蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

絶対他力!他力本願!

 俺が住む北陸地方は歴史的背景から浄土真宗が盛んです。北陸地方の墓は「○○家之墓」と刻印されておらず、多くが「南無阿弥陀仏」と刻印されています。地元の寺は地域の集会所みたいな役割を果たしていて、仏教に興味がなくてもなんとなく地元の人は寺に集まっていました。そんな土地で生まれた俺も子供の頃から何となく寺に行ったりして、そこはかとなく仏教に興味を持っています。
 浄土真宗の開祖であり、偉大な哲学者であり、ハイデガーも興味を持ったという親鸞聖人の「絶対他力、他力本願」をベースに社会を考えてみたいと思います。俺は親鸞聖人を勉強中でたいしたことは書けませんが、他力本願という考えを俺なりに抽出してアレンジして考えてみます。

 「自分の力で生きている人はこの世に一人もいない!」
という言葉を聞けば、何か違和感を感じるだろうか?自分の努力でお金を稼いで生活している人がこの言葉を聞けば何か違和感を感じるかもしれない。「俺は自分の努力で今の地位を築いて今の生活を成り立たせているんだ!全ては俺の努力だ!」と思うかもしれない。
 それは一つの観点から考えると確かな事実だが、別の観点から考えると事実ではない。例えば「食糧を作る人がいなくなれば人は死ぬ!」という事実も存在するし「石油を掘り出す人がいなくなれば世界経済がストップしてしまう。」という事実も存在する。自分の努力によって稼いだと思われるお金も、実はありとあらゆる人の努力によって構成される社会のほんの一部分を切り取っただけに過ぎない。
 今、俺がこのブログを書いて発信しているのも俺の力では全く無い。パソコンを作ってくれた人がいて、ウィンドウズを作ってくれた人がいて、通信網を整備してくれた人がいて・・・。その無限連鎖の上に成り立つ果実を俺が利用させてもらっているだけであり、このブログを書けているのは俺の力ではない。「だから何だ?」と問われれば何も言えないが、一つ言いたいのは「人は自分の力だけで生きているのではない。」全ての人が、ありとあらゆる他人の力によって生み出される連鎖の果実によって生かされている。それを忘れてはいけないと思う。
 しかし、「自己責任」という風潮は全ての責任を個人に押し付けようとする。でも「成功は個人の手柄、失敗も個人の責任」という風潮なんて笑い飛ばせばいい。「自己責任!」なんて強調している偉い人ですら自分の力だけでは生きていないのだから。