蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にシステム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

労働こそがベーシックインカムなのかもしれない

 近年にわかに活発になってきているような気がするベーシックインカム。「国民の最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想」です。大雑把に考えると徴収した税金を「社会保障」や「公共事業」や「公務員の給料」などの特定の用途に用いずに、国民一人一人に平等に「数万円/月」分配する制度です。「小さな政府」の究極システムであり、数万円/月の収入を土台として行政を当てにせずに生きて行かなければいけないという完全な自己責任の社会システムと言えるかもしれません。ベーシックインカムの実現可能性や功罪はともかく、ベーシックインカムが社会システムの議論の俎上に上ること自体が社会の変革期の証左なのかもしれません。
 ベーシックインカムの本質の議論から離れて表題について。少し見方を変えて考えると「労働こそがベーシックインカムではないか」と俺は思います。どこかに雇用されて労働した場合、金銭的にほぼノーリスクで毎月現金を得ることが出来ます。一日8時間か12時間かはともかく、どこかで働いてさえいれば金銭的にはノーリスクで現金を得ることが出来る訳ですから、これはベーシックインカムと同じものでは無いかと思います。
 しかし、労働にもリスクは存在します。
(1)「雇用されないリスク」・・・労働のリスクというより、そもそも雇用されないという事態が現実に起こっている以上、労働も万能ではないと思います。
(2)「自分の時間が制限されるリスク」・・・現金は得られますが、バーターとして自分の時間を持てなくなるリスクが存在します。働いて飯を食って寝るだけ、起きたらまた働いて飯を食って・・・というサイクルに飲み込まれるリスクが存在します。
(3)「過労死したり、心の病にかかるリスク」・・・労働は金銭的にはノーリスクで現金を得られますが、働きすぎて死んでしまったり、心に変調をきたすリスクが確実に存在しています。
 金を得るために体を壊したり心に変調をきたしてしまったら労働はノーリスクからハイリスクの存在になってしまうと思います。つまるところ大事なのは「ライフワークバランス」ということになると思います。ほどほどに働いてほどほどに自分の時間を持ち、その中で幸福を見つける。これが一番重要なのだと思います。