蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にシステム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

自己啓発本

 本屋へ行くと自己啓発本が大きなコーナーとなってかなりの面積を占めている。タイトルを見ると「人生が楽になる42の習慣」とか「外資系コンサルが教える仕事が速くなる30の方法」とか「幸せになりたければナントカをやめなさい」など、なんとなくそんな感じの本がたくさん並んでいる。
 僕もその手の本を何冊か持っている。手元にあるその本のタイトルを書くことは控えるが、人間を成長させるための52の秘訣が書かれた本の内容を適当に一部抜粋すると・・・

・秘訣4 メモを取る
・秘訣11 神童の神話を真に受けない
・秘訣17 苦闘を歓迎する
・秘訣32 ポジティブな面に意識を集中する
・秘訣44 汗水たらして努力する

など書いてある。本屋においてある自己啓発本も内容は恐らく似たようなものだろう。この手の本に書いてあることは全く否定しない。間違いなく正しいことが書いてあるのだろうと思う。間違いなく正しいことが書いてあるとは思うが、「この内容に一体何の意味があるのだろうか?」と言わざるを得ない。
 自己啓発本の内容はとても具体的でわかりやすい。しかし、言い換えれば具体的であるということは「こういう時は、こうしろ!」と事細かに言っているということだ。では「こういう時」じゃないときはどうすればいいのだろうか?また「こういう時」のために何十個もの方法とやらを覚えていなければ行けないのだろうか?自己啓発本は具体的でとてもわかりやすく、読んだときには「あ~なるほど~わかったぞ~」という気分にはなるけど、詠み終わった次の日にはもう覚えていないことが多いと思う。なぜならそんな具体的なことを何十個も覚えることは出来ないからだ。本屋に自己啓発本の大きなコーナーがあること自体がその証明になるのではないか。
 重要なのは具体的な事例を抽象化して本質を抽出する能力だと思う。自己啓発本を全否定するつもりは無い。具体例を抽象化して本質を抽出する能力があるのであれば、自己啓発本もアイデアの参考として役に立つこともあると思う。しかし、物事を抽象化して本質を抽出することが出来る人であれば、自己啓発本は無意味とは言わずとも必要ないかもしれないなと思う。

パスカルの手紙

 12/6の記事の第11章の一部を書いた。書くことによって、自分の脳内でまた新たな変化が起こり、また新しいことを書こうと思ったり、不要なところを消していったりする。書くこと自体が自らに変化を促し、新たな相互作用を起こすファクターなのだなと改めて感じる。
 パスカルが友人に宛てた手紙の最後に「今日は時間が無かったためにこのような長い手紙になってしまったことをお許しください。」と書いたが、ただ思いついたことを順不同に思うがままに書き連ねることはそれほど難しくない。最大限わかりやすく伝えるために、必要最小限の構成要素まで削る作業は難しいなあと思う。しかし、年内に第二部までは書き上げるぞ!

ブログの新ガイドライン(2)無知の知~私の中のミクロコスモス 脳と心と思考~

 60%完成、推敲不十分、後日追加変更あり。とりあえず書きかけをアップしようと思います。

第一部 システム0とシステム1~ 無意識と感情 ~ 
第1章 はじめに
 このブログは社会のことを考える社会科学なのですが、ここ2~3年は認知科学に興味の中心が移りました。認知科学とは人間の知覚、記憶、思考などの知的機能の仕組みを、脳科学、心理学、哲学、言語学、宗教学、文化人類学神経科学、情報科学、システム科学・・・など様々な分野からのアプローチによって解明しようとする学問です。興味を持ったきっかけはいわゆる「ロジカルシンキング(論理的思考)」が仕事を正確に効率的に行うために役に立つだろうと思い、ロジカルシンキング関連のビジネス書を読んだのが始まりでした。ロジカルシンキングの本を数冊読んだだけでは飽き足らなくなり、人間の心や思考を知るためにより根本的な脳科学認知心理学の学習も始めました。勉強の過程で人間の心や思考を研究する学際的領域(複数の学問にまたがった大きなカテゴリー)として「認知科学」という分野が確立していることを知りました。
 認知科学の勉強を始める前は脳科学や心理学はあまり好きではありませんでした。心や思考というのは人間にとって「最後の秘密基地」であり「自由を保証された最後の領域」であり、脳科学や心理学などはその秘密基地を暴き、最後の自由を侵すようなものという感覚がありました。「最後の自由」が暴かれ、脳科学や心理学という名の透明な檻か透明なフレームに閉じ込められて心の自由を侵されるような感覚と、それに反発したい気持ちとがありなんとなく好きになれませんでした。
 しかし認知科学をある程度学んだ現在は考え方が変わりました。私たちは心は自由でありたいけれど、その自らの心の自由によって苦しむこともまた多いと思います。思い通りにいかずイライラして八つ当たりしたりする。そのことで後でクヨクヨ悩んだりする。自分の希望に沿うように物事を勝手に解釈して後でうまくいかず悩む。愚にもつかない思い付きで不安になったり自信満々になったりする・・・。私たちの心は自由過ぎて、心の暴走を制御することが出来ずに苦しむ。または頑固過ぎて自分の思うように動かすことが出来ずに苦しむ。この自由気ままで頑固で暴れん坊な自分の心を制御するために認知科学を学び、認知科学のフレームに心をはめることで自由は失うことなく感情と思考をサポートし、よりよい方向へ柔軟に心をガイドすることが出来ると考えるようになりました。
 この記事では心と思考について下記の順に書いていきたいと思います。ただし単なる素人である私が「人間の脳や心」という壮大なテーマをブログの一記事として書き切れるものではありませんので、人間の心の見取り図をかなり大まかに切り出して私の興味の中心である「無知とは何か」を中心として展開していきたいと思います。記事の内容は全て先の研究者達の研究の成果の上に成り立っています。全ての研究者の方たちに感謝と敬意を申し上げます。また内容の一部に、認知科学における一般的な解釈に反して私の主観によって解釈されている部分がある可能性がありますので了解ください。

