蟻の社会科学

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リフレ論とベビーシッター協同組合

 「リフレ派(リフレーション、インフレーション)」と呼ばれる一大勢力が存在します。リフレ派にも諸派が存在すると思いますが、リフレ派の原理を端的に書くとお金が無いならお金を刷ればいいじゃない!」という方向性であり、景気回復、経済成長のためにお金を刷ればいいという立場だと思われます。「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない!」と言い放ったされるマリー・アントワネットを想起させる結構過激な思想であると思います。代表論者としては麻生元総理、亀井静香国民新党代表、森永卓郎さん、三橋貴明さん、みんなの党でしょうか。
 リフレ論について検討するために、まず最初に経済学者ポール・クルーグマンがよく引用する「ベビーシッター協同組合」というモデルを記載します。リフレ論を考えるときによく引き合いに出される有名なモデルです。


【ベビーシッター協同組合の危機】 
 一九七〇年代にワシントンDCの専門的な職業をもつ人々が自らそれと意図したわけではないが、たまたまマクロ経済に関する一種の実験を行ってしまったことがある。ジョーン・スィーニーとリチャード・スィーニー夫妻 (Joan and Richard Sweeney) は彼らの失敗を「金融理論とキャピトル・ヒル・ベビーシッター協同組合の危機」 (現代: Monetary Theory and the Great Capital Hill Baby-Sitting Co-Op Crisis) と題する奇抜な論文で紹介している (Journal od Money, Credit and Banking, 1977, February, Vol. 9 (1), Part 1, pp.86-89)。
 話は次のようなものである。専門的な職業につく子持ちの若い共働きのカップルが、互いの子供を世話し合うというベビーシッター協同組合を設立した。この種の仕組みで重要なのは、負担が公平に分担されるということである。この組合では一時間のベビーシッターを保証するクーポン (紙幣) を発行して自らの帳尻を合わせるようにベビーシッターをし合うという仕組みが用いられた。クーポンはベビーシッターをする度に、譲り渡されるのである。
 少し考えれば、この仕組みが働くためには十分なクーポンの流通が必要なことがわかる。自分たちがいつベビーシッターを必要とするか、またいつ他の夫婦のためにベビーシッターをしてあげられるかは正確には予想がつかない。このため、まず、どの夫婦も他人のためにベビーシッターをして、自分たちが何回か外出できるようにクーポンを幾枚か貯めておきたいと考えるであろう。
 協同組合が設立されてからしばらくして、問題が生じた。クーポンの流通量が減ってきたのである。この理由は説明するまでもないことだが、奇妙な結果をもたらした。平均して、夫婦は希望するほどのクーポンを蓄えられなかったため、外出するのを控え、ベビーシッターをしようとする。しかしベビーシッターの機会は他のカップルが外出することによって初めて生まれるのだから、皆が外出を控え始め、クーポンを使わなくなってしまえば、全体としてクーポンを得る機会が減り、外出に慎重な態度に拍車をかけることになる。つまりクーポンをもっと獲得するまでは外出したくないのだが、他の誰もがやはり外出しようとしないため、クーポンを貯めることができない状態に陥ってしまったのである。
 要するに、ベビーシッター協同組合は不況に陥ってしまったのである。協同組合のメンバーには法律家のカップルが多かったので、協同組合の役員には、これは金融問題であると説明することは難しかった。代わりに彼らは、例えば最低月二回は外出することを義務づけるなどの規則による問題解決を試みたりした。長い間の試行錯誤のあげくに、やっと協同組合はクーポンの供給量を増加させた。その結果、法律家たちにとっては奇跡とみえるようなことが起こったのである。カップルは外出できるようになり、ベビーシッターの機会も増え、これはさらにカップルが外出する意欲を刺激したのである。
 話はもちろんここで終わらない。クーポンの供給を増加しすぎたため、インフレが生じてしまったのである。この話は、不況も好況も決して深遠でも不可解でもないことを示している。複雑な面があったとしても、実際に起こっていることの本質は子供劇のようにわかりやすいものである。

 このモデルは正しいと思います。ベビーシッター協同組合の中で「子守」の需要と供給を円滑に交換するためには十分なクーポン券を発行し流通させないと、組合の子守活動が滞ってしまうのは直感的に理解出来ます。
 組合員が100組だとして、そこにクーポンが10枚しかなかったとしたら、とても100組の需要と供給を満たせるクーポンの量だとは思えません。100組の組合員に対して何枚が適当な量なのかはわかりませんが、需要と供給を均衡させる適切な量(1000枚ぐらいかな?)のクーポンを発行、流通させないと協同組合の活動がうまくいかないだろうというのは想像できます。2000枚発行した場合にはクーポン券の価値が半分になりインフレになるというのも直感的に理解できます。また組合員が増えた場合には、増えた分だけ適宜クーポン量を増やさないと組合は再び不況に陥ってしまうでしょう。
 このモデルは正しいと思いますが、マクロ経済に適用するとなると疑問を持たざるを得ません。その理由として第一に、このモデルは「需要と供給が旺盛な若い共働きのカップル」という極めて限定的な人物像を協同組合(社会)の構成員として設定しています。「需要と供給が旺盛な社会において適当な量のクーポンを発行しなければいけない。即ち、経済成長が旺盛な現在の新興国(日本の場合は1950年〜1990年頃)では需要と供給の拡大に応じてお金の量を適宜増やさなければならない。」というのはある意味では当たり前のことであって、このモデルをもってリフレ論を正当化することは不可能だろうと思います。
 日本経済(または西欧先進国経済)が現在、そして今後抱えている問題は「ベビーシッター協同組合の主要構成員が、子守のクーポン券の需要と供給が旺盛な若い夫婦から、クーポン券の需要と供給が無くなった中年夫婦になった。そして協同組合に新たに加入する若い夫婦が少なくなってきている。」ということになると思います。この問題はクーポン券を大量に発行すれば解決するという問題ではなくて、クーポン券に対する需要そのものが減っている問題だと考えられます。リフレ論はこのような現実を考慮に入れずに「クーポン券の発行量を増やせば子守の需要も供給も増える」という倒錯した空論であると俺は思います。
 第二に、仮にクーポン券(貨幣)を大量に発行したとしてどのようにして配布するのでしょうか。子守の需要と供給が旺盛な組合の中でクーポン券を発行した場合、伸び続ける需要と供給が自然とクーポン券を流通させると想像されます。現実社会で考えると需要と供給が旺盛な新興国では大量に発行された貨幣は交換率を上げ、市場原理主義に基づきある程度、需要と供給を満たすでしょう。(経済成長する現在の新興国でも格差の問題は大きくなっているようですが。)
 しかし、需要が拡大しない日本社会の中で貨幣を循環させることは容易ではないと思います。需要が減少した社会では「需要と供給を土台とした、市場原理に基づく貨幣の交換」が止まってしまいました。需要が減少する社会の中でリフレ論が究極的に行き着くところは「ヘリコプターマネー」という言葉で表現される「政府から国民への現金の直接給付」へ結びつくと思います。しかし「定額給付金(ヘリコプターマネー)」のような形で政府から直接国民へ現金を給付したとしてどれだけの効果があるのだろうか?そもそも需要が減少している中年や老人だらけの社会に現金をばら撒いてもどれほどの効果があるというのか?まして1000兆とも言われる借金を抱えた日本政府から現金を渡されてもそのお金に対してどれほどの信用を持つことが出来るのでしょうか?
リフレ論を以って経済を好循環にもっていくのは難しいのではないかと思います。

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