蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

需要と供給。金融経済と実体経済。静学と動学。

はじめに
(この記事は長いので全部読むには根気が必要です。暇で奇特な方がいれば読んでいただければ幸いです。)
 このブログに経済学というカテゴリがありますが、別に俺は経済に詳しいわけではありません。遠い昔、学生時代に経済を学んだ気がするが、現在はただの好事家であり本を読んで適当に経済について書いているだけです。単なる在野の好事家として経済を勉強した思ったことは「経済学に答えはない。経済学に社会学や哲学を組み込めばもはや経済学はさらに不明瞭になる。」ということになりました。あまりにもミクロに細分化された経済学はもはやよくわからない。よくわからない経済学ではあるが過去の膨大な蓄積により、緻密に体系化されているので、この高度情報化社会では誰でも経済について考えることが出来るようになったのではないかと思います。単なる素人ではありますが、経済のエッセンスについて自分なりの考えをメモってみようと思います。
 最初に極端な思考実験。もしも、この世に働く人が一人もいなかったら・・・。誰一人働かない世界で金銀財宝、原油、ドルやユーロや円が有り余っていたとしたら・・・。もしも、世界中の全員がビリオネア、億万長者だとしたら・・・。誰一人働かない世界で金や銀や原油、紙幣が有り余っていたとしてもそれは全く価値がないものです。金や銀や原油や紙幣を山のように持っていたとしても、誰一人働かない世界ではモノやサービスと交換することが出来ません。即ち、当たり前の話ですが経済の究極的な根源は「人の労働」だと思います。地中から掘り出される金銀や原油、または銀行や政府の帳簿を書き換えることによって生まれる紙幣や国債自体に価値があるわけではありません。「人の労働によるモノやサービスの供給」という確固たる基礎が存在してこそ金銀や原油や貨幣に「富」という付加価値が存在するものだと思います。これは現代だけではなく有史以前の人類の経済にも当てはまる普遍の原理だと思います。「人の労働こそが経済の出発点」であるというアダム・スミスジョン・ロックの思想までさかのぼり、それを橋頭堡として経済について考えてみようと思います。


需要と供給
 ニーチェは「事実など存在しない。あるのは解釈だけだ。」と言いましたが、経済も「答えなど存在しない。あるのは解釈だけだ。」と言えると思います。経済の解釈について二大潮流は、供給サイドを重視する「古典派」と需要サイドを重視する「ケインズ派」。この二つに究極には絞られると思われます。
 供給が成長しなければ、需要が成長しない。需要が成長しなければ供給は宝の持ち腐れになってしまう。需要と供給は経済成長の両輪であり、どちらのほうが重要という話ではないと思います。「需要と供給」は「鶏が先か卵が先か」という解釈になると思います。経済の両輪である「需要」「供給」について各々を構成する要素について考えます。
「需要サイド」を構成する要素
その1「必要性」についての考察
その2「希望」についての考察
その3「労働人口の増加」についての考察
「供給サイド」を構成する要素
その1「分業の発達」についての考察
その2「比較優位」についての考察


金融経済と実体経済


寝る。明日以降へ続きます。