蟻の社会科学~リベラルアーツとロジカルシンキング~

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にロジカルシンキングを最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

ブログのガイドライン リベラルアーツとロジカルシンキング

リベラルアーツについて
 リベラルアーツとは自由を獲得するための知識を増やす活動です。リベラルアーツのリベラルとは「自由」という意味で、その源流は古代ギリシアまでさかのぼります。古代ギリシアには、「自由市民」と「奴隷」の二つの身分がありました。自由人として生きていくためには知識を身につけていなければなりませんでした。なぜなら知識が無ければ人に利用されるだけの奴隷として生きていくしかなかったからです。自由に生きていくためには知識を身につけなければいけないという考え方、概念がリベラルアーツです。後に「文法」「修辞学」「論理学」の3学と、数学に関わる「算数」「幾何」「天文」「音楽」の4学で構成される「自由7科」として古代ローマに体系化されました。
 人は知識を得ると知識を得た分だけ自由になれると思います。例えば文字を覚えればありとあらゆる場面で役に立ちます。何が書いてあるかわからないという不自由から解放されます。パソコンの便利な機能を一つ覚えるとそれを知らなかった今までの不自由で非効率な状態から一つだけ解放されます。車の運転の知識を得て免許を取ればその分だけ行動の自由が増えます。徒歩や公共交通機関だけしか使えないという不自由な状態から解放されます。知識を積み重ねることで様々な不自由から解放されていきます。リベラルアーツとは知識を積み重ね思考の自由を得ることで硬直した不自由な価値観からの解放を目指した活動と言えるでしょう。
 ただし自由と孤独は表裏一体です。思考の自由を得ることで誰とも分かり合えない孤独に陥ることもあるかも知れません。しかし孤独を恐れることなく本当の「自由」を目指す勇気もまた必要なのかもしれません。下記に大阪大学文学部長 金水敏さんの言葉を引用します。世間からの「文学部って何の役に立つの?」という声に対する考えを語ったものです。

「(前略)その時、(文学部で)学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう」
「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、(文学部で)学ぶさまざまな学問であったというわけです。」


ロジカルシンキング(論理的思考)について

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 リベラルアーツにより知識を得たら次は「考える」段階へと至ります。「考える」とはどういうことなのでしょうか?「考える」を最も単純なモデルで表すと
①感情(通称:「システム1(速い思考)」「感情的思考」)
②思考(通称:「システム2(遅い思考)」「論理的思考」「流動性知能」)
③知識、経験(通称:「結晶性知能」)
これらの相互作用ではないだろうかと考えます。
 人は基本的には「感情」「主観」「経験」によって「早合点」「思い付き」で結構拙速に判断します。しかし感情、主観、経験という個人的視座をベースとした思考は非合理性や大きな偏りが生じます。より深い思考を行うためには「論理」「客観」「知識」を加えなければ合理的かつ深い思考には至らないと思います。このカテゴリでは「②思考」の中でも「論理的思考、ロジカルシンキング」と言われる分野について掘り下げてみたいと思います。

①感情について
編集中・・・
②思考について
論理的思考のフローチャートモデル(リンク先参照)


プロセス01_情報、知識の収集(リベラルアーツ
01_好奇心を持つ 想像力を働かせる
・好奇心が無ければ何も始まらない。無関心の先には何もない。
02_情報、知識の収集、蓄積
・知識は思考を燃え上がらせるためのガソリン。燃料が無くては思考は燃え上がらない。
03_自分を自分の世界に閉じ込めない
・自分が知っている世界に閉じこもるのは心地よいが・・・
04_無知の知、自分が知らない世界が存在することを知る
・僕たちは何も知らない。

                         


