蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

給料はもう上がらない


年収ラボより画像を引用させていただきました。

 身も蓋も無い言い方ですが、「(マクロレベルでは)もう給料は上がらない」と思います。(インフレによる名目賃金の上昇はありえると思いますが、実質賃金の上昇はもはやありえないと思います。)
 俺は経済成長期の影響を受けてアイデンティティを育んで30年ぐらい生きてきたので「給料とは頑張れば上がるものだ・・・」と何も知らないまま漠然と考えていました。しかしリーマンショックで「職を失う人々」「路上に放り出される人々」を見て、大きな衝撃を受けました。そしてなぜそのようなことが起こるのか疑問に思い、社会学やら経済学やら哲学やら独学で学びはじめて現在に至ります。
 その中間的な結論としては「もう給料は上がらない」というところに達しました。ミクロレベルで考えると既得権益に守られている層や、これから成長する産業に属する層の一部は短中期的には給料は上がり続けるだろうと思いますが、全体で長期的に考えると、もう給料は上がらないだろうと思います。
 俺が考えるのは給料が上がらないことが不幸なのではなくて
(1)給料がもう上がらないことを知らない不幸
(2)給料が上がることに大きな幸せを感じる不幸
(3)給料が高い人と比べて不幸を感じることの不幸
(4)富が増大することを大前提とする社会システムの不幸
この4点が、給料が上がらないことより大きな不幸を生み出しているのではないかと思います。

 給料は上がると思い込んでいるから、生活が貧しくなる現在においてはその怒りの矛先が自分が勤めている会社や政府に向かい、やり場のない不満が蓄積されて社会の閉塞感に繋がるのではないでしょうか。「もう給料は上がらない」と割り切ってしまえばそれなりに不満も無く過ごせるのではないかと思います。経済が成長しないのは、給料が上がらないのは誰のせいでもなく「物理的有限の地球の中で、帳簿上の仮想的無限という資本主義の限界」が経済の成長の限界をもたらしているということを考えれば、なんとなく「給料が上がらないのはしょうがないなぁ」と思えるのではないでしょうか。それを知らずに「給料は努力によって上がり続けるものだ。なぜなら今までそうだったからだ・・・」と経済成長時代の幻影に引き摺られ、企業や政府に不満を持ち続ければ、永遠に心が満たされることが無いと思います。それは給料が上がらないことより不幸なことなのかもしれません。
 給料が上がり可処分所得が増えたとして、一体どれだけ生活レベルが変わるというのでしょうか。例えば「いつかはクラウン」という言葉が昭和時代にはありました。給料が上がり高級車を所有することは素晴らしいことかもしれませんが、軽自動車や中古車しか買えなくても「空間の移動」という実質的な効用の面から考えると何も変わらないのではないでしょうか。給料が上がっても実質的な生活レベルはそれほど変わらないでしょうが、貯蓄という面では大きな差があることは事実です。給料が多いほど貯蓄できる金額も増えますし、貯金が多ければ多いほど将来の不安が減るかもしれませんが、別に貯金をするために生きているわけではないと思いますので、例え少ないお金でも人生を楽しく生きたほうがいいのかも知れないと思います。給料が上がること、実質可処分所得の増大だけが幸せではないのではないでしょうか。給料が高い人、給料が低い人、様々社会に存在しますが、どうせ多くの人はもう給料が上がらないのであれば、それを受け入れて自分が楽しいと思える価値観を見出すことが重要なのではないかと思います。上を見て僻み下を見て安心する、それはまた不幸なことかも知れません。給料が上がらないから、低いからといって絶望することなく、自分の価値観を見つけ出すことがこれから訪れる高度経済縮小時代に楽しく生きられる唯一の方法ではないかと思います。
 俺は別に資本主義を否定するわけはではありません。成長が見込める時代であれば馬車馬のように成長を目指すことも決して悪いことではないと思いますし、実質可処分所得が増えることにより「いつかはクラウン」というように物質的生活レベルの向上を目指すことも決して悪いことだとは思いません。ただ、これからはどうやっても実質可処分所得が減り、今よりかは貧しくなっていきます。それは誰のせいでもなく、ただただグローバル資本主義の限界という時代の流れがそうさせるだけです。その時代に合わせた「心の持ち方」をみんなで、社会全体の中で考えていかなければいけないのだろうと思います。
 「貧しくなるかは心の持ち方次第である」と精神論的な答えになりますが、どうやっても経済的に貧しくなっていく以上、答えは精神論、心の問題に辿り着くと思います。