蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

【16冊目】<私>時代のデモクラシー 宇野重規

 1800年代のフランスの思想家トクヴィルの研究で有名(らしい)な著者の現代社会論。「<私>」と「格差」と「デモクラシー」が本書のキーワードとなるかと思います。
 「ジニ係数が拡大!」などニュースで耳にしますが「格差社会」が広がりつつあることは共通の認識になりつつあります。「格差が拡大している社会」であることは間違いありませんが、同時に「格差が強く意識される社会」になったと本書で指摘していると思います。
 「封建的階級社会においては格差は存在しなかったが、近代的民主主義平等社会においては格差が存在するようになった。」と言われれば、何か奇妙な感じがすると思われます。しかし、絶対に乗り越えられない階級の壁が存在した前近代的階級社会においては階級が違いについて、むしろ格差の意識は無かったと思われます。「階級が違う人たちは雲の上の存在の人だべ。わし等には何も関係ない話しだべ。わしらはわしらで協力して頑張るだけだべ。」というような感じで、格差は存在していても「違う壁の中」で暮らしている故に格差が意識されることが無かったと、本書を俺なりに読解しました。
 近代化が進むことによってその前近代的階級の壁はどんどん取り除かれていきます。近代化とは「伝統的社会の解体」と「近代資本主義をベースとした合理的社会への作り直し」ということと言えると思います。終戦〜1980年代まで「伝統的社会」は解体されながらも「企業共同体」として形を変えて、人々は「企業共同体の城壁」と「成長する日本社会の城壁」の中に存在していました。
 しかし、バブル崩壊後の低成長時代への突入を以って「企業共同体の城壁」も「成長する日本社会の城壁」も取り払われつつあります。城壁の中から放り出されてほとんど剥き出しになった人々は否が応でも「城壁の向こうに存在していた格差」を意識するようになり、人の意識は「私たち」から「私」へフォーカスされていきます。「伝統的社会の城壁の中で連帯して生きる<私たち>の中の<私>」から「企業共同体の城壁の中で連帯して生きる<私たち>の中の<私>」への変遷。そして守るってくれる城壁が無くなり、連帯する仲間も見当たらない時代においては「<私>」だけがたった一人で社会の中に存在してしまいます。そしてそのような社会の中で、守ってくれる全ての城壁が取り除かれ剥き出しになった<私>は自己責任の名の下、たった一人で自分の不確かな人生をコントロールしていかなければいけない。それが著者の問題意識だと思われます。(下記にて引用)
「しかしながら、一人ひとりの個人の人生の「見通し」が立たない社会に希望はありません。少なくとも、細切れになった非連続的な選択の連鎖のなかで、自己コントロールだけを求め続けられると言う悪夢だけは、なんとしても避けなければならないはずです。」(本文より引用)
 
 そのような<私>が剥き出しで存在する社会の中で「政治参加」により活路を見出そうというのが著者の考えの一部だと推測します。「選挙権を放棄したら自分の意思を社会に反映できないので選挙に行きましょう」というのは全くもって正論ですが、しかしこれだけ政治に期待できない社会になってしまったので、同時に「選挙に行っても何も変わらねーよ・・・」「そもそも選挙なんて興味ねーよ!」という社会心理を覆すことも困難なのは事実です。
 <私>とデモクラシーが遠い関係になってしまった後期近代における「<私>の生き方」を模索する時間はまだまだ続きそうです。

〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)

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