第一部 システム0とシステム1 ~無意識と感情~
第1章 はじめに
第2章 観念論 ~世界は脳の中に存在している。哲学からのアプローチ~
第3章 本能、無意識による決断 ~ システム0 ~
第4章 二重過程理論 ~システム1とシステム2、大脳辺縁系大脳新皮質、感情と思考~
第5章 歪められる世界 ~システム1、認知バイアスヒューリスティック
第6章 無知の知 ~世界と私の境界線~

第二部 システム2 ~思考と学習~
第7章 考えるとは
第8章 クリティカルシンキング(批判的思考) ~システム2、無知の知、内省~
第9章 ロジカルシンキング(論理的思考) ~静的構造、要素還元主義、抽象と具体など~
第10章 システムシンキング(システム思考) ~動的構造、世界は変化しながらつながっている~
第11章 学習 ~知識、理解、類推(アナロジー)、記憶について~
第12章 メタ認知

第三部  発展と応用
第13章 因果と推論
第14章 抽象化
第15章 アウトプットの方法(フレームワークなど)
第16章 システムシンキング その2 ~「おにぎり」をテーマにシステム思考を考える~
第17章 システムシンキング その3 ~近代化と少子高齢化をシステム思考で考える~
第18章 発達障害自閉症スペクトラム ~中枢性統合の脆弱性と心の理論~
第19章 本能に由来する自己中心性 
第20章 その他いろいろ(仏教、マインドフルネス、進化心理学など)
第21章 まとめ
第22章 参考文献


第2章 観念論の世界~世界は脳の中に存在している。哲学的アプローチ~
 世界とはひとりひとりの脳の中にエミュレート(模倣再現)された一種のバーチャルリアリティです。主に五感(視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚)から得た情報を、超高速で脳内に再現することが出来る私たちの脳は不完全でありながらも、驚異のエミュレーターです。世界はひとりひとりの脳内で個別に再生されていて、私たちには自らの脳内に再生される世界以外知るすべがなく、他人に見えている世界を確認して比較したりすることは出来ないので、私たちはこの世界が脳内で正しく再生されているかどうかは原理的に確認することはできません。
 例えば、一般的に人間は赤、緑、青の三色を感知する錐体細胞(色を認識する細胞)を脳内に持っていて光の波長でおおむね780nmの赤色から380nmの紫色までを可視光線として網膜で感知して脳内で色を再現していますが、色盲色弱の人には特定の色が再現されず、違う色彩で世界は表現されています。他の生物では錐体細胞は二色だったり四色だったり、波長の長い赤外線や波長の短い紫外線を見ることが出来る生物もいるようで、見える世界の色が違っていると思われます。
 天才数学者ジョン・ナッシュの生涯を描いた映画「ビューティフルマインド」では、統合失調症を患うナッシュの脳内で、存在するはずがない政府機関のエージェントと大学時代の友人が幻覚として何十年にわたり見え続けていました。このように脳に疾患がある人は見えるはずがないもの(幽霊など)が見えたりします。しかし「幽霊が見える!」という人が間違っているとは必ずしも言い切れません。ひょっとしたら幽霊は本当に存在していて、その人が見ている世界が正しくて、ほとんどの人が幽霊が見えない間違った世界を見ているのかもしれないのですから。
 繰り返しますが、全ての人間を含む生物の脳内では各個体ごとに違った世界が再生されているので「本当の世界」がどういうものなのか確認することは原理的に不可能です。私たちは自らの脳で再生される世界以外の「本当の世界」を確認するすべを持っていないからです。私たちは自らが能動的に正しく世界を見ていると思い込んでいますが、実は驚異的な高性能ではあるが不完全なエミュレーターである脳が五感から得た情報を、電気信号や神経伝達物質のやりとりによって超高速処理してエミュレートした映像や音などを受動的に受け取っているに過ぎないのです。
 「でもそんなこと考えていてもしょうがない。人間の脳に投影される世界はおのおの大体共通しているからその共通している部分のことだけ考えよう。」という趣旨のことを言ったのがドイツの哲学者イマニュエル・カントですが、その通りだと思います。本当の世界というものは様々な意味で絶対にわかり得ないと思います。本当の世界なんてわかり得ないということを受け入れたなら、逆に世界の多様性を受け入れて、自らの思考の多様性を生み出す下地になるかと思います。
 ここでは「この世界は私の脳という、高性能で驚異的ではあるが不完全なコンピューターが再現した一種のバーチャルリアリティである。」ということを確認しておきたいと思います。次の章からこの不完全なコンピューターがどのようにして世界を認識しているのかを簡単なモデルを使って検討していきたいと思います。



