蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

金はたくさんあればいいPart2〜何のために働くか〜

「俺は金のために働いているんじゃない!金よりも大事な物は沢山ある!まして株や為替などギャンブルのようなもので金を稼ぐなんて人間として問題外だ!」

 こんなサムライのような考えを持っている人は徐々に減ってきているとは思いますが、このようなサムライ魂は日本ではまだまだ根強いと思います。(団塊の世代以上では多いかも。)この考えは否定はしませんが、肯定も出来ないと思います。そもそも俺は金というものと、上記の考えは全く関連性のない事だと思っているからです。

 「金のために働いているんじゃない!」という考えは俺は絶対に嘘だと思います。人間は働いて金を得て飯を食って生活している以上、働く理由の一つとして金のために働いてるに決まっとる!!! 勿論、仕事にヤリガイや社会貢献などの目的を見出しているなら、それはそれで素晴らしいことだと思いますし、ヤリガイをもって働いている人も多いと思います。しかし、やりたくもない仕事をやりながら、無理に仕事にヤリガイを見出すために「俺は金のために働いているんじゃない・・・」と思い込もうとすることは凄く窮屈なことなんじゃないかなぁ。
【「金のために働いている」という事実】and【「ヤリガイ」「社会貢献」etcのために働く】
というように、「金」と「労働」を分けて考えることが大事なのかなと思っています。シリアルに一つの線上で金と労働を結びつけるのではなく、「金」と「労働」はパラレルな平行した存在として考えることが楽に生きる秘訣だと考えます。
「金のためにも働いているし、その上仕事にヤリガイを感じているからhappyだ。」
「仕事にヤリガイなんてないけど、金のために働いている。私生活が満たされているからhappyだ。」
と分けてドライに考える方がいいのではないかと常々思っています。仕事にヤリガイを見つけられないのであれば、無理に金と仕事を比較してヤリガイを見出そうとするのではなく、ただただ、金のために働いている事を自分の中で素直に認めればいいと思っています。 
 「金より大事な物がある!」という考えについても1月3日のエントリーでも書きましたが、「金より大事な物がある。」ということと「金がたくさんあればいい」ということと全く関係のないことであって、何か無理に「金」というものを哲学的な考えまで持ち出して否定する必要はないと思ってます。
 「株や為替なりギャンブルのようなもので金を稼ぐなんて問題外だ。」とかく日本人は株などに拒否反応を持っているかと思いますが、「労働」と「投資」は平行してパラレルに存在する物だと思います。「労働で金を稼ぐ。投資なんて・・・」という考えと「労働なんて・・・投資のほうが稼げる。」という考え。何となく「労働」と「投資」は対立する概念のようにも思われがちかもしれませんが、「労働しながら、投資で金も稼げれば一番いいじゃん!」と俺は思っています。俺は労働も投資も否定しません。金はたくさんあればいいと単純に考える俗物ですから労働も投資も「両雄並び立つ」と考えています。投資を損をする可能性があるというデメリットから否定するのはわかりますが、道徳的な考えを持ち出して感情的に否定する必要はないと思います。
 長くなりましたが「俺は金のために働いているんじゃない!金よりも大事な物は沢山ある!まして株や為替などギャンブルのようなもので金を稼ぐなんて人間として問題外だ!」というサムライ的な考えについて
「金」と「労働」/「金」と「大事な物」/「労働」と「投資」 
これらは全て別々に存在している物であって、一つの線上で考える物ではないと思っています。まとめですが、色々なことを一つの線上で無理に結びつけるのではなく、全てはバラバラに平行して存在していると考えることが重要なのではないかなと考えています。
 「金はたくさんあればいい」という考えは「金=幸せ」的な拝金主義っぽいですが、俺は「金がたくさんあればいい」ということと「人間の幸せ」も別々にパラレルに存在している物と考えています。
それでは。