつが好きだ!好きなんだ!」「やってやるぞ!やってやる!」という情熱と愛こそが人の生きるための根源的な原動力なのだと思う。

 人には本来「生」や「性」について根源的な情熱を持っていると思うのだが、今の社会からどんどんその情熱が失われているような気がする。「どんなに仕事で頑張っても報われない感」「どんなに頑張っても努力を遥かに上回る社会状況の悪化」などがニュースがテレビやネットを通じてどんどん流れ込んでくる。この情報社会の中で生きていくと否が応でもそんな暗いニュースがどんどん目や耳に流れ込んでくる。そんなニュースに晒されながら人の情熱がどんどん失われていっている気がする。

 ここで言いたいのは「貧しくなる、それがどうした!」ということ。人が死ぬことは絶対逃れられない運命ではあるけれど、それに絶望しながら生きていく必要なんて何も無い。同じことで、これから日本社会が貧しくなるからと言って絶望する必要は無いということだ。
 恐らく2030年頃には平均所得は今の日本円に換算して 12万〜15万円/月 ぐらいになるのではないかと思う。そんな未来に向かっている日本社会の中で「会社が悪いんだ・・・」「政府が悪いんだ・・・」なんて小さなことを考えながら情熱を持てないままたった一度の人生を終わらせてしまうなんてすごくもったいないことじゃないか。なぜ絶対確実な避けられないわかっている未来に対して絶望する必要があるのか?
 人は「理解出来ないよくわからない」ことに対して大きな不安を持ってしまう。逆に「理解する」ことさえ出来てしまえばそれが悪い結果になるとしても不安はある程度和らぐ。これから「経済的に悪くなる」ということを理解してしまえばある程度、心の準備をしながら生きていけるのではないだろうか。
 もう一度言うが、たった一度の人生を「会社が悪い」「政府が悪い」「金持ちが悪い」「世界の悪の組織が悪いんだ!」なんて小さなことを思いながら、情熱を失いながら生きるのはすごくもったいない気がする。人は「経済的」に状況が悪くなる社会でも情熱を持って生きることが出来るのではないか?!


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