蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸に、リベラルアーツを横軸に、システム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。email:arinkoblog@gmail.com

教育と認知科学

 この記事は以前の記事「ブログの新ガイドライン(2)無知の知~私の中のミクロコスモス 脳と心と思考~」を下敷きとしています。興味にある方はそちらもあわせてご覧ください。

はじめに
 私は教育者でもなく、アカデミックの学識者でもなく、ただの素人です。素人が教育について何かを論じるなど分不相応ではありますが、この記事では教育について私の意見を書きたいと思います。素人の雑文ですので、エビデンス等も不足したままに確認不足や思い込みや妄想で書いている部分が多々あります。その点は容赦下さい。
 
第一章 勉強は役に立つのか
 「学校で勉強したことなんて社会では役に立たない。」などという言葉を聞くことがあります。数学を土台とした自然科学こそがこの科学技術社会を支えている以上、学校での勉強が役に立たないなどということは決してあり得ません。しかし、学校で学んだことが社会で役に立たないと言われているのも、確かに一理はあります。私は大学の文系で社会科学を中心に勉強しましたが、それが社会に出てサラリーマンとなってから何かの役に立ったかと問われると、よくわかりません。いや、正直に言うとサラリーマンとしての業務上では、恐らくそれほど役に立っていないのではないかと思います。
 理系の勉強は科学技術と直接結びつくことが多く、直接的に業務に役立つことも多いので、勉強したことが役に立ったと実感できることが多いかと思われます。しかし、文系の勉強は法律家や教師などの専門職を除き、直接業務に結び付くことはあまり多くないのではないでしょうか。大学生の60~70%が文系学部に所属しているという側面から、多くの割合の学生が自らの学んだことが役に立っているのか確信を持てないので、先述の「学校で勉強したことなんて社会では役に立たない。」という意見が社会で一定の幅を利かせている理由の一つになっているのではないかと考えられます。
 また、この雇用が不安定で流動的な時代ですので、必ずしも大学で学んだことを活かせる職業に誰もが就けるわけではない状況です。そんな時代の中、大学だけではなく小中高で学んだことが役に立たないとは思いませんが、どこまで役に立っているのかとなると線引きは難しいかもしれません。 

また、社会科学分野の大学4年生(卒業直前期)に対する聞きとり調査のデータを分析した小山(2016)によれば、選抜性の比較的高い大学の学生でさえ、問いを立てるという基本事項を理解・認識しているものはほとんどいない。

「文系大学教育は仕事の役に立つのか」 ナカニシヤ出版 P57より引用

大学時代の経験が「現職で役立っている」と感じている割合は全体的にかなり少なく、全ての項目で肯定率が半数を下回っていることが分かる。特に、専門分野の基礎的な知識、実践的な知識、理論的な知識に関する講義経験は「役になっていない」が6割を超えている。ゼミや卒業論文に関する役立ち感もまたかなり低く、むしろ学び方に関する講義の役立ち感が高いこともわかる(45.3%)

「文系大学教育は仕事の役に立つのか」 ナカニシヤ出版 P93より引用

 上記は「文系大学教育は仕事の役に立つのか」という本からの引用です。私のバイアスを含んだ恣意的な引用ではありますし、一概に役に立つか立たないか論じられる問題ではありませんが、このような比較的ネガティブな調査結果があるという点には留意は必要かと思います。
 「そもそも学問は役に立つか立たないかなど問題ではない。役に立つか立たないかを基準としていたら学問が成り立たなくなる。」というという至極まっとうな意見もあり、全く以てその通りです。物事の判断基準を「役に立つか立たないか」にすれば、やがて「人間はそもそも必要なのか?」などという極論にまで至ってしまいます。学問や教育を「役に立つか立たないか」だけで線引きをすればいいというわけではないのは確かです。しかし、親と子供が共に多くの時間とお金を費やす以上、学んだことが社会に出てからなるべく役に立つ方が望ましいということは断言できます。
 役に立つか立たないかという問題に対して、私の結論としては「小中高と大学の学問(自然科学、社会科学、人文科学)、全ての勉強が社会に出てから役に立つ。ただし、今の教育では不足している部分があり、学習の真価を引き出せていないのではないか。」ということです。現在の教育で不足している部分は何かを第二章以降で考えていきます。
 
