蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

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近代の終わりと未来の人間

 適当にポストモダンについて考えてみる。(今回の記事は読んでいて暗い気持ちになるかもしれないが、俺は基本的に未来は明るいと考えている立場です。
はじめに


時代の定義なんて後世の人間の勝手な定義でしかない。
「近代→現代」が始まったのはいつからなのだろうか?近代の始まりの定義は色々あります。ルネッサンスこそが近代の始まりだったのかも知れないし、宗教改革が近代の始まりだったのかもしれません。もっと範囲を絞れば産業革命が近代の始まりかもしれません。フランス革命」「アメリカ独立戦争が近代の始まりかもしれません。日本では明治維新」から始まった明治時代の「殖産興業、脱亜入欧こそが近代の始まりだったと言っても差し支えはないと思います。いつから「近代」が始まったのかは定義は様々あるでしょうが、とにかく数百年前の西洋から「近代」が始まりました。
 しかし、時代の定義なんて後世の人間が勝手に定義しただけの主観でしかない。「鎌倉時代は1192年(1185年)に始まり、1336年まで続いた。」「室町時代は1336年から始まり、1573年まで続いた。」と後世の人間が勝手に区分してるだけの話に過ぎない。俺が西暦1300年頃の昔にタイムスリップして鎌倉時代室町時代の農民の人に「今は鎌倉時代なんですよ。1336年から室町時代になるんですよ。」と説明したところで
「(゚Д゚)ハァ?幕府が変わる?時代が変わる?俺には関係ねーよ。俺は食糧作って生きているだけなんだから幕府が変わろうがそんなもん俺らには関係ねーよ。」
と言われるだけであり、現代の視点から見た「鎌倉時代」「室町時代」という時代区分について理解してもらうのは困難だろう。江戸時代末期にタイムスリップして武士の人に「江戸時代が終わって近代が始まるんですよ。」と説明したところで
「(゚Д゚)ハァ?お前、頭大丈夫か?江戸幕府がなくなるわけ無いだろ。近代って何だ?今は今だろ?」
と言われてしまうだろう。その時代の中で生きている人にとって時代が移り変わるなんてことを理解するのは困難だ。
 今回のタイトルである「近代の終わり」を説明するのは、上記と同じように難しいかもしれない。「数百年前に西洋から始まった近代と言う時代が終わるんですよ。」と言ったところで(゚Д゚)ハァ?と思われるのがオチだと思います。しかし、もしも、100年後、300年後に人類が存在しているとしたら、彼らは恐らくこのように時代を区分すると思います。「数百年前に西洋から始まった近代という時代は21世紀の中盤で終わったね。」と。未来の人の視点から見たら、我々が生きる現代は未だに近代の延長線上でしかない。


近代の定義と近代の終わり
 そもそも近代の定義とはなんだろう?近代の定義も様々あるかとは思いますが、よくある視点から近代を考えると「近代とは理性、論理、科学の時代。抽象的論理と科学が人間と社会に融合される時代である。」もっと端的な言葉で言い表すと「近代化=抽象化、モデル化、規格化、合理化、機械化、効率化、システム化、マニュアル化、パターン化、レシピ化、マクドナルド化・・・etc」社会の全ての事象に対して抽象的で合理的な型枠(モデル)を作り、そしてその型枠の中で最も効率的に生きることを目指す社会こそが「近代」なのだと思う。そして、近代はテイラー主義フォーディズムケインズ主義などを生み出し、圧倒的な経済的成功と科学技術の発展の下に西洋型社会の全てを科学的管理法の支配下バラ色の世界に導いたように思えるが・・・。
 過ぎたるは及ばざるが如し。行き過ぎた合理化、効率化、自由はやがて社会を底辺からグダグダに分解していってしまう。近代化による社会の分解現象を端的な言葉で表現すると「少子化社会」「高齢化社会」「(論破不可能な)格差社会」「無縁社会」「非婚社会」「ニートの増加、生活保護の増加」etc・・・。特に少子高齢化による労働人口の減少、投資意欲の減少は資本主義においては致命的だ。21世紀の中盤までに世界的な少子高齢化現象により、近代は終わりを迎えると思う。合理主義によって社会を動かす時代は終わりを迎えると思う。


未来の人間
 未来は複雑であり全くわからない。明日核戦争が起こるかもしれないし、1年後に地球に小惑星がぶつかるかもしれない。3年後に宇宙人が現れるかもしれない。未来のことなど何ひとつわからない。未来はわからないが、現在がこのまま続くとした仮定で2030年〜2100年の未来を想像してみる。2030年〜2100年には現在の先進国はかなり少子高齢化が進んでいる。「遅れてきたJAPAN」である現在の新興国が世界経済を牽引し続けるであろうが、現在の先進国は停滞感が漂っていると思われる。
 近代の最先端を行く日本(先進国)をベースに未来の人間の心理を考えてみよう。身も蓋も無い言い方になるかもしれないが未来の日本(及び現在の先進国)は廃墟だらけになるだろう。世界的な経済成長時代に作られた建物やインフラは「人口の停滞と減少の時代」「労働人口の停滞と減少の時代」「高齢者の増加の時代」を迎え、使われることもなく取り壊されることもなく、ただただ放置されていくと思われる。未来がどのような時代になるかは断言は出来ないが、このまま時代が進めば恐らく未来は「停滞と廃墟の時代(あくまで現在の視点から見ての話だが)」を迎えると思われる。
 そんな時代を生きる人間が現在の人間と同じような志向を持って時代を生きるであろうか?
「playstation20よりplaystation21の方が面白いよね!」とか
「windows28の方がwindows27より使いやすいよね!」とか
「昔ってテレビの解像度は1920x1080だったらしいよ。今は19200x10800だからテレビは綺麗だから面白いよね!」とか
「やっぱり大学へ行ったほうがいいよね!」とか
「やっぱりフリーターより正社員のほうがいいよね!」とか
「公務員は民間より安定だね!」とか
「成長こそが全ての解!」とか・・・
 現代と同じ思考を持ちながら未来の人間は生きているのだろうか?「停滞と廃墟の時代」を生きる未来の人間は恐らくそんなことは考えないだろう。現代社会のシステムや経済成長を是とする概念はあまり存在していないと思われる。未来の人間が思うことは、朽ち果てた道路やビルを見ながら「昔の人間って何で馬鹿みたいにこんなにたくさん建物を作ったんだ・・・!?」
 上記の内容は俺の単なる想像に過ぎない。未来のことなんてわかりっこない。未来のことはわからないが、数十年後の未来はもう始まっている。現在は過去と未来の交差点だ。近代社会の世界最先端を行く日本と、そして僕たちの心の中から新たな未来が生まれ始めているのかもしれない。


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