第3章 本能、無意識による決断~ システム0 ~

f:id:pochi0326:20181206222144p:plain
 上図は人間の情報の入力と処理のモデルです。近年の認知科学の研究では人間の行動の多くが上図のプロセス3の「本能、無意識(システム0)」で行われていることがわかっています。例えば、人は歩くとき、わざわざ「右足を出して、次は左足、その次はまた右足・・・」など考えることはありません。何も考えずに歩きます。車の免許を取りたての頃は運転前の準備段階や運転中も常に色々なことを意識しながら運転しますが、運転に慣れるとほぼ無意識に歩くのと同じような感覚で運転します。いちいち考えながら意識しながら日常の行動をとっていたのでは脳は疲れ果ててしまうので、慣れた行動は「ルーチン化された行動プログラム」となり、全自動で処理される無意識下にインストールされます。
 ここまではいいのですが、注目したいのは「私たちが意識して自由意思の下で決断したと思っていたことが、実は本能から発生していて無意識下にインストールされたルーチン行動プログラムであり、意識に上ってくる前に既に決断がなされている。そして意識はそれを追認しているだけ。」ということです
 この点に関しては近年の研究により明らかになってきたのですが、ここでは多くを書くことはできないので詳しくは参考文献を参考にしていただきたいと思います。ここでほんの一部紹介させてもらうと

① 高温のものに触ったとき無意識で手を引っ込める「反射」は、システム0の典型。
② 脳に大きな腫瘍が出来て、意識と知性を保ちつつ殺人鬼に変貌してしまった男の例。
③ 心理学の実験においてオキシトシンというホルモンを投与された人は「他人を信頼する」ようになる割合が大幅に増える。
④ 生物学の観点から「不倫遺伝子(AVPR1A遺伝子)」の変異体を持つ人は追跡調査の結果、遺伝子を持たない人より統計的に有意な高い割合で不倫をする。
⑤ 心理学の実験で「老人を連想させる単語」を多く聞いた大学生のグループは聞いてないグループより実験後の歩く速度が遅くなった。(プライミング効果)
⑥ 株などの投資において損失は先延ばしし、利益はすぐに確定してしまう。(プロスペクト理論

などその他色々、脳科学、心理学、生物学、行動経済学のなどの様々な観点から人の本能的、無意識的決断が明らかになってきました。
 ここでは「自らの思考の末の決断と思っていたことが無意識下ではすでに決断されていて、意識は後付けでその決断を支持する理由を探しているだけ。」「人間の行動のかなりの多くの部分が、本能と繰り返しの経験に由来する無意識下にインストールされた行動プログラムによって作り出されている。」「全ての行動を自らの意識上の思考の末の決断で行っているというのは大きな勘違いである。」ということを確認しておきたいと思います。



第4章 二重過程理論 ~システム1とシステム2、大脳辺縁系大脳新皮質、感情と思考~

 認知科学に人間の思考のメカニズムを説明する二重過程理論という理論があります。システム0の無意識層で生成された思考の源を、意識層の「システム1(主に大脳辺縁系付近から生成する感情的な速い思考)」と「システム2(大脳辺縁系から生成された速い思考を大脳新皮質(特に前頭葉)で吟味する遅い思考)」で、どのように処理するかを説明するモデルです。
f:id:pochi0326:20190105203752p:plain

 人の思考はシステム1とシステム2のスペクトラム(連続体)の間を状況に応じて左に行ったり右に行ったりしていますが、基本的にはより本能に近いシステム0およびシステム1から生成される速い思考をベースに世界を認識して行動しています。しかしモデルの通り、システム0、1の思考はその速さと引き換えに世界の認識に対して不正確な部分もかなり含まれています。その不正確な部分を含んだ速い思考を心理学では「ヒューリスティック」と呼びます。またシステム0、1の無意識で生じる認識の歪みを「認知バイアス」と呼びます。次の章では「ヒューリスティック」と「認知バイアス」について検討します。



第5章 歪められる世界 ~システム1、認知バイアスヒューリスティック
 システム0を経由し、システム1で生成されるヒューリスティック認知バイアスは様々あるのですが、ここではすべてを紹介することはできませんので、私が考える人間の心の核心を構成する部分を①~⑤で大きくまとめたいと思います。

