蟻の社会科学

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我々が働く理由 その2

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「『生きるために仕事をしている』という言葉すら、私に言わせれば甘えています。生活という逃げ場を無意識で作ってしまっているからです。これでは24時間100%の力など到底出せる訳がない。どうか皆さん、『生きるために仕事をしている』という意識で仕事をしないでください。『仕事をするために生きている』という意識でこれからは生きてください。倒れるまで働いて起き上がれる分だけの睡眠をとって、また倒れるまで働いてください。本来、仕事というのはそうやって覚えていくものなのです。」
 2chで見つけた某社社長の入社式での訓辞。2chで拾ったので真偽の程はわかりませんが。近代のプロテスタントベンジャミン・フランクリンでさえ青くなりそうな労働観です・・・wこのような労働観が幅を利かせる社会では過労死や心の病を患う人が増えるのも何となく理解できるような気がします。。。

働く理由モデル図
 
 我々が働く理由 その1でも書きましたが、人が働く理由というのは究極的には二つになると思います。
1、個人的理由=金を稼ぐため(生きるため) 
2、社会的理由=社会システムを維持するため 
 こんなことは当たり前のことであって、敢えて言及する必要も無いかもしれません。「労働観、労働とは何か?」を考えるときに重要になってくるのは、こんな当たり前の理由ではなく「個人的理由」と「社会的理由」の「中間にある理由」になるのだろうと思います。
 過去から現在において「働く理由」なんて社会の中で真剣に考えられることもなかったと思います。根底にあったのは「労働は尊いという、労働に対する無条件の忠誠心」であり、上記の某社社長の訓辞のように「働くことに理由は無い。働くこと自体が人生最大の目的である。」というプロテスタンティズム風味の労働観こそが主流だったと思われます。「働く」なんて当たり前過ぎることであって、そこに深い理由は存在していませんでした。「労働に対する無条件の忠誠心」を根底として、働きながら「自己実現」や「社会的ステータス」や「社会貢献」や「納税の義務」など、「働く(中間の)理由」を見出していたのだと思います。
 しかし、近年になって「労働に対する無条件の忠誠心」を持たない人たちが増えてきています。それはニートであったり、個人投資家であったり、ヘッジファンドであったり、ゴールドマンサックスのような投資銀行であったり・・・。ニート「働いたら負け!」という価値観やヘッジファンドなどの「金こそが全て!」など労働に対する無条件の忠誠心は社会の中で失われつつあるように思います。
 なぜ労働に対する忠誠心が失われつつあるのか?それは結局、人類(先進国)は究極目標の一つである「働かなくても生きていける社会」をある程度実現してしまったからでは無いだろうか?ニートは働かなくても餓死することは無いし、ヘッジファンド勤務者も労働力を社会に供給しなくても、社会システムが崩壊することは無い。働かなくても困らない社会が実現されてしまえば、ニート個人投資家や怪しげなヘッジファンドが増えることはもはや必然なのではないだろうか?

古代から近代までの労働観は「生きるために働く!」
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