プロセス02_情報、知識の圧縮と整理(ロジカルシンキング
05_情報を紙に書き出す。連想力を活かす
・人間のワーキングメモリは少なく、一度に考えられることはとても少ない。紙に書き出さずに思考することは原理上不可能。
06_モデルを用いた思考〜モデルとは何か〜
・何が何だか訳がわからない!訳がわからないならわかるようにしてしまえ!
07_粒度(りゅうど)について
・抽象と具体、マクロとミクロ、鳥の目と虫の目 大きなことと小さなことを考える
08_構成要素を可能な限り書き出して静的構造を考える
・相互関連性も粒度も流れも考えずとりあえず構成要素を書き出す「しうこあけさかおいくすせえそき」
09_構成要素を圧縮、整理しながら動的構造を考える
・相互関連性と粒度と流れを考えて構成要素を並び替える「あいうえお」「かきくけこ」「さしすせそ」

                         

                     
プロセス03_行動(抽象的モデルを具体的行動に変換する)
10_心的イメージと行動の連続性
11_脳の可能性、脳の可塑性について

【64~66冊目】海嶺(上)(中)(下) 三浦綾子


 江戸時代末期に現在の愛知県からアメリカのシアトル近郊まで漂流した音吉達(おときち)の数奇な運命を描いた小説。1832年、千石船宝順丸は乗組員13名を乗せて江戸に向けて出港したが遠州灘で嵐に会いそのまま太平洋へと漂流する。14か月の過酷な漂流の後、現在のシアトルの近くに流れ着いた音吉達だが13名いた船員たちは壊血病などで次々に亡くなり、生きていたのは 音吉 久吉 岩吉だけの3名だった。現地のインディアンの奴隷として過ごした後、北米を中心に活動していたイギリスのハドソン湾会社によって救い出され善意により音吉達は日本へ送り届けられることとなった。前述の漂流のプロセスと救い出された後、バンクーバーホーン岬、イギリス、喜望峰、マカオを経由して5年かけて日本へ向かうプロセスが構成の中心となっている。そしてそのプロセスを通して本書の根底に流れるのテーマは「キリスト教」「強い望郷の思い」である。
 キリスト教が禁止されていた江戸時代に生まれた音吉達は日本へ帰る旅の中で、ことあるごとにキリスト教へ触れることとなった。キリスト教が邪教と言われていた時代に生まれた音吉達の心に植え付けられたキリスト教への恐れと、旅の中で触れるキリスト教徒の心からの善意との間で音吉達はキリスト教が本当に邪教なのかという葛藤を覚える。敬虔なクリスチャンである作者は押し付けることなく、この音吉達の揺れ動く葛藤を通してキリスト教の本質を読者に伝えようとしている。また本作のもう一つの根底をなす音吉達の望郷の思いは同情なくしては読むことが出来ない。ただ故郷のことだけを思い音吉達は数年を過ごした。ようやく日本へ到着し上陸しようとした音吉達が乗ったモリソン号だが、当時の江戸幕府鎖国政策により大筒により砲撃され、接岸することなく立ち去るしかなかった。そこで本作は終わるのだが、作中で繰り返されてきた音吉達の強い望郷の思いと江戸幕府から砲撃され立ち去るしかなかった状況であっさりと終わらせたこととの対比により、読後の寂寥感を強く感じることが出来た。

【63冊目】欲望と資本主義~終わりなき拡張の論理~佐伯啓思

「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)

「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)