①自己中心性のバイアス (1)自信過剰な傾向(2)自己防衛的な傾向

(1)自信過剰な傾向
 人は基本的には自分のことを「そこそこ優秀でそんなに捨てたもんじゃないぞ。」と思っています。「あぁ・・・俺は何をやってもダメな人間だ・・・」と自分の全てを否定的に考えてしまう抑鬱的な人や、修行僧や苦行者や革マル派のように自らの全てを否定して極限の高みを目指すストイックな人でない限り、多くの人は自分のことを「まあまあ優秀な人間」と思う傾向があります。逆に「俺はすごい!天才だ!」といつも思っている人もそんなにはいないかと思います。多くの人は特に意識はしませんが自分をまあまあの人間と考え、ほどほどの自信を持って生きているかと思います。それは「自尊心」「誇り」「プライド」とも呼ばれていて、人が快適に生きていくうえで絶対に欠かすことが出来ないもので健全な心を構成する重要な要素だと思われます。ここでは「人は謙虚になって自惚れるべきではない。」とか「自分に自信をもって堂々と生きるべきだ!」など言いたいわけではなく、ほどほどの自信を無意識で持っているのが人間のごく普通の心理状態であるということを確認したいと思います。自己中心性については18章でもう一度触れたいと思います。
 下記にて一部、自信過剰な傾向に関するバイアスを紹介します。詳細に関してはリンク先を参照願います。

・自己奉仕バイアス 自己高揚バイアス
・根本的帰属の誤り 基本的帰属錯誤
・優越の錯覚(1)
・優越の錯覚(2)
・平均以上効果
・ダニング・クルーガー効果
・不均衡な洞察の錯覚
・フォールスコンセンサス効果(投影バイアス)
 など

(2)自己防衛的な傾向
 人は無意識下で「まあまあ優秀な自分」というイメージを持っていますので、そのイメージを侵害されるような状況に陥った時には、無意識で自分の好ましいイメージやアイデンティティを守るように、その状況を自らに都合のいいように解釈をします。
・自己防衛バイアス=自己奉仕バイアス、自己高揚バイアス、根本的帰属の誤り
・自己正当化
・認知的不協和
・セルフハンディキャップ
 など

②一部を見て全てを理解したと勘違いする傾向(ヒューリスティックによる早合点、拙速なインプット)
③最初に思いついた考えを検証なしに信じる傾向(ヒューリスティックによる思い付き、拙速なアウトプット)
 人は無意識のうちに少ない情報で出来る限り物事を判断しようする傾向があります。その時、本能と自分の経験をベースに超高速でシステム0とシステム1から「なんとなくそう思った。」という直感的思考が生成されますが、それを「ヒューリスティック」と呼びます。人が使える時間は有限で、システム2でいつもじっくり考えられるわけではないので、ヒューリスティックによる判断は思考の経済性という点では非常に有効です。一番最初に思いついた考えというのは、正しいから思いついたのか、思いついたから正しいのかわかりませんが、思いついたことを常に批判的に検証しているわけにもいきませんので、一番最初の思いつきをとりあえず信用するのは様々な点において有効かと思われます。認知心理学者のダニエル・カーネマンは人間が拙速に結論を出す点において、人間を「結論に飛びつくマシン」と表現しました。
 しかし、速さと引き換えに様々なエラーも発生しますので留意が必要なのですが、人間は思い付きを検証しようと思い付くことは少なく、また少ない情報で辻褄合わせを行うことで主観的な整合性を作り出し、自らを納得させて満足してしまいます。さらにその少ない情報をもって全ての情報を得ていると勘違いします。手持ちの少ない情報の背後にさらに重要な情報が隠されている可能性に思いが至ることがなく、さらに背後の情報を得ようと思いつかない点が人間の情報処理における大きなエラーだと考えられます。ダニエル・カーネマンはこのエラーを「見たものが全て効果」と名付けました。「井の中の蛙効果」とも言い換えることが出来るかもしれません。もちろんこの世界の全てを知ることは出来ませんが、見えるものが全てではなく、見えるものは氷山の一角であると意識を常に持つことは重要だと思います。②③は13章の因果と推論でもう一度詳しく触れたいと思います。

・感情ヒューリスティック
・利用可能性ヒューリスティック
・代表性ヒューリスティック
 など

④無知の無知
 次の章で改めて「無知」についての詳細を書くのでここでは簡単に書きますが、情報が不足していることに気付かないことを「無知の無知」と言います。人は①~③の傾向により、自分は多くのことを知っていて不足している情報はないと思い込みます。自分が知らないということ(情報不足の状態)に気付かない人は逆に「自分は何でも知っている」と錯覚してしまいます。

・知識の錯覚(第11章も参考ください。)
・ダニング・クルーガー効果
 など

⑤確証バイアス
 自分に自信があり、知らない情報はないと無意識に思い込んでいると、自分の考えを批判的に検討し反証を探そうとしなくなります。自分の考えに自信があるので「こうなって欲しい→こうなるに違いない→こうなるべきだ!」と考え、都合が悪い情報や知りたくない情報は、間違った情報か、または関係ない情報であるとして無視し、逆に自分の考えを補強するような情報ばかりが目に付くようになります。よって、ますます自分の考えが正しいと確証を持つようになっていくことを確証バイアスと言います。ユリウス・カエサルの「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えているわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。」という言葉は有名です。

