蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

「人間は自分が信じたいことを喜んで信じるものだ。」

「人間は自分が信じたいことを喜んで信じるものだ。」ジュリアス・シーザー


 今回の原発の事故はまさにこの言葉で表現できるかと思います。東京電力と政府は今回の事故の以前からアメリカの原子力委員会共産党福島、産業技術総合研究所などから地震津波による苛酷事故の危険性を何度も指摘されていたようです。また、869年貞観津波、1611年慶長三陸地震、1896年明治三陸地震、1933年昭和三陸地震など史実に残っているだけでも東北太平洋岸が大きな津波に何度も襲われていますし、そのこと東京電力も政府もわかっていたはずです。(恐らく史実に残っていない数万年以上の歴史の中では今回と同規模の地震津波が何回も東北太平洋岸を襲っていたと思います。)しかし、東京電力も政府も「地震津波がくるわけがない。津波が来ても防波堤があるから問題ない。何か問題が起こっても非常用炉心冷却装置(ECCS)があるから問題はない。そもそも何か大きな問題が起こったら俺が困るじゃないか。だから大きな問題なんて起こるはずはないんだ!」と考えていたのではないだろうか。

 古来より人間はアニミズムシャーマニズム、など「人間の力がとても及ばない大いなる存在=神様」の存在を畏れ敬い生きていましたが、いつからかその大いなる存在を忘れ、さらにはその大いなる存在をあざ笑うかのようになり、理論によってのみ考える科学至上主義が社会を席巻しました。その大いなる存在を否定する科学的思考の起点はコペルニクスの地動説や宗教改革の時代だと思われますが、その思想が500年の時を経て発展し、究極的な形として今回の原発事故に繋がったのだと思います。人が信じる物が「力の及ばない大いなる存在」から科学至上主義を経て「自分の信じたいこと。自分の希望。」に置き換わってしまったのではないだろうか。神様がいるかどうかはわかりませんが、少なくとも大いなる存在である地球と原子力は人間が制御できる物ではないことだけはハッキリしました。 
 俺とて以前は原発反対運動に対してはなんとも思っていませんでした。むしろ心のどこかでは、捕鯨反対運動や環境保護団体のような「ああ、なんかイデオロギー系の人達だな・・・」と感じていたと思います。そして日本社会全体の中に何か原発反対運動を敬遠するような雰囲気があったのではないでしょうか。しかしその考えは完全に間違っていました。
 今回の原発事故から様々なことを考えると経済成長を追い求めることはもはや限界、というより不可能なことは確実です。原発の即時停止は現実的に不可能だとは思いますが、しかし、地震国である日本においてはまず原発の停止を大前提で考え、その移行期間の間に新たなエネルギーと新たな社会システム、さらに言えば経済成長を追い求めるイデオロギーに置き換わる新たな考え方をみんなで考えていかなければいけないんだろうなと思います。