 
 著者が本書の中で述べているように「資本主義」という言葉の語感にあまり祝福されない要素が含まれているような気がする。人間の感情を超えた非人間的で合理的な拝金主義という負のニュアンスが「資本主義」という言葉に含まれている気がするのは僕だけではないだろう。本書は資本主義のエッセンスを極限まで圧縮し、その祝福されない「資本主義の歴史」「資本主義の根底」「人間の欲望」を明らかにする名著であると思う。
 資本主義の本質は未来からの借金であり、 "未来から借金し続け、未来からの借金を返し続けるプロセス" こそが資本主義の根源的なエンジン"である。即ち、"永遠無限の拡大再生産" を続けることが原理的に資本主義存続の絶対条件となっている。その拡大のベクトルを「外へ向かう資本主義」と「内へ向かう資本主義」として本書で説明している。外へ向かう資本主義とは量的な拡大を含むマーケットの拡大のことである。グローバル資本主義によって地球上で世界経済の影響を受けない地域はほとんど存在しないだろうと言えるほどマーケットは拡大した。例えばアフリカのサバンナに暮らす民族がスマホを持っている映像などを見るとグローバル資本主義のマーケットの拡大がとどまることが無いことを実感できる。内へ向かう資本主義とはマーケティングにより細分化しパーソナライズすることにより人々の欲望を掻き立て新たな需要を作り出すことである。例えばコンビニへ行くとレジの前には数百種類のタバコが置いてある。他にも飲み物やお菓子などのコーナーにも何十種類もの製品が置いてある。車一つ取ってみても、グレード、色、オプションなどの組み合わせは数十種類になるだろう。職業図鑑というサイトを見てみると多様な職業が記載されていて、もはや想像もつかないような仕事がこの世にたくさんあることがよくわかる。内へ向かう資本主義により製品もサービスも極限まで細分化されながらマーケットは拡大している。
 このように外側と内側ヘ向かう資本主義の拡大により永遠無限の拡大再生産を続けてきたのであるが、このフロンティアの終わりなき拡大運動を今後も永遠に続けていくことは可能なのだろうかというのが著者の問いとなっている。フロンティアを外側へ内側へ拡張を続けてもいつか限界に到達し「均衡状態」に陥る時がくるのではないだろうか。その時僕たちはこのベクトルをどの方向へ向ければいいのだろうか。もちろんこの問題に答えなんてないけれどそれを考えるために必要な刺激を本書は与えてくれる。

【62冊目】知能はもっとあげられる ダン・ハーリー

知能はもっと上げられる : 脳力アップ、なにが本当に効く方法か

知能はもっと上げられる : 脳力アップ、なにが本当に効く方法か

 近年「脳トレ」などで脚光を浴びつつある知能向上の科学。その知見を用いて知能を上げることが出来るかどうかを科学ジャーナリストのダン・ハーリーが実践してみたのが本書です。
 本書の前半では知能向上に効果があるとされる方法の紹介となっています。
①Nバック課題・・・脳トレのゲームのようなもの
②ルモシティ・・・ウェブ上で行う脳トレのゲーム
③運動・・・運動が脳に効果的と言われている。
④音楽・・・音楽が脳に効果があるということで楽器の練習を行う。
⑤マインドフルネス(瞑想)・・・瞑想が脳に効果的と言われている。
⑥ニコチンパッチ(タバコではない)・・・脳の覚醒効果があるとされる。
⑦IDCS・・・脳に電気的刺激を与えて脳を活性化させる。 
 後半はアメリカ認知科学会内での "知能はトレーニングで向上する派" と "知能は生まれつきだから向上しない派" との論争がメインとなっています。学会内の論争の論点を思いっ切り単純化すると脳トレで知能は向上するか。また知能が向上した場合、その能力は実生活で生かすことが出来るか?という点になるかと思います。結論としては「知能向上の科学自体が新しい分野なので断言することは難しい。しかし一定の効果はあると多くの科学者が認めるところである。」ということになるかと思います。また上記のトレーニングを一部実践したダンハーリーの結論としては「私は頭が良くなったような気がする」ということでした。
 個人的な意見としては脳トレでの知能向上にそこまでこだわる必要があるのだろうかと思いました。脳トレの効果は確実にあると思いますが、 " 読書 " "クリティカルシンキング(批判的思考)" "ロジカルシンキング(論理的思考)" "ラテラルシンキング(水平思考) "演繹と帰納" "抽象と具体" などと呼ばれる思考テクニックのトレーニングと習得のほうがよっぽど手っ取り早いのではないかと思います。変な例えですが、原始時代で一番頭がいい人より現代の小学生のほうが計算問題においては原始人より得意だろう・・・。地頭(流動性知能)も大事ですが、知識や経験やテクニック(結晶性知能)のほうがより大事なのではないかと思います。

