蟻の社会科学

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社会のマクドナルド化とマックジョブへの回帰

マックジョブとは?
マックジョブ(McJob)とは、低賃金、待遇劣悪(長時間労働、異動転勤当然)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事の総称。一般に、ファーストフード店などの創意工夫を必要としない機械的な動作を繰り返す業務を指す。「マック」はハンバーガーショップのマクドナルドにちなむ。(wikipedia)より引用。
 
 例えば家を建てる場合。一昔前まではねじり鉢巻をして「てやんでえ!」と言う威勢のいい職人気質の大工さんの情熱と腕前に家の良し悪しは掛かっていたと思う。大工さんの長年の経験と勘による「ノミの打刻」や「カンナの削り具合」に建物の品質が掛かっていたのではないかと思う。時は過ぎ現在、建材は工場で生産されている。工場のNCルーターでミクロン単位で建材を削りだし、大工さんの経験や技術と同等の品質の建材が、工作機械によって作られている。「経験」や「技術」や「勘」という職人気質は重要性を失い「マニュアルに沿ってNCルーターのボタンを間違わずに押すこと」が良質な建材の製造の本質となった。
 マックス・ヴェーバーの「鉄の檻」という概念を受け継いだ社会学者のジョージ・リッツァが「社会のマクドナルド化」という言葉で表したように)社会はどんどん合理化、規格化、マニュアル化、システム化、レシピ化、マクドナルド化されていっている。労働もどんどん「マクドナルド化」が進んでいる。現在の労働は「情熱や意思」ではなく、「規格化、合理化、マニュアル化、システム化された仕事をロボットのようにそつなくこなすこと。」が労働の本質になったと思う。
 とは言えそれが近代化による無機質な時代の産物とも思わない。近代以前の階級社会では現代と同じように機械のように単調な労働を死ぬまで繰り返す社会だったのだ。農民の子は親の土地を相続して死ぬまで同じ土地で農作物を作り続ける。職人の子は親の職業を継ぎ、死ぬまで同じ物を作り続ける。武士の子は死ぬまで武士の子として生き続ける。即ち近代以前の社会は「マックジョブ」の時代だったと言えるのではないだろうか。
 「自由と成長の時代」は西洋型社会の人間に無限の夢を与え続けた。経済成長による新しい仕事や産業の発展。それはやりがいのある仕事が存在するという夢を人に与え続けた。しかし、経済成長の終焉と社会の徹底的な合理化とシステム化により、西洋型社会の人類は結局一周して「合理化という鉄の檻」に囚われ、再び「マックジョブ」に回帰しつつあるのだと思う。もちろん「マックジョブ」ではなくクリエイティブなやりがいのある仕事についている人もたくさんいると思う。でも多くの人はどちらかと言えば「マックジョブ」に近いルーティンワークに従事しているのではないだろうか。近代以前の社会の労働も、近代の「自由と成長」の時代を経ても、人類はどうやっても「マックジョブ」から逃れられないのかもしれない。結局労働とは最終的にはやりがいを見つけられない、目的のないルーティンワークになってしまうのかもしれない。
 何も俺は労働の重要性を否定するわけではない。労働がなければ社会は成り立たない。それとは別に考えて「多くの人にとって労働とは、どんなに社会が進歩しようとも、結局はやりがいのないルーティンワークに辿り着く。」と仮定すると、今まで信じられていた「労働の聖性」がこれからの時代、非常に不安定になっていくのではないだろうか?「労働の重要性」についてを再び考えなければいけない時代なのかもしれないと思う。