蟻の社会科学

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古典派とケインズ派

 近代資本主義を解析する近代経済学は大きく二つの潮流がある言われます。アダム・スミスを祖とし、レッセフェール(自由放任)が生み出す市場のダイナミズムを重視する「古典派」。ケインズを祖とし、政府のコントロールが作り出す市場と社会の秩序を重視する「ケインズ派」。経済は二元論で語れるものではありませんが、物事を単純にモデル化して考えるために「古典派」と「ケインズ派」の二元論で考えたらわかりやすい気がします。
 近年において、ついに古典派とケインズ派の最終戦争状態に突入したと思います。古典派の流れを汲む新自由主義陣営が自由と市場原理に任せて架空の債権をほぼ無担保でサブプライム層に貸し付けて金を垂れ流しました。サブプライムバブルが弾け、市場が泡のように作り出した債務を各国の政府が肩代わりし、ケインズ主義の復活とも言われました。しかし金融機関が作り出した債務を政府が肩代わりした結果、ソブリンリスクが表面化して世界を混沌の渦に巻き込み、「市場」vs「政府」の最終戦争状態になっていると思います。「古典派(新自由主義)」も「ケインズ主義」も本来は「富の増大による社会の幸福」を最大の目標とし、「非自発的失業」を減らし「完全雇用」を目指す思想だと思います。しかし「市場」と「政府」の債権と債務をめぐる熾烈な殴り合いの社会で、蚊帳の外に置かれた人々の「非自発的失業」がどんどんと増えている現実です。
 「市場は万能ではない」「政府も万能ではない」ことが明らかになりつつあり、即ち「(市場の)経済成長」と「(政府の)社会保障」がもはや見込めないことが明らかになりつつあると思います。そのような社会の中で人が生きていくためには「市場(経済成長)」にも「政府(社会保障)」にも頼らずに、必然的に蚊帳の外に置かれた人たちが力を合わせる社会的有機体の活力が必要になってくると思います。その活力の根底となるのは「家族」であり、「地域」だと思います。
 政府のトップダウンによる社会ではなく、また市場が生み出す果実だけを求める社会はなく、真に、人が力を合わせて新たな社会を作る時代に突入したと思います。現在、地方分権活動が盛んになっていると思いますがこれは「市場」と「政府」の力が及ばなくなった社会の現れだと思います。