知識は知識を呼び込む

 本を読んだり新しいことを経験すると新しい知識が1個増えるとします。同時にその1個の新しい知識は3個の未知の要素で構成されているとします。即ち「1個の知識を知ると3個の知らないことを発見する」とします。

①1個の新しい知識を得ると3個の知らないことを発見する。
②5個の新しい知識を得ると15個の知らないことを発見する。
③10個の新しい知識を得ると30個の知らないことを発見する。
④50個の新しい知識を得ると150個の知らないことを発見する。
⑤100個の新しい知識を得ると300個の知らないことを発見する。
⑥500個の新しい知識を得ると1500個の知らないことを発見する。
⑦以下無限・・・

 ①〜③では知識が少なくその背景にある未知の要素の存在や全体像を把握することが出来ません。未知の要素の存在や全体像が把握できないということは ” 知らないことを知らない状態 ”と言えます。自分が断片的に知っていることだけを重視しがちで、その背後に存在する未知の要素を無視し、自らが知らないことに気付けない状態と言えるかと思います。
 ④〜⑥では多くの知識を持っています。多くの知識を持つことでその背後にたくさんの未知の要素が存在していることに気付くことが出来るようになってきます。知らないことがたくさんあることに気付くことが出来れば「知らないこと(新しい知識)にアクセスする能力」を得ることが出来ます。知らないことにアクセスする能力が身につけば未知の要素と未知の要素をつなぐネットワークを構築し、指数関数的に知識と思考力を増やすことが出来る可能性があります。

 知識が少なすぎると物事の背景に存在する未知の要素に気付くことが出来ません。知識が増えれば増えるほど物事の背景に存在する未知の要素に気付くことが出来ます。気付くことが出来れば体系的にその未知の要素を新たな知識として取り込んでいくことが出来ます。
 

モデルとは何か?

モデルを用いた思考
 より深く論理的思考を行うために非常に便利なのが「モデル(模型)」を利用した思考法です。学者、研究者、システムエンジニア(特に上流工程)、コンサルタントなど理論や概念や抽象的思考を取り扱う職業には必須の思考法と言えるかと思います。しかし前述のような複雑な思考を必須とする職業でなければモデル思考を出来ないというわけではありません。トレーニング次第で誰でもある程度はモデル思考をできるようになると思います。モデルを使った思考のエッセンスを日々の生活に取り入れれば深い思考に基づいての行動が出来るようになり、仕事やプライベートでも今までとは違う可能性の扉が開くかもしれません。

モデルとは何か?
 僕たちが生きているこの世界はあまりにも複雑です。宇宙、物理現象、世界情勢、政治、経済はもちろん、日々の仕事や身の回りの日常生活でさえ複雑で把握しきれないことがたくさんあります。この世界で生じる様々な事象は複雑すぎて理解出来ない!複雑で理解できないのなら理解できるように単純にしてしまえ!という発想がモデルです。事象を構成する要素の中から" より重要で 本質的で 根源的 " と考えられる要素だけを帰納法で取り出して捨象し抽象化し単純化純化する。その単純化した要素がそれぞれどのような相互関連性や因果関係にあるのかを示したものがモデルであり、それを利用して考えるのがモデル思考です。