・後知恵バイアス
・生存者バイアス
 など

 ①~⑤をまとめて、おおまかな人間像を作りますと「自分にある程度の自信があり、一部を見て全てを理解したと勘違いする傾向がある。それゆえに自分は十分に情報と知識を持ち合わせていて、物事についてよく知っていると思い込み、知識不足であるとは思わない。常につじつまを合わせながら考えているので、論理的に間違っているとは思わない。自分が知らないことや都合が悪い情報は関係のない情報や間違った情報であり、自分の考えは概ね正しいという認識を無意識下に持っている。」というのが基本的な人間像かと思われます。ただすべての人が絶対にこうだというわけではなく、あくまでこのような傾向性を持っているだけという点は強調したいと思います。ここでもう一度確認したいのは、上記の五つの傾向は人間の本質的傾向であり、無意識下にインストールされている「ルーチン化された自動プログラム」に限りなく近いという点です。



第6章 無知の知 ~世界と私の境界線~
f:id:pochi0326:20181206222738p:plain
 無知とは何か。字面の通り、知が無いこと、即ち知らないことを無知と言えるかと思います。しかし言うまでもなく人はこの世界の全てのことを知ることはできません。教養のある人も、社会的地位の高い人も、経験豊富な人も、年長者も、そうでない人も「すべてのことを知ることは出来ず、知らないことが必ず存在する。」という意味においては全ての人が無知であると言えるでしょう。全ての人は無知ではありますが、真の意味での無知とは「無知の無知」であると言えるかと思います。自分が知らないということに気付いていない人は、逆に自分は何でも知っているという錯覚に陥ります。この状態こそが本当の意味での「無知」だと思います。逆に自分が知らないということに気付いている状態が、かのソクラテスの言葉で有名な「無知の知」です。
 「あなたは自分を物知りだと思いますか。無知だと思いますか。」とアンケートを取った場合、恐らく多くの人は(心の中はわかりませんが)「無知です。」と答えるかと思います。確かに心の中でも自分が無知であると思っているかもしれません。しかし自分が知らないということに、本当の意味で気付くことはそう簡単なことではないと思います。自らが「無知だとなんとなく思っている。」ということと「無知であることを気付かざるを得ない状況を体験し、自らが無知であることを確信している。」とは大きく違います。第5章で検討したように人は無意識下で自らについてやや過信気味であり、一部を見て全てを理解したという勘違いをする特徴があり、いつも自分に都合のいい情報だけを取捨選択する傾向があります。結果、人は既知と未知と境界線が不明瞭な状態で“「私は知っている」というぼんやりとした錯覚、幻覚“の中で生きています。未知の事象に出会っても「ああ~これね。知ってる知ってる・・・。」とよく知らないのに知っているという勘違いに陥ったり(知識の錯覚)、「ああ、それは関係ないことだから・・・。」と過小評価したり否定したり、無意識レベルで未知の事象を避けるように処理することが多いと考えられます。(知識の錯覚については11章でまた触れたいと思います。)
 人は日常生活の中で、既知と未知との間にある高い壁を超えて、自らが無知であることを明白に認識する機会に遭遇することは少ないのではないだろうかと思います。「無知の知」を会得するには何か強烈な印象を伴った体験が必要なのかなと思います。既知と未知との間にある高い壁を一撃で吹き飛ばすような体験がないと、人は無意識で未知の事象を避け続けて、無知であることに気付くことは難しいのかもしれません。(僕の場合はリーマンショックがその体験となりました。世界経済の大混乱により目の前の生活が大きな影響を受けた時、初めて目の前の世界を構成する壁が破壊され、遥か遠い世界を垣間見ることにより、目の前の世界の外側の存在を知りました。) 
 ここまで見てきたように、人の脳は不完全なコンピューターです。ヒューリスティックやバイアスもあり、世界を正確に認識することは原理的には出来ません。しかし、たとえ世界を正確に認識することは絶対に出来ないにしても、よりベターに世界を認識する努力をすることは必要なのではないでしょうか。仏教では「(少ない情報と)希望的観測によって自らの心の中に作り出された世界と、変化し続ける本当の世界との整合性が取れずに人は苦しむ(意訳)」と教えられていますが、その通りだと思います。自らの心の中に作り出された世界と、本当の世界とのギャップをより減らすための最初の一歩が「無知の知」だと思います。自らが知らないということを認め、自らの心を開放し、様々な未知の情報を受け入れる「心の在り方」こそが、世界と私たちをよりベターにつなぐ唯一の扉です。自分が知っているという思い込みは、世界と私たちをつなぐ唯一の扉が閉ざしてしまうことになるのではないだろうかと思います。無知の知とは、無知を恥じることでもなく、無理に謙虚になろうとすることでもなく、今日まで培ってきた自信やプライドを捨てることでもなく、自分の考えを捨てることでも決してありません。「自分が知らないこと、気付いていないことがたくさんあるということを、ただ客観的に冷静に受け入れる。」ただそれだけだと思います。そして無知の知こそが、よりベターな思考が生みだすスタート地点だと思います。
 ここまで第一部ではシステム0による無意識下の自己中心性とシステム1による拙速な判断を中心に全体像を描き、無知に気付くことの難しさを炙り出すよう心掛けました。第二部ではシステム2による人間の思考について検討していきたいと思います。


