蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にシステム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

「金が無いなら金を刷ればいい。」という考え方

 自民党は4日、東日本大震災の復興や災害対策のため、10年間で200兆円の公共投資を行うことを柱とした「国土強靱(きょうじん)化基本法案」を衆院に提出した。大規模な投資を景気回復につなげる狙いがある。民主、公明両党などにも成立へ向けた協力を求める。
(2012年6月4日20時25分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120604-OYT1T01029.htm
 
 「金が無いなら金を刷ればいい。」という論法がまかり通るなら、そもそもこの世界に経済的な問題は発生しない。ECBがギリシャ国債を全部買い取って、さらにギリシャに200兆円の公共投資を行えばギリシャ発の経済問題は全て解決するはずだ。さらに極端なことを言えば国家が国民全員にベーシックインカムとして毎月10万円ずつ配ればいい。そうすれば現在騒がれている生活保護の問題など存在しないも同然だ。もっと究極的なことを言えば、先進国が金を刷って世界中の人に配れば地球の全ての人が貧困から解放される。
 「金を刷れば全てが解決する。」と言う人が主張することは上記のようなことだと思う。でもそんなことで経済問題が解決するなんて誰一人思わないだろう。管理通貨制の社会ではお金は無限に発行することは出来るが、お金の「価値は有限」だ。そのお金の価値の有限性を決定するのは「マーケット」だ。お金(の価値)は既に我々の手を放れ、その価値決定権の一部はマーケットに委ねられている。そして、金を無限に供給することは可能だがマーケットに供給される人の労働力は有限だ。
 「お金を刷れば全てが解決する」という考え方に何か大きな違和感を感じる。「お金を刷れば全てが解決する。」という考え方は「少子化」「非婚化」「高齢化」「失業」「生活保護」「無縁化」「インフラの老朽化」・・・etcなどの社会問題の全てを、お金という一元的なフィルターを通して矮小化していると思う。
「お金を刷っても問題は何も解決しない。」