第二章 現在の教育の問題点

 教育の目的は勉強だけではなく大きく三つの目的があると考えています。

(1)社会性を身に付ける(ルールや時間を守れるようにする。友達を作り、協調性やコミュニケーション能力を育む。)
(2)心身の健全な成長(体育や部活を通して心身を成長させる。)
(3)勉強
 
 (1)(2)も教育において重要な論点かと思いますが、ここではその点には触れず(3)の勉強に絞り、抽象化した問題点だけを書き出したいと思います。

問題点
1.詰め込みメインの学習
 よく言われていることですが、基本的には小中高の勉強は「知識の詰め込み」の傾向があり、他の知識とのつながりが薄い状態の「点の知識」が学習者の脳内で断片的に丸暗記されているだけの状態になっているのではないかと考えています。「複数の知識を分野を横断しながら有機的につなげて「線の知識」「面の知識」への発展させる思考力」の芽生えを促すような教育が不足しているのではないかと考えています。
 ただし思考の材料である「点の知識(要素)」が無いとそもそも思考すること自体出来ないので、「点の知識」の暗記ももちろん重要であり不要というわけではありません。

2.受験が目的となった勉強
 勉強の目的が「より偏差値が高い次のステージへの進学」になってしまっているのではないか。受験勉強と進学が目的となってしまっているので、効率よく暗記する方法など勉強のテクニックが優先されて「詰め込みメインの学習」が助長されているのではないかと考えています。
 あくまで理想ではありますが、本来であれば「もっと知りたい!」という知的好奇心を刺激し、内発的動機により自ら能動的に「知ること自体」を目的に学習を進めていくような教育が望ましいのではないでしょうか。

3.小中高の延長としての大学の勉強(文系学部を想定しています)
 小中高での勉強が知識の暗記がメインとなってしまっているので、大学の勉強が小中高の受験勉強の延長のように、効率的に単位を取るためだけの効率的な知識の暗記となっている面があるのではないか。(レポートのコピペ問題のように)
 本来であれば、知的好奇心を持ち、能動的に「点の知識」を「線の知識」「面の知識」へと発展させる思考力を開花させるのが大学教育なのではないかと私は考えていますが、その方法論の教育が不足しているのではないかと思います。
 と
4.高すぎる教育費
 これはどうしようもない面もありますが、子供の教育費が高いという点は大きな問題かと思います。経済が横ばい、または縮小していく中で、税金や社会保障費は右肩上がり、そして教育費の負担も大きいとなると子育て世代に大きな経済的、心理的負担が掛かっています。
 独学でもある程度はリベラルアーツによる多様な知識や批判的思考力、論理的思考力を身に付けることは可能かと思います。経済的に余裕がないとしても、安く独学で学ぶことも可能であるということ、そしてその方法論と選択肢を提示していくことも、生涯学習の重要性が高まっているこれからの時代において必要なのではないでしょうか。

問題点のまとめ
 理想論ではありますが、勉強とは知的好奇心を持ち、能動的に知識を拡大し深めていく思考力を磨くこと。その磨いた能力を自らの仕事や生活に活かして社会に貢献し、実りある豊かな人生を送ることではないでしょうか。その目的を果たすために文系の学問を含め、全ての学問が十分役に立つと私は考えています。
 しかし、現状では知識の詰め込みがメインの勉強となりがちで、知識を能動的に拡大し深めていく思考力の発展を促す教育があまり行われていない。勉強の目的が常に次のステージへの進学であり、最終的には「大学卒」という肩書と、就職へのパスポートの取得が目的となってしまっている。(決してそれが全て悪いというわけではありませんが・・・)また、そのパスポートの取得までの経済的な負担がかなり大きい。
 月並みですが、ここらへんが現在の教育の問題点なのではないでしょうか。