第二部 システム2 ~思考と学習~


第7章 考えるとは
f:id:pochi0326:20181026193300p:plain
 第一部ではシステム0とシステム1について取り扱いました。第二部では二重過程モデルのシステム2について広く検討して行きたいと思います。ここではシステム2を便宜的に批判的思考(クリティカルシンキング)と論理的思考(ロジカルシンキング)とシステム思考(システムシンキング)と学習(知識、理解、記憶)とメタ認知に分けて考えたいと思います。批判的思考とはシステム1の安易な提案を鵜呑みにせず、拙速な判断に待ったをかけて、出来る限り吟味しようとする姿勢のことです。批判的思考は次の第8章で検討したいと思います。
 また論理的思考とはシステム2による遅い思考の中心を成すもので、対象を要素に細かく分解したり(要素還元、具体化)、要素を集めて構造に組み立てなおしたり(抽象化)、多角的に検討する思考です。論理的思考は第9章で検討したいと思います。
 システム思考は論理的思考の延長線上にあり、論理的思考を幾重にも重ねて拡大し、全体の動きまでも考慮に入れる思考です。システム思考は第10章で検討したいと思います。
 これらの思考をサポートするものであり、思考と不可分なのが学習(知識、理解、記憶)です。学習は第11章で検討します。
 そして、思考と学習において最も大切であると考えられる能力「メタ認知」について第12章で検討したいと思います。



第8章 クリティカルシンキング(批判的思考) ~システム2、無知の知、内省~
 批判的思考とは、システム1の安易な提案を鵜呑みにすることなく、感情を抑え、論理的思考による検討へ橋渡しする姿勢のことです。「批判的」という字面からは他人の意見に反対するのが批判的思考というイメージを持つかもしれませんが、決してむやみに他人の意見に反対することを批判的思考というのではなく、あくまで自らの拙速な判断を自重して検討しようとする姿勢のことを批判的思考と言います。内省的思考という表現のほうがうまくニュアンスが伝わるかと思います。
 第5章、第6章で検討したように、人間はどうしてもシステム0、システム1の本能に近い直観的な思い付き(ヒューリスティックやバイアス)を簡単に信じてしまう傾向があるのですが、そういう傾向が自らにあるということを認識して、システム2の判断を仰ぎながら行動を取るように心掛けることで、よりよい判断を下せるようになると思います。批判的思考についての詳細についてはここで多くを語ることは出来ませんので参考文献を参考にしていただきたいのですが、第4章の二重過程モデルのシステム1とシステム2を見比べてイメージを持っていただけたらと思います。ただ批判的思考の中心を成す概念を一言で表すとしたら、繰り返しになりますが「無知の知」になるかと思います。自分は知っているという思い込みにとらわれることなく、知らないかもしれないという仮定の下に自らを置いておく、という姿勢は批判的思考を構成する最も基礎的な土台だと思います。



第9章 ロジカルシンキング(論理的思考) ~静的構造、要素還元主義、抽象と具体など~
f:id:pochi0326:20181213233904p:plain
 冒頭でも書きましたが、認知科学の学習を始めたきっかけはロジカルシンキング関連のビジネス本を読み始めたことでした。ロジカルシンキングの本を何冊か読んだのですが大体同じようなことが書いてあり、しかし言っていることは同じようなことでも著者によって若干表現が違ったりして、結局ロジカルシンキングとはなにか明確にはわからないことがかなりありました。また、「仕事が出来る人の30の思考法」のような自己啓発的な本も何冊か読みました。これらはとてもわかりやすい具体例が書いてあり「こういう時はこう考えろ!」という風に、良く言えば具体的、悪く言えば表面的で場当たり的で、耳当たりはいいけど薄いことばかり書いてあり、結局理解できなかったような気がします。
 「結局、考えるとは何だろうか」と考えを深めていくと、必然的に「考える」という行為を抽象化して、捨象し、洗練させて、極めて純度の高い結晶にまで精錬する作業が必要となり、その作業を繰り返して出た答えを少しややこしい言葉で書くと「考えるとは主に帰納的推論を用いて物事を体系化し、演繹的推論を用いて「前提から結論」や「原因から結果」や「過去から未来」などを順序立てて考えること。」という結論になりました。もっとわかりやすい言葉で書くと

論理的思考とは

プロセス0  紙とペンを準備する
プロセス1 (情報や知識を)集める。発想する。
プロセス2 (情報や知識を)分ける (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス3 (情報や知識を)つなげる (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス4 (情報や知識を)まとめる (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス5 (情報や知識を)予測する。考える。 (プロセス2~5は順不同に入れ替わる)
プロセス6 (プロセス1~5を)繰り返す
この0~6までのプロセスこそが「考える」だと思います。

プロセス0 紙とペンを準備する
 考えるためにまず必要なのが紙とペンです。学校で教科書も問題集もノートに書くこともなく学ぶことが出来ないように、たくさんの情報や知識を自らの脳内だけで整理整頓することは不可能です。紙に書きだして情報の全体像を俯瞰することで、初めて考え始めることが出来るようになります。

プロセス1 集める 発想する(知識や情報の収集や発想)
 この最初のプロセスから躓くことが多いと思われます。たびたびの繰り返しで恐縮ですが、人は自分が様々なことを知っていると思い込んでいるので、そもそも情報を収集しようとしない傾向があります。必要な情報が不足したままでは物事を正確に考えることが出来ません。システム1に引っ張られる引力に負けることなく、クリティカルシンキングを働かせて、このプロセス1でなるべくたくさんの情報や知識を収集し、発想することが重要になります。