モデルについての具体的な説明
 話がかなり抽象的になりましたので、具体例を用いてモデルについて考えてみたいと思います。f:id:pochi0326:20170723093919j:plain
 上記の図は認知心理学脳科学系の本を参考に作成した人間の思考の図(モデル)です。人間の思考という極めて複雑なものを感情、思考、知識という三要素に強引に分類しています。このモデルに対し「人間の思考は複雑だよ。人間の思考を三要素だけで表すなんて不可能だし、間違っている。」という罵りを受ける可能性もあるでしょう。しかし人間の思考について考えるとき  "人間はこういう場合はこう考える"   "ああいう場合はああ考える"  "そういう場合はそう考える"  というように無数の具体的な事象を観察するだけでは細部に惑わされて本質が分からなくなります。帰納法で徹底的に捨象して本質的かつ根源的な要素を取り出すことにより初めて、人間の思考という極めて複雑な事象に対してアプローチできるのではないでしょうか。例えば物理学では「ただし摩擦は考えないものとする」という現実的にはあり得ない前提条件を想定し、事象をより単純化して本質にアプローチしたりします。例えば経済学では貿易について考えるときなどに「この世界にはA国とB国しか存在しないとする。またA国が生産するのはA財のみ、B国が生産するのはB財のみと仮定する。」という極限まで単純化したあり得ない前提条件のもとに貿易について考えることで、よりシンプルに貿易の根源的な部分にアプローチします。
モデルと論理的思考
 抽象化されたモデルを用いての事象へのアプローチは第一段階です。「机上の空論」「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きているんだ!」という言葉もあるようにモデルはあくまで抽象化された理論でしかありません。第二段階では単純化された抽象的なモデルを徐々に具体的なモデルへ細分化していきます。"モデルという抽象的な理論"と"現実という具体的な事象"との比較を行い抽象的理論と具体的現実のズレを何度も修正しながらモデルをブラッシュアップしていくことでその事象への理解が深まっていきます。このような抽象と具体の往復運動、理論と現実の往復運動から生み出されるプロットこそが論理的思考、ロジカルシンキングそのものだと思います。

モデルの種類
 重要で本質的で根源的な要素を抽象化して取り出して表示するのがモデルですがその表現方法はたくさんあります。例えば
①数式   
E=mc^2(エネルギー E = 質量 m × 光速度 c の2乗) 
アインシュタインの「質量とエネルギーの等価性」の数式です。エネルギーと質量と高速度の関係を極めて単純な数式で示しています。(ちなみに僕は上記の式について全く理解できません(笑) 理解できませんが一例として紹介させていただきました。)
②図
図解を用いて要素と要素の相互関連性や因果を示します。前述の思考のモデル図や下記の環境のモデル(wikipediaより引用)などがあります。

③例え話
 複雑な分かりにくい内容を、比喩によって具体的なものの話に置き換えて分かりやすく説明する、短く簡潔な物語のことを例え話と言います。古代中国で学者は王に何かを説明するときは例え話を用いて物事の核心を伝えていました。西洋にも有名なイソップ寓話など物事の核心を伝えるための物語がたくさんあります。

このブログでもモデルを利用していますので参考までに記載します。


漁師とビジネスマン 資本主義と幸福について(例え話を用いたモデル)
リフレ論とベビーシッター協同組合(例え話を用いたモデル)
藤沢数希氏の経済のモデル(例え話を用いたモデル)
経済の考え方(図を用いたモデル)
我々が働く理由(図を用いたモデル)
非婚化の時代(一部数式を用いたモデル)

 このように不要な部分を徹底的に削ぎ落し物事の根幹となることだけを取り出すモデル思考法を身につけることで様々な場面で物事の本質から問題を考えることが出来るようになります。

粒度について

 仕事のやることリストを作るとします。そのリストに「働く」という一項目だけしかなかったとしたらやることリストとして機能するでしょうか。「働く」という一項目ではあまりにもアバウトすぎてチェックリストとして機能することはないでしょう。では「部屋に入ったら挨拶をする」「タイムカードを切る」「自分の席に座る」「パソコンの電源ボタンを押す」「メーラーを立ち上げる」・・・・このように非常に細かくやることが記載されているとしたら。これもまたチェックリストとして機能することはないでしょう。一日のやることが数百項目ぐらいになりチェックしきれません。最適な粗さ、細かさのリストを作ることが必要となります。
 粒度とは事象の「粗さ、細かさ」「抽象度、具体度」のことです。静的構造、動的構造を紙に書きだす時、粒度を意識することが重要になります。大きなフレームで考えるときは抽象的かつ大きな粒度で、小さなフレームで考えるときは具体的かつ、小さな粒度で考える。粒度を意識した思考を出来るようになればロジカルシンキングの核心の一部を成す「抽象と具体の往復」という思考プロセスに至ることができるのではないかと思います。