第三章 今後の教育の方向性

「教科書で学ぶ知識は、すぐに時代遅れになります。一生懸命暗記しても、大人になったら一向に役に立たないかもしれません。必要なのは、状況を分析し、他人に論理的に説明し、情報を批判的にとらえる能力、さまざまな分野の知識をつなぎ合わせて、問題を解決に導いていく能力なのです。」
「米国や日本において、過去50年間で増加した職業と減少した職業を分析したところ、「非定型的・対話型」「非定型的・分析型」のスキルが必要な職業は増加したが、「定型的」なスキルが求められる職業は減少している」「今後も、簡単に教えられることは簡単に自動化・IT化され、外部委託されるだろう」
「今後求められる能力として、①グローバル化し複雑化する社会において、多様な協力関係を結び、それらを管理する能力 ②問題の細かな要素を結び付け、価値を生み出す能力 ③情報を整理する能力 ④専門家としての深い知識と、ゼネラリストとしての知識の幅広さを併せ持つこと(T型人材)」
OECD教育スキル局長 アンドレア・シュライヒャー
~「取り残される日本の教育 講談社+α新書尾木直樹 より引用~

 江戸時代の寺小屋から20世紀後半までは、勉強は基本的には「知識を覚えてそれを思い出すこと」と定義できるのではないかと思います。固定的で静的な「点の知識」の暗記、正解の暗記こそが勉強だったと言えるかもしれません。
 しかし、現在を含むこれからの時代、情報技術と人工知能の発展の勢いは凄まじく、情報や知識というものが日々大きく変動し、すぐに陳腐化していく時代です。上記はOECDスキル教育局長の言葉ですが、何年もかけて暗記した「点の知識」が大人になった時には一向に役に立たない可能性も十分にあります。これから求められる能力は大きく変わり、可変的で動的な「事象の構造」を理解してそれを変えていける能力や、ITを駆使し「点の知識」を能動的につなぎ合わせて「線の知識」「面の知識」に変えていける能力が求められる時代になっていくと考えられます。
 

学習指導要領の概要

1989年公示 新学力観
「旧来の学力観が知識や技能を中心にしていた」として、それに代えて学習過程や変化への対応力の育成などを重視しようと考える学力観である。新学力観では児童・生徒の思考力や問題解決能力などを重視し、生徒の個性を重視するとしている。

1998年公示 生きる力、総合的な学習の時間
2008年公示 生きる力
「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など自己教育力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を、[生きる力]と称することとし、知、徳、体、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。」(中教審

2017年公示 主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」の導入やプログラミング教育の充実
アクティブラーニングとは、学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法です。
生徒が能動的に学ぶことによって「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」(2012年8月中央教育審議会答申)内容だとされています。
具体的には教師による一方的な指導ではなく、生徒による体験学習や教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークを中心とするような授業のことを指します。education careerより引用

「生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。」(中教審

 私が言うまでもなく、政府ではこのような時代の到来を予期し、20世紀後半からの学習指導要領では「新学力観」「生きる力」「アクティブラーニング」などの名称で、思考力や問題解決能力や能動的な学習を重視する方向へ進んでいます。
 しかし、かれこれ30年前から言われている「新学力観」「生きる力」「アクティブラーニング」など具体的にはどのようなことなのか、まだまだ不明瞭な状態なのではないでしょうか。また「自分の頭で考える」「批判的思考」「問題解決能力」などの言葉もよく聞きますが、どのような教育を行えばその能力が身に付くのかに関してはコンセンサスは程遠い状態かと考えられます。
 次の章ではこの点に関して私の意見を書いていきたいと思います。

最近、至るところで「問題解決能力」「生きる力」「批判的思考」「主体的な学び(アクティヴ・ラーニング)」という言葉が飛び交っている。しかし、これらが具体的にどのようなことを意味し、どのような教育をしたらそれらの力が身に付くのかということになると、コンセンサスにはほど遠い。

