蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

【29冊目】 (日本人) 橘玲

 橘玲は以前から興味がありましたが、なんとなく読む機会が無く今まで読んだことはありませんでした。新刊の(日本人)が売れているらしく、これを機会に本書を購入しました。
 本書は「日本人とは何か?」という「日本人論」です。博学卓識の橘氏が様々な文献を引用しながら「日本人とは何か?」を考察していきます。政治、経済、歴史、文化人類学、宗教、さらに進化心理学、動物行動学など様々な分野に話が及びます。故に「日本人論」という焦点がぼやけてしまうことと、考察の範囲が広いのでその一つ一つが駆け足の説明になりがちな点に批判が集まるかもしれません。
 専門家から見ればすべてが駆け足の説明で不十分かもしれませんが、橘氏は「細分化された専門分野に特化する学者」ではなく「作家」です。様々な分野をつまみ食いしながら全てを(強引に)纏め上げて一つのメッセージを込めたわかりやすい作品を作れるのが「作家」なのかもしれないな・・・と思いました。読みやすさで定評がある(らしい)著者なので、文章自体は平易なのですが、考察の分野が広く浅く多岐に渡るので、ある程度政治哲学や経済などに馴染みを持っていないと著者のメッセージを理解するのは難しいかもしれないと思いました。
 それはともかく本書の書評を忘れないうちにメモっておこう。俺には著者のメッセージが理解できたかわかりませんが、俺なりにアレンジしながら本書の要点をまとめてみます。(枠組の中の文章は俺が本書を端折りながら曲解?して書いています。)


ムラ社会、日本
ムラ社会」と揶揄される日本社会は決して特別な社会ではない。近代以前の農耕社会では「職業選択の自由〜♪」など存在するわけもなく、一生、閉鎖された共同体の中で暮らさなければいけない退出不可能な社会だった。そのような社会では村八分を避けるために「全員一致」というコンセンサスの形成こそが共同体運営の原則となる。それはアジアではありふれた共同体運営形態であり日本だけが特別ではない。
 「全員一致」を原則とする社会では、問題が起こったときは共同責任として「責任の無限遡及」となってしまうことがある。退出不可能な社会で責任の無限遡及を行えばいずれ社会は弱体化してしまうので、究極的には責任の所在が曖昧になる「無責任社会」となってしまう。それこそが原発問題で責任の所在が曖昧となっている日本社会の本質である。

世界で一番世俗的な民族、日本人
 世界価値観調査によると「Q、あなたは進んで国のためにたたかいますか?」「Q、あなたは自分の国の国民であることに誇りを感じますか?」「Q、権威や権力はより尊重されるべきですか?」これらの設問に対し、全て世界で一番「yes」と答えた割合が低かったのは日本人だ。ムラ社会、共同体を尊重すると思われている日本人は実は世界で一番、自由と自己実現を求めている。それこそが日本人の本質である。無縁社会と呼ばれる共同体の崩壊現象は自由を求める日本人の本質と深く関わっている。

グローバリゼーション、グローバルスタンダードと日本人
 「退出不可能」の農耕社会のローカルルールを基礎とするの日本社会。その対極にある「自由自在に退出可能」なギリシャのポリスを基礎とする西洋社会。退出不可能な社会では「全員一致」を原則とするが、退入室が自由自在な社会では「全員が守らなければいけないルールの徹底」を原則とする。様々な人が入れ替わる社会ではルールがなければ無秩序となってしまうので、ルールを徹底しルールを守れない人は退場してもらう。それこそがグローバルスタンダードである。
 世界全体がグローバルスタンダードに統一されていく中で「全員一致」というローカルルールから「全員が守らなければいけないルールの徹底」というグローバルルールに変われない日本社会。「古きよき時代を守ることこそが善である。」という考えが正しいとか間違っているとかではない。強制的に全世界的にグローバルルールの適用が求められている時代に適応できない日本社会は混乱要因が満ちている。
 そんなグローバリゼーションの中で、共産主義保守主義も、リベラリズムコミュニタリアニズムも、ネオリベラリズムネオコンサバティズムも、やがてはリバタリアニズムに飲み込まれ最終的にはアナルコキャピタリズムに辿り着くのではないだろうか。

電脳空間の評判経済〜サイバーリバタリアニズム
 人はこれからの時代、「貨幣」ではなく「評判、評価」に重きを置いていくかもしれない。インターネット上では「食べログ」や「インターネットオークション」のように評判だけが存在意義になっていく。そんな電脳空間の評判経済時代の中で「私」という存在は、今までの時代の視点からは定義できない「私」になっていく。
 そんな過去の視点からは定義不可能な「私」が多数存在するこれからの時代。リバタリアンのロバート・ノージックが述べたように「国家の役割は社会の最小限のフレームワークだけを提供する【夜警国家】となること。」そして、その国家のフレームワークの中で、退出可能な様々な共同体を作り出すこと。それが近代の完成形である。
 その近代の完成形に世界で一番先に辿り着くことこそが、「無縁社会」という言葉で表されるように世界で最も世俗的であり、自由を求める日本人に課せられた使命なのである。

まとめ
 駆け足で本書の内容を俺なりにアレンジして要約しました。(俺のあまりの曲解でこの本を読んだ人に叩かれそうですが)著者が言わんとすることは「誰も見たことがない新しい時代(ポストモダン)への到達」だと思います。しかし、誰も新しい時代を見たことありません。そして、著者も本書の中で新しい時代の具体像を示すことはしていません。
 新しい時代の具体像を示す前に、近代の中に存在する「現在の日本人」の形を浮かび上がらせるこの仕事は非常に興味深いものだと思います。
 最後に。いい本だと思いますが人間の行動を基礎付けるために進化心理学や動物行動学などの科学を濫用するのは「?」と思います。個人的意見ですが人間の行動を脳科学などと結びつけるのがあまり好きではありません。「脳科学進化心理学では人間のこのような行動はこのように説明できる。」という考えが進んでしまえば究極的には人間はもはや人間ではなく「人間というモデル」なってしまうのではないだろうか?最終的には「人間とはこうだ!」という論破不可能な人間のモデルが構築されてしまうのではないだろうか?科学によって裏打ちされた「完全な人間のモデル像」が構築されてしまった時、それこそが近代の終わりなのではないだろうかと思います。

(日本人)

(日本人)