蟻の社会科学

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ホリエモンの「働かなくてもいいんじゃないか?」という考え方

 昨日、勝間和代さんの「まじめの罠」という考え方について記事を書いたが、ふと思い出した。ホリエモンのブログで2009年7月28日に書かれていた「働かなくてもいいんじゃないか。」という記事です。長くなりますが引用します。

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引用はじめ
民主党の最低時給1000円マニフェストとか、ベーシックインカムのこととか考えていた。なんだか、最低時給1000円に批判的な私が、ベーシックインカム賛成派なのは、矛盾しているなんてコメントもあった。でも、両方とも私は自然にいいなーって思っていたことなんだ。だから、なんで、そうなったのか、ちょっとの間考えてみたのだ。
このブログで、少なくとも先進国では人類は生存するために働く必要がなくなっているのではないかと考えている。必要最低限の暮らしは、ごく一部の第1次産業従事者によって成り立っている。食料の供給である。農業革命によってある程度安定した食糧生産は2000年以上前に実現されているが、天候不順などで飢饉になることは長い間、しょっちゅうであった。
しかし、ここ100年ほどで農業技術が発達し、飢饉でみんなが飢えるようなことも先進国ではなくなったといっても過言ではないだろう。つまり、贅沢言わなければ必要最低限の暮らしは実現できているのだと。多くの人たちは実は、昔ならば贅沢だった暮らしをするためにせっせと働いているのではないかと思ったのだ。
イギリスで産業革命が起こった。それにより人々は生存するための最低限の仕事をほとんどしなくて良くなった。だから、余暇が生まれた。スポーツやギャンブルその他近代文化は、その多くがイギリス発である。余暇が生まれたせいで発達したのだ。それまでは人々は生きることに精一杯だったわけである。そう考えれば、じつは多くの産業が生きることとは本質的に無関係な余暇のために行われていると考えられる。そういう意味では、製造業だろうが、金融業だろうが大して変わらない。たとえば、自動車製造業だって、既にこれ以上車を作る意味は本質的にはないだろう。今の日本車は50万キロ走っても壊れない。無理をして派遣工を雇ってまで自動車産業が発展する必要は、人間の生存を考えれば必要ないことである。
だから、働きたくなければ無理して働くことはない。そういう人たちにはベーシックインカムで生きていけるようにすれば良い。金のかかる、文化的な楽しい暮らしがしたければ、馬車馬のように働くか、頭を使って賢く稼げばよい。あるいは、金のかからないスローライフを送るのもよい。別にどちらかを強制する必要はない。しかし、金のかかる、文化的な楽しい暮らしのためのハードルは高くすべきだ。
なぜなら、それが人類発展のためのモチベーションになるからだ。だから最低賃金の引き上げなど行うなら、さっさとベーシックインカムを導入すればよい。働くのが得意ではない人間に働かせるよりは、働くのが好きで新しい発明や事業を考えるのが大好きなワーカホリック人間にどんどん働かせたほうが効率が良い。そいつが納める税収で働かない人間を養えばよい。それがベーシックインカムだ。
極論だろうか?
対価を得ないでやるボランティアという形態もあるし、実際にボランティアに従事している人たちも多い。これからの社会の労働に対するあり方というのも大きく変わってくるのではないかと感じる。
引用終わり

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産業(3部門)別15歳以上就業者数の推移-全国(大正9年〜平成17年)
総務省統計局より画像を引用

 確かにホリエモンの言うとおり、産業革命、科学革命、市民革命、近代社会以前の社会は文字通り「働くことは生きること≒食料の確保」だった。原始時代と産業革命、科学革命、市民革命以前の社会。即ち、BC数万年〜AC1700年頃までは本質的には同じ様なものだったと考えることも一つの見方としては可能だと思います。
 西洋に遅れて近代化した日本では上記の表を見ると、1950年時点でも人口の約半数は「食料の確保」に近い労働である第一次産業に従事していたようです。その後の戦後の爆発的な経済成長により、ホリエモンの言うところの「人間の生存を考えれば本質的には必要がない労働に従事する社会」が急速に発達していきました。しかし「人間の生存という本質に関わりの無い事象が社会システム支えている。」それが資本主義であり近現代社会です。その現実に対して善悪を付けることすら不可能だと思います。
 「人間の生存という本質」に関る第一次産業も、今や本質とは関係ない第二次産業第三次産業によって支えられている。「人間の生存という本質」に関る第一次産業の人が作物を作る場合、一体どうやって作っているのだろうか。鍬で土地を耕して、発酵したウンコを蒔いているわけではない。農業用の機械を使い土地を耕して、化学肥料を蒔いて作物を作っている。その農業用の機械を作るためには、鉄を掘り出す人が必要だ。掘り出す機械が必要だ。掘り出した鉄を加工する機械が必要だ。その機械を設計する人が必要だ。鉄を加工する工場が必要だ。その工場を設計する人が必要だ。その工場を作る人が必要だ。その工場の電力が必要だ。それらの労働者を管理する人も必要だ。それらの作業を行うためのシステムが必要だ。そのシステムを作るためにはパソコンが必要だ。・・・〜以下無限の連鎖〜  化学肥料においても同じように無限とも言えるほどの様々な要素が組み合わさって作られている。ありとあらゆる労力によって作られた「人間の生存という本質である食料」もまたトラックドライバーによって運ばれたりしてようやく消費者まで届く。。そして、第三次産業である小売業に対してレジでお金を払い、購入してようやく人間の生存という本質である食料を口に出来るのであり・・・。このような複雑なシステムの原動力は「消費」です。「社会システムを維持するために人間の生存という本質には関係があろうが無かろうが、社会の中で生産と消費を永遠に続けていかなければいけない。必要であり続けなければいけない。」それが現代社会です。
 よって、この眩暈がするほど複雑極まりない現代社会を維持するためには「人は働かなくてもいい!」ということにはならないはずなのですが、現実には技術革新、生産性の向上、効率化の徹底により人の労働を少しでも減らす方向に世の中は動いています。効率化の徹底により、社会から必要とされず弾き出される人が増えて「格差社会」という言葉で表現されている現状です。また今後は経済の縮小、国内産業の空洞化で弾き出される人が増えていくと思われます。弾き出された人を現状で支えているのが、生活保護でありアメリカではフードスタンプであり、それらを論理的に突き詰めればベーシックインカムだと思います。しかし、デジタルな資本主義の一機関の政府のシステムである生活保護フードスタンプベーシックインカムによる救済ではやがて破綻が来てしまう。やはり自然に生まれるアナログな共助システムを社会の中で真剣に考えていかなければいけないと思います。それは資本主義を否定するものではなく相反するものではなく、平衡するものだと思います。
 上記でホリエモンが言うとおり「対価を得ないでやるボランティアという形態もあるし、実際にボランティアに従事している人たちも多い。これからの社会の労働に対するあり方というのも大きく変わってくるのではないかと感じる。」という意見に非常に同意できます。だがそれはベーシックインカム生活保護フードスタンプなどの政府のシステムの枠組み、資本主義の下のシステムではないと思います。(もう一度言いますが、決して資本主義を否定するわけでもなく、政府を否定するアナーキズムでもありません。)

 なんか抽象的でわかりにくいかもしれませんが、俺が考えることはこんなところです。

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