今井むつみ 学びとは何か<探求人になるために> 岩波新書 P4から引用

 


第四章 思考技術を学ぶ

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「ブログの新ガイドライン(2)無知の知~私の中のミクロコスモス 脳と心と思考~」より


 「生きる力」「アクティブラーニング」「批判的思考」「問題解決能力」など、どのような学習を行えば身に付けることが出来るのかという点の結論から書きますと、『「思考技術」を学ぶ』というのが一つの手段ではないかと考えています。
 突き詰めると思考や学習において最大の問題は「深く考えることなく、自らにとってコンフォータブルな答えを安易に選択してしまう半無意識のシステム1の強い引力」なのではないかと考えています。このシステム1を制御することを私は「批判的思考」と定義していますが、結局、どれだけ勉強をしても批判的思考を行えない限り、システム1による安易な思考と選択をしてしまい、能動的に学習し、問題に取り組み、解決する能力というのが身に付かないのではないでしょうか。これを解決するために「思考技術」を直接学び、自らについてメタ認知を行うことこそが「批判的思考」や「問題解決能力」を身に付ける近道なのではないかと考えています。
 また、「思考」ということも明確に定義することは難しく、学習者の中で「思考」ということがどういうことなのかあやふやでよくわからないなっているために、どれだけ勉強して知識を蓄えてもテストのための暗記となり、学習が何の役にも立たない状態が生まれているのではないかと考えています。この問題についても、学習科学や科学哲学(帰納演繹、抽象具体)や体系化技術、図解思考(チャート図など)などの「思考技術」を直接学ぶことが効果的だろうと考えています。
 ただし、人の心というセンシティブなものを直接モデル化して学ぶというのは本当にいいことなのだろうかとも考えます。発達心理学などは詳しくありませんが、小中高生の段階で「人の心をモデル化して考える」ということが、学生の心に何らかの悪影響を及ぼすのではないかと一抹の不安は覚えます・・・。

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第五章 拡散的思考
 それほど詳しくは知りませんが、世界的に評価が高いフィンランドの教育法「フィンランドメソッド」では「発想力・論理力・表現力・批判的思考力・コミュニケーション力」をカルタ(マインドマップ)を駆使して伸ばすと聞きます。
 私はこのマインドマップや箇条書きが「拡散的思考力(発想力)」を磨く一番の方法ではないかと考えています。拡散的思考力を磨くことで複数の案を発想することが出来るようになり、単純な思いつきの安易な結論に流されることが無くなり、批判的思考力や問題解決能力の土台が作られると考えています。様々なテーマを設定して、自らの力で発想できるだけ書き出し、足りない部分は調べて書き出すことをひたすら繰り返す。箇条書きやマインドマップを書きまくり、フィッシュボーンチャート、フローチャートへ収束させていく練習をたくさん行うことで、恐らくアクティブラーニングを行うのと同じような効果が生まれ、批判的思考力や問題解決能力が養われるのではないかと考えています。
 もちろん、この考えの根拠となるような定量的な実験など行っていないので(行えない)、効果が本当にあるかどうかわかりません。ただ「フィンランドメソッド」と近い考え方なので、フィンランドメソッドのPISA学力テストの実績を考えると、ある程度効果があるのではないかと勝手に思っています。(ただの願望で何の根拠もありません。)