プロセス2 分ける(具体化 要素分解 要素還元)
「分かる」の語源は「分ける」だと言われていますが、自分が持っている知識を意識的に明確に分けることがプロセス2だと思います。自分が持っている情報や知識というのは意識しないと案外とあやふやなものです。モデル図にある通り、人の頭の中では似たような知識がひと塊となって頭の中にぼんやりと存在していて、ある情報を思い出そうとしたときに他の情報も一緒に思い出されてしまい、よくわからなくなったりすることがあります。持っている知識をできるだけ個別の「要素」に分解して分けることで、頭の中が整理されてスムーズに物事を考えることが出来るようになります。

プロセス3 つなげる((因果)関係を考える)
 この世界に存在しているものは全て、単体で存在していることはなく、他の何かとつながりを持って存在しています。例えば、人は「地球」の上で生活し、「空気」を吸って生きています。「両親」から生まれ、誰かが作ってくれた「食べ物」を食べ、誰かが作ってくれた「道路」を歩き、誰かが作ってくれた「服」を着て生活しています。たとえ、たった一人、真っ裸で宇宙空間に放り出されたとしても「宇宙」との関係を断つことは出来ません。
 このように全てのものは何かと関連せずに存在することは出来ません。「この世のありとあらゆるものは何かと関連しながら存在している」ということを意識して「要素」と「要素」のつながりを考えることが「考える」のプロセス3になるかと思います。

プロセス4 まとめる(抽象化 構造化 階層化)
 要素に分け、要素同士をつなげたら、それらを包んでまとめる「構造」を作ります。例えばモデル図の「4」と「D」だけ部分的に見ても両者の関連性を見出しにくいかもしれませんが、「文字」という大きな構造で考えると「4」と「D」の関連性や共通点を見出しやすくなるかと思います。このように要素の共通点を見出し、大きな構造でまとめることを抽象化と言います。物事を抽象化して、全体像を空から見下ろすように俯瞰することが出来れば、要素の関連性を容易に見つけることができるようになり、考えるという作業が非常に楽になります。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、この「森を見る」いうことがまとめるということであり、「考える」のプロセス4の抽象化という部分になります。

プロセス5 予測する 考える(推論 仮説)
 プロセス1~4を経て、情報が整理され全体像と因果関係が見えてくると、不足している部分がどこか予測することが出来るようになります。

プロセス6 繰り返す(拡大 精緻化 システム思考へ)
 プロセス1~5を繰り返すことにより全体像が拡大し、構造同士の関連性がより明確になっていき、不足部分や不明瞭な部分や次の展開など、様々なことを検討しやすくなっていきます。



第10章 システムシンキング(システム思考) ~動的構造、世界は変化しながらつながっている~
f:id:pochi0326:20190110003352p:plain
 システム思考とは前章の論理的思考のプロセス6を繰り返し、全体と部分の関連性を把握し、全体の動きと部分の相互作用まで考慮に入れて考えることを言います。例えるなら、「木を見て森を見て葉を見る」だけでなく空の変化、雨、川、季節、森の生き物など周辺の環境など全てを考慮に入れ「森が含まれる周辺環境全体とその相互作用」まで考えることです。
 言葉で書くとわかりにくいかもしれませんが、車の運転で例えるとわかりやすいかもしれません。僕たちは車を運転している時はありとあらゆることを同時に考えています。目の前のことだけに集中するわけでなく、ハンドルだけに集中するわけでなく、アクセルだけに集中するわけでなく、ブレーキだけに集中するわけではありません。前方全体(前の車両、信号、天気、歩行者、路面状況、標識etc)と車の計器類やミラーで後方なども絶えず気を配り、先の変化を予測して、それら全ての情報の統合の結果として、ハンドル、アクセル、ブレーキを操作します。
 このように全体と部分、先の変化の予測などを考慮に入れる全体最適思考」をシステム思考と言います。ロジカルシンキングは主に「部分的な構造を静的(時間の経過と変化を考慮に入れない)に細かく考えること」であり、システムシンキングは主に「全体的な構造を動的(時間の経過と変化を考慮に入れる)に大きく考えること」と言えるかと思います。どちらの思考が上ということはなく、ケースバイケースで使い分けることが重要かと思います。


第11章 学習 ~知識、理解、類推(アナロジー)、記憶について~
f:id:pochi0326:20181230235139p:plain
 第9章、第10章、第11章で「思考」の概要について検討しましたが、この章では「思考」を構成する要素である「知識」と、知識に関連する「理解」と「記憶」についての概要を検討したいと思います。「思考」の材料となる「知識」は「理解」と「記憶」なくしては成り立つことは出来ず、また「理解」と「記憶」も相互に支えあうことなく成り立つことは出来ません。これらについて検討したいと思います。

