蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

カオスの深淵 7月1日〜ブータンとGNH(国民総幸福量)〜

 主に西洋社会の人類が数百年進めてきた一大プロジェクト「自然科学と人間の統合(合理主義、Americanism)」。科学と論理と理性によって社会の全て、人間の思考さえも合理化しようとする一大プロジェクト。
 その合理性と緻密な論理は人間に「自由と権利」と言う普遍的な権利を与え、宗教や王様を社会の主役から引き摺り下ろし、過去の非合理的な社会と決別した「自由民主主義社会」を作り上げる大きな原動力となりました。そして科学技術の発展、経済学の発展などにより人類(主に先進国)をかつて無いほどの高みへと押し上げました。
 しかし、現在では徹底的な合理主義社会がもたらした負の遺産(少子超高齢化社会無縁社会、新たな格差階級社会、金融資本主義など・・・)が社会をコスモス(秩序)からカオス(混沌)に陥れています。そのカオスの源を探る朝日新聞の連載シリーズ「カオスの深淵〜市場の正体〜」について俺なりに考えてみたいと思います。
はじめに
 日本には「日本共産党」という素晴らしい政党が存在しています。言うこと一つ一つが素晴らしい理論であり、「なるほど!」と納得してしまう唯一の政党だと思います。惜しむらくは、日本共産党の唯一の欠点は「実現可能性がまるで無いこと」ということになるかと思います。(しかし実現可能性が無くても、理想論を発し続ける日本共産党は「確かな野党」として日本社会の中で充分存在意義があると思います。)
ブータンとGNH(国民総幸福量
 リーマンショック以降、世界は近代社会の運営に行き詰っています。そんな時代の中でブータンという国の名前をよく聞くようになった気がします。ブータンは国はGDP国内総生産、経済の豊かさ)によって国民の幸せを計量するのではなく、GNH(国民総幸福量、生活や心の豊かさ)によって国を運営していくべきだとの目標を持っています。確かに人間はお金だけが幸せの尺度ではない。お金以外にも幸せというものは沢山存在しているとは思います。お金で表すことが出来ない幸せ、GNH(国民総幸福量)という尺度で国家の運営を行おうというブータンは正に「近代社会のアンチテーゼ」として今後も注目を持たれていくと思います。
日本共産党ブータンの限界
 しかし、どんなに素晴らしい理念も現実の前では無力なようです。「GDPではなくGNHを!」という信念を国家の根源と定めたとしても、「近代化、経済成長」という絶対に止めることが出来ない荒波は地球全体を覆っていくようです。朝日新聞の記事を読むと、経済成長を必ずしも第一の目標としないブータン社会にも確実に「経済」というメカニズムが浸透しているようです。ブータン社会全体がグローバル経済という巨大な力学に無意識のうちに組み込まれ、人の心理もいつの間にか「GNHからGDPへ!」と変化しているように思われます。
 共産党の「平等」という概念や、ブータンの「GNH」という概念は、確かに反論することが出来ない素晴らしい理念だと思います。しかし、近代化という時代は、理念や理想というものを無慈悲なまでにグローバル経済という巨大でメカニズムの中に組み込んでいくようです。そしてこの巨大な時代の流れを止めることは出来ません。
 もはや現代社会は古き良き時代を維持したり、回帰したりすることは不可能なのでしょう。地球上の多くの社会は望もうが望まざるが「近代化」という大きな波の影響を受けていくのでしょう。時計の針を戻したり維持したりすることはもはや不可能なのでしょうが、時計の針を進めて「未来」「近代化の末路」を考えることだけが唯一残された手段なのかもしれません。

関連記事
ナウル共和国