第六章 最後に
 第一章の最後で「小中高と大学の文系の学問(自然科学、社会科学、人文科学)、全ての勉強が社会に出てから役に立つ。ただし、今の教育では不足している部分があり、学習の真価を引き出せていないのではないか。」と書きましたが、結局「思考技術」についてよくわからないままに勉強しているので、ザルで水をすくうように学んだことがどんどん抜けていっている状態と思います。今の教育で不足している部分は「思考技術」であり、思考技術こそがこれからの時代に必要な「批判的思考」や「問題解決能力」の土台になると考えています。
 輝ける20世紀後半は遠い過去へと過ぎ去り、これからの21世紀は様々な方向で激動の時代となっていくと予想されています。あまり考えたくはありませんが、人口動態、経済問題、財政赤字、温暖化問題など、悪い方向へと大きく動きそうな問題もたくさんあります。世界の変化は以前と比べると大きく速く、今日覚えたことが明日には役に立たなくなるかもしれない、そんな時代を生きている以上、生涯学習、アクティブラーニング、問題解決能力を含む「学ぶ力」というのはこれまで以上に重要になってきます。学ぶということは、必ずしも学生が学校でやるものとは限りません。この情報や知識の供給過多の時代ですから、図書館やamazonの中古本やネットなど様々なツールを駆使してリベラルアーツなどを能動的に独学である程度学ぶことも出来ます。その時に役に立つのが「思考技術」なのではないでしょうか。学習を補助する思考技術が学校などでも取り入れられていけばいいのではないかと考えています。
 

事象の認識と問題の発見

 思弁的で抽象的な思考実験のような話になりますが、事象の認識の複雑性について考えたいと思います。
 
 「A→B」という因果関係の事象があるとします。この事象を心の中で思い起こす時、心はどのような働きをするでしょうか。「「A→B」を思い起こすなんてそんなこと簡単だ!」と思われるかもしれませんが、案外難しいものかもしれません。

・A   (Aしか思い浮かばない)
・B   (Bしか思い浮かばない)
・A B (AとBが思う浮かんだが、つながりが思い浮かばない)
・A→B (正解 正しい因果関係が思い浮かぶ)
・B→A (因果関係を逆にしてしまった)
・    (そもそも何も思い浮かばなかった)

「A→B」という極めて単純な因果関係を思い浮かべようとしたときでさえ、考えられるパターンは上記の6個になるかと思います。A、B以外を思い浮かべてしまうパターンも含めるともっと多くなります。


 ではA→B→Cという因果関係ではどうでしょうか。

・A   (Aしか思い浮かばない)
・B   (Bしか思い浮かばない)
・C   (Cしか思い浮かばない)
・A B (AとBしか思い浮かばない上につながりが思い浮かばない)
・A C (AとCしか思い浮かばない上につながりが思い浮かばない)
・B C (BとCしか思い浮かばない上につながりが思い浮かばない)
・A→C (AとCが思い浮かび、因果関係も正しいがBが無い)
・C→A→B(ABCが思い浮かんだが、因果関係が間違っている)
・以下省略・・・

 ここで確認しておきたいのは、A→B、またはA→B→Cという極めて単純な因果関係ですら、考えようによっては正確に心の中で思い起こすことは難しいということです。人は、自分が知っていることと思い浮かぶこと(利用可能性ヒューリスティック)だけが、この世界の全てとつい思い込んでしまう「無知の無知」というバイアスが掛かっているので、断片的な発想で作り上げた不完全なモデルでも正しいと勘違いしてしまうことがよくあります。
 ここではA→B、またはA→B→Cというわかりやすいモデルで表現したので「こんなもの心の中で思い浮かべるなんて簡単だ」と思われるかもしれませんが、現実社会での問題はこのようにわかりやすくはありません。「「A~Z」の26個の中から複数個の正しい選択肢を選び出して、正しく因果関係を作りなさい。ただし、何が正しいかは各々の判断に委ねる。また「A~Z」以外にも、各々が正しいと思えば数字でもひらがなでも選んでかまわない。」という感じの、問題も回答も一体何が正解なのか全くわからないということが数多くあります。
 与えられた問題を解く能力も問題解決能力であることは間違いありませんが、「問題が本当に存在しているのか」「問題が何なのか」「問題の範囲はどこまでなのか」「問題に対する前提は正しいのか」など、「問題を発見して、定義する能力」がさらに一歩踏み込んだ本当の問題解決能力なのだろうと思います。

 

