蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

このブログの哲学

 このブログは俺の主観で社会について色々と論じていますが、それに対して具体的に社会を良くする方法などは一切持ち合わせていません!!同時に反資本主義や反国家主義などの思想も一切持ち合わせていません。俺自身「高邁な理念を持ち、社会を改革しよう!」という清廉潔白な人間とは程遠い人間です。(このブログのタイトルに既に「ブラブラ」「適当」という無気力、脱力系の単語が含まれていますw)社会を改革しようなんて思い上がりの設計主義的思想は持っていませんが、俺なりに哲学的なことを書いてみます。
 そもそも理想の社会とは何なんだろうか?「みんなが幸福に暮らせる社会」「全員が無条件で平等な社会(共産主義)」「機会の平等と努力の対価が保障される社会(自由主義的資本主義)」そんな夢みたいな社会はこの地球上に存在していません。イデア界には理想社会が存在しているかもしれませんが、この現実社会にはそんなシャングリラは存在していません。
 現実社会はそんな理想社会とは程遠く、不満が渦巻いています。「政治が悪い!」「政府が悪い!」「官僚が悪い!」「日銀が悪い!」「円高が悪い!」「公務員が悪い!」「国民が悪い!」「国際投資銀行が悪い!」「大企業が悪い!」「経団連が悪い!」「会社が悪い!」「社長が悪い!」「上司が悪い!」「部下が悪い!」「高齢化が悪い!」「老人が悪い!」「少子化が悪い!」「若者の努力不足が悪い!」「女が悪い!」「男が悪い!」「アメリカが悪い!」「ギリシャが悪い!」「景気が悪い!?」社会には悪いことばかりです。上記の全てはひとつの視点から見れば確実に「悪いこと」に当てはまると思います。
 ニーチェ「事実など存在しない。あるのは解釈だけだ。」と東洋哲学的な言葉を残しました。理想社会という「真理(事実)」は未来永劫地球上に生まれることは無いのかも知れません。現実社会では上記のような「悪いこと(解釈)」が生まれ続けるでしょう。
 そんな社会の中で生きる「私」に、ほんの少しだけ希望があるとすれば「考えること」なのだろうと思います。「そもそも政府って何だろう?」「そもそも政治って何だろう?」「そもそも景気って何だろう?」「そもそもお金って何だろう?」「そもそも少子高齢化って何だろう?」「そもそも社会って何だろう?」・・・。勿論、そんな難しい問題に答えなんて存在していません。あるのは自分なりの解釈だけです。しかし、社会に対しての自分なりの解釈を沢山積み上げれば、「○○が悪い!」「××が悪い!」という不平不満からほんの少し距離を置けるかもしれないと思います。それは「社会を斜に見る孤高の哲人である私」を目指すということではなく、「社会の一部の私」としての何かを見つけることを目指すことだと思います。

 
 これは俺の漠然とした予感ですが、合理主義と近代化を極限まで突き詰めたこれからの現代社会は「責任」と「不満」が二極化していくのではないだろうかと思います。社会の中間共同体が失われつつある時代の中社会の中で剥き出しになった個人はその不満を自己責任の名の下に自分にぶつけて背負い込むか、「政府」「金持ち」「企業」にぶつけるかの殺伐とした社会になっていくのではないだろうか。そんな時代の中で「私」が出来ること。それは「考える」ことによって「私」というかけがえの無い存在を社会の中で位置付けることなのかもしれません。
(端的に言うと「実存主義」→「構造主義」→「ポスト構造主義」→構造主義実存主義ということかなぁ???)