蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

近代人の始まりと現代人の終わり。その1

はじめに 
 「哲学、思想」の記事を書くのはいつ以来だろうか・・・。俺が学び、考えている哲学と現代社会についての関係を書いてみます。哲学と歴史学の力を借りて現代社会を俺なりに考えてみます。が、浅学なので非常に簡単なことしか書けませんので悪しからず。
 俺が思うことは「個人の考えの底には、目に見えない社会全体の考えが潜んでいる。普段意識されない社会構造や仕組みが個人のアイデンティティや思考を育んでいる。そしてその構造も時代によって変化し続けている。」ということです。レヴィ・ストロース構造主義やサンデルに代表される共同体主義に大きな共感を持っています。西欧人の多くがキリスト教徒で、アラブ人の多くがイスラム教徒です。日本人のほとんどが日本語を喋り、ロシア人のほとんどがロシア語を喋ります。「なぜ西欧人はキリスト教徒が多くて、日本人は日本語を喋るのか?」という問いがあったとしたらその答えは何だろう?答えも糞も別に無い「その土地に生まれたそうなったとしか言いようがない。」ということになると思います。 同じように考えて、何故江戸時代の農民が「村の掟」に従い、武士が「徳川幕府」を信じて生きていたのか?そして現代人は何を信じて生きているのか?
 「時代が人のアイデンティティを育む」ということに焦点を当てて、「近代以前の人の思考」「近代の人の思考」「現代の人の思考」そして「次世代の人の思考」を考えてみたいと思います。「現代の東洋人と西洋人の考え方の違い」など、同時代で横軸水平方向に比較するのではなく、「西洋、東洋に関係なく地球全体が西洋型社会に向かう潮流の中での、近代以前の人と近現代人の考え方の違い」と縦軸垂直方向で比較して現代社会とその今後を考えてみたいと思います。なんつーか、現在の地球文明は西洋、東洋というような文化の枠組みを超えて「自由」と「経済成長」を梃子とした西洋型社会に全世界が引っ張られていると思います。地球文明を良くも悪くも牽引している西洋型合理主義的文明社会の「過去」「現在」そして「未来」を考えてみたいと思います。

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その1〜デカルト!「我思う、故に我在り」〜
 「近代哲学の父」と言われるデカルトのこの言葉をはじめて聞いたのは中学生の世界史の授業だと思う。「私が思うから私がいる?だから何なんだ (゚Д゚)?」ぐらいにしか思っていませんでしたが、西欧型近代社会を作り上げる思考の原点だと知ったときは「へぇ〜〜・・・!!??!?!」と感心しました。
 「デカルト以前の社会」では・・・・と言うと非常に範囲が狭くなってしまうので「宗教改革の時期」「地動説等の科学革命」とにかく大雑把にそこらへん以前の西洋社会では「人間観(人間とは?)」を考えるときに「社会」と「人間」は切っても切れない、切り離して考えることが出来なかった。「ともかく王様は偉い!教会は正しい!太陽が地球の周りを回っている!そんなもん理由はない!それでいいのだ!人間はそれに従って生きていればいいし、生きなければいけない存在なのだ!」と言う感じで伝統的権威とそれに盲従する人間は常にワンセットの存在だった。(日本社会に置き換えると「江戸幕府は偉い!将軍は偉い!天皇陛下は偉い!そんなもん理由はない!(以下略)」という感じでしょうか。)
 しかし宗教改革に代表される近世ヨーロッパの思想の混乱期に伝統的権威はその立場が非常に危ういものになり、人は社会の中で「盲従できる確かな権威」を見出すことが出来なくなっていった。そんな社会の中でデカルトは「王様も教会も正しいのか信じられん・・・すべてが信じられん・・・でも待てよ・・・全て信じられないけど、全てを疑う俺は確かに存在している・・・王様や教会が存在しようがしまいが、俺は存在している。我思う、故に我在りだ!」と考えたらしい。それが「伝統的社会」と「人間の存在」が分離した時代であり、権威に盲従する社会との決別であり、近代のひとつの出発点だったのでしょう。同時期に芽生え始めた科学革命が作り出した数学的な合理的思考が「伝統的社会」から分離された「人間の存在」に様々な普遍的要素を付け加えていった。
その合理的思考で
「とにかく社会は社会。人間は人間。別々に論理的に考えよう。」
「王様も教会も考えずに、単純化してこの世界には大地と人間の二つの要素しか存在しないと仮定して物事を考えてみよう。」
「王様も教会も存在しないとしたならば、人間は自由と平等と言う普遍的な権利を持っていることになる。」
「大地と人間と言う二つの要素だけでは社会は語れないから自由と平等を持った人間同士で社会契約を行って社会が作られることにしよう。」
「となると、社会の中では行政、立法、司法に独立した権利を与えねばなるまい。」
「自由と権利を持った人間が投票を行い議会を組織して社会を運営するのが最善ではないかもしれないが、ベターな社会運営となるだろう。」
というように、合理的思考の元に現在に至る西洋型近代社会が少しずつ形作られていきました。
その2へ続く