頑張るベクトル 諦めるベクトル

matome.naver.jp

文中より引用、抜粋
大人の発達障害の傾向
(1)注意散漫で、他人の話を最後まで聞けない。
(2)オーガナイズすることが苦手で、集中力を必要とするタスクを避け、またはタスクを完結できない。
(3)よく物をなくしたりして忘れっぽく、すぐに気が散り、落ち着いていられない。
(4)他人のことには無関心で、つねに自己中心的であり、自分の感情をコントロールできない。
(5)しゃべりだしたら止まらず、他人の会話を遮ったり、その場の話題とは関係のない、自分に興味のあることをしゃべりだす。

大人の発達障害自己診断
1.いつも落ち着きがなくそわそわしている
2.気が散りやすく、集中できない
3.後先考えずに思いつきで行動してしまう
4.仕事や勉強の先延ばし傾向
5・期限が守れない
6.感情のコントロールが苦手
(些細なことで、怒りのスイッチが入り感情を爆発、または気分が落ち込みメソメソする)
7.空気が読めない。
8.人の話が聞けない
9.社会(人との)のルール(約束)が守れない
10.自己中心的で、他者との協調性が乏しい
11.人の気持ちをよんで場面や状況に応じた対応ができない
12.頭の中で考えたことを上手く言葉にできない
13.感謝、反省、共感などの気持ちを上手く表現できない
14.周りに助けを求めたり、要求をことわることができない
15.友人や恋人などの信頼関係が持続できない
16.孤立しやすい
17.自己評価が低い
18.飽きっぽく一つのことが長続きしない
19.整理整頓ができず、忘れ物が多い
20.計画性がなく管理が苦手
21.睡眠のリズムを作りにくい。
22.興味や関心のあることに強いこだわりを持ち、極端にやり続ける
23.会話を一方的にしてしまう。相手の話に興味をもてない
24.自分の興味のあるものに熱中し、労力や時間を費やすのに苦にならない
25.五感に過敏がある。または、鈍感である
26.体を思うように動かすことが苦手である。
27.家事や雑用が段取りよくできない

 正直、自分に当てはまるところが多いなと思うし、自分は発達障害グレーゾーンなんだろうなと思います。しかし、これは多くの人にある程度当てはまるのではないしょうか。上記の特徴は人間が持つ本質的な傾向であり、全てクリア出来ている完璧な人間なんてほとんどいないのではないかと思います。ある精神科医が「人間は全員発達障害である。」と言っていましたが、本当にその通りだと思います。
 自分を高めるために頑張ることは大事ですが、人間は本来上記のような特徴を本質的に持っていますので、あまり完璧になろうとせず「まあ、自分はこんなもんだよ。」と、ある程度自分に対して許して諦めるベクトルも重要なんだろうなと思います。自らを限界まで追い詰めて頑張るベクトル、逆方向の許し諦めるベクトル、この二つの方向の伸び縮み、柔軟性があったほうがいいのだろうと思います。

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現在取り組んでいるテーマ 「教育」「業務プロセス」「無縁と孤独死」

(1)教育について
 認知科学社会学と隣接し、親和性も高い「教育」について考えています。現在の教育は批判的に検討しなければいけない点が多いのではないかと感じています。

(2)業務プロセスと業務改善について 
 仕事はなぜ属人的で複雑怪奇な業務プロセスへ変化していくのでしょうか。またそのプロセスを改善しようとするとなぜ現場は激しく抵抗するのかについて、認知科学からアプローチします。

(3)無縁社会
 一時ツイッターバズワードにもなった「大量孤独死」についての考察。ルネサンスから始まった近代社会ですが、その最先端を行く日本社会において最終形態である「非婚化」「少子化」「高齢化」「無縁化」そして最後には「孤独死による腐乱死体の大量発生」へ向かおうとしています。近代の成立から近未来まで、そのプロセスの根幹に光を当てたいと思います。

ノートとペン

 ノートとペン。この組み合わせは、ある意味では最新のパソコンやスマホに匹敵する性能を有し、ある面ではパソコンやスマホも上回る最高のコンピューターだ。一切の制約がなく、好き放題に書き殴れる。安く、軽く、モビリティーも最高級のレベルだ。
 この組み合わせの汎用性と総合力について、いくらでも考えられる。ちなみに僕の愛用のペンはuniballのsignoの0.38mmで、ノートは5冊200円の日本ノートである。

無知の知と絶望

 あえて説明する必要すらないかもしれないが、「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉である。「自分は何でも知っているという、自分だけの小さな世界に閉じこもっていたらつまらないよ!自分が何も知らないということを認めて、世界観をどんどん広めていこうよ!」ライトなニュアンスで表現するとこんな感じだろうか。
 確かにその通りである。自分が何も知らないということを認めることが、自らの世界を広げる第一歩であると思うし、世界を広げることは基本的にはいいことなんだろうなと思う・・・。
 しかし、「無知の知」を自己啓発セミナーの安易な標語や方針のようなものだと思って、舐めてはいけない。「無知の知」に立ち向かうということは、己の存在価値や己のアイデンティティへの挑戦とさえ言える、絶望的なまでの闘いであると認識しておいたほうがいい。
 新しいことを知るということは、一種の絶望との遭遇でもある。自分が「こうだ!」と思っていたことが、未知との遭遇により徹底的なまでに破壊されることなど日常茶飯事だ。自らのアイデンティティさえも脅威に晒されるぐらいの絶望との遭遇である。そんな絶望に好き好んで立ち向かうぐらいなら、何も知ろうとしないほうが、ずっと安らかに生きていける。
 しかし、人間の適応力も舐めてはいけない。自らの無知を何度も何度も体験することにより、パンチドランカーのように「無知」への耐性を身につけたときに、「不可知の知」に辿り着くのかもしれない。

人は新しいことを知りたくない
考えられていないことはほとんど存在しない

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【80冊目】はじめよう! プロセス設計 ~要件定義のその前に 羽生 章洋【81冊目】ビジネスプロセスの教科書 山本政樹

はじめよう! プロセス設計 ~要件定義のその前に

はじめよう! プロセス設計 ~要件定義のその前に

ビジネスプロセスの教科書

ビジネスプロセスの教科書

 このブログは認知科学の一分野であるロジカルシンキングが主要なテーマの一つとなっています。このテーマに関連する記事を何回か書いていますが、基本的には抽象的で概念的な説明を心掛けています。具体事例を用いて説明すると、途端にロジカルシンキングとは何かという本質がよくわからなくなる可能性があるからです。書店に山積みされている自己啓発本のように、具体例を大量に羅列することで、枝葉末節に囚われて、結局何を言いたいのかわからなくなくなることが無いように心掛けています。
 とは言え、ロジカルシンキングを頭の中や机の上だけで鍛えてもしょうが無いと思います。学者や研究者でない限り、あくまで実生活の中で、特に仕事上でその磨いた能力を使わないと本末転倒です。
 今回の二冊は、理論的なロジカルシンキングを、仕事で応用としてどのように実践するか、「理論応用」の橋渡しを考えるために適した本ではないかと思います。(この二冊も相当抽象的かもしれませんが。)
 「はじめよう!プロセス設計」はシステム開発の一分野として、システム開発の前段階のプロセス設計の説明本です。「業務」というもののプロセスを噛み砕いて、「業務」をどう考えるべきかをイラストを多用してとてもわかりやすく説明しています。
 「ビジネスプロセスの教科書」はコンサルタントの著者が、業界、企業、部署、など、およそ「業務」に関わりのある全ての事象を網羅的に俯瞰して、その中から必要なプロセスを順序立てて構成する方法論を説明しています。正にビジネスプロセスの教科書と呼べる本かと思います。
 両書とも、実際の業務で全体像を抽象的に俯瞰するための、具体的な方法論が書かれています。(抽象的に具体的というよくわからない表現ではありますが。)このブログでは普段は抽象的な理論を主に取り扱っていますが、全体と部分を何度も往復し様々な視点から物事を見る重要さを、本書に書かれているビジネスでの具体例を通して改めて認識することが出来ました。

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