知識について
 知識とは何かを簡単に定義しますと「知識とは、多くのノード(結び目、中継点、ハブ)を介した一連のネットワークで構成された※シームレスクラスター(集団)である。知識と知識は互いを支え合ってネットワークを作ることで初めて存在することが出来るものであり、そのネットワークにつながることなく単独で存在することは出来ないもの。」としたいと思います。(※シームレス=継ぎ目がない、区切りが無い、線引きがなくあいまい)
f:id:pochi0326:20181228225357p:plain
 文章ではわかりにくいかと思いますので、モデルを使って説明します。コートジボワールというあまりなじみのない言葉でも「アフリカ」の「国」という知識とネットワークを作り、意味を与えあうことによって、知識として自らの脳内に存在することが出来ます。同時に「アフリカ」という言葉も「地球の反対側にある大陸」などのぼんやりとした知識とネットワークを構成し、「国」という言葉も「人が集まって立法府や行政府や企業を構成し、社会的ルールが成立している地域」などのぼんやりとした知識と連結することにより、自らの脳内で成立しています。「コートジボワール」が何かを「国」や「アフリカ」という知識と結びつかずに理解することは出来ません。
f:id:pochi0326:20181228225526p:plain
 上図はイギリスに関する適当な思い付きをまとめたモデルです。イギリスに関する様々な知識が集まって様々なノードを介してネットワークを構成し、クラスター(集団)となっています。「ビッグベン」は「イギリス」「ロンドン」と不可分であり、「マンチェスターユナイテッド」は「サッカー」「プレミアリーグ」という知識とネットワークを構成せずに単独で存在することは出来ません。「イギリス」という単語はそれに付随する様々な知識と結びつくことで、初めて意味を持った「イギリス」になります。

新しい知識と理解について
 新しい知識は、隣接する古い知識が新しい知識に接続し、ネットワークを構成することによって理解され、知識として取り込まれます。
f:id:pochi0326:20181228225808p:plain
「ドンテディヴィンチェンゾ」という言葉は恐らくほとんどの人は聞いたことがなく、また理解もできないと思います。答えを言いますと「ドンテが名前、ディヴィンチェンゾが苗字で、アメリプロバスケットボールリーグNBAに所属するバスケットボールの選手」です。

f:id:pochi0326:20181228230241p:plain
答えを聞くと「アメリカ」「バスケットボール選手」などの元々持っていた古い知識が「ドンテディヴィンチェンゾ」に意味を与えて、「ドンテディヴィンチェンゾ」が何であるかの理解を促し、新しい知識となります。
 
 隣接する古い知識が新しい知識に接続し、ネットワークを構成することで新しい知識を理解して取り込むことが出来る、ということは隣接する知識を持っていない場合は、新しい知識を取り込むことが出来ないということです。「ドンテディヴィンチェンゾ」は「人名」で「アメリカ」の「バスケットボールの選手」という比較的わかりやすい知識と接続し、なんとか理解することが出来るかと思います。
 しかし、例えば「マートン学派」(14世紀イギリス、オックスフォードのマートンカレッジを中心とする、数学者、自然哲学者による運動論の学派)という言葉を聞いても「はあ・・・?14世紀・・・?運動論・・・?」という感じで理解できないと思います。多くの人は自分が持っている知識と、「マートン学派」を橋渡しする知識が不足しているので、ほとんど接続されず、「マートン学派」を新しい知識として取り込むことは難しいかと思います。
 このように、隣接、関連する知識同士が脳内で互いに支え合う広大でシームレスな“ぼんやりとしたネットワーク”によって作られるひとまとまり(クラスター)が「知識」であり、「知識の深さ、理解の深さ」とはクラスターを構成する「知識の量」「ネットワークの密度」「知識の整理整頓具合」に依存するものになるかと思います。知識とはシームレスであるがゆえに、「どこが始まりでどこが終わりか?」「深く知っているかどうか?」と明確に線引きしたり、定義したり、意識することは難しいものです。線引きや定義が難しいがゆえに、自分がよくわかっていないことをよくわかっていると錯覚するバイアスのことを「知識の錯覚」と言います。
 「コートジボワールを知っていますか?」「イギリスを知っていますか?」と同じ問いがあったとして、同じ「知っている」でも、前者はただ名前を知っているだけであり、後者はある程度の大きさのクラスターとして一定の深さの知識を保有していることになります。しかし、自らの知識の深さについて明確に意識しないと知識の錯覚により、ぼんやりと同じ「知っている」で処理してしまうので注意が必要かと思います。
 自らが持っている知識同士の入り組んだの関係を整理整頓することが第9章の「論理的思考」であり、次に検討する「理解」だと言えます。また、シームレスな知識に対して「どこまで知っていてどこから知らないか」の線引きをすることをメタ認知といいます。メタ認知の役割も様々ありますが、次の章で検討したいと思います。

理解について

f:id:pochi0326:20181230235021p:plain

 理解とは何かという定義も難しいですが、大きく分けて二種類あると思います。一つは第9章に出てきた思考モデルのシステム2そのものだと思います。知識を集めて、知識同士の関係を考えネットワークを構成し、整理整頓し、知識を増やしネットワークを広げていく、これこそが理解の一つの定義なのではないかと思います。即ち「思考≒理解」だと考えて差し支えないと思います。これを「思考型アプローチによる理解」と定義したいと思います。
 もう一の理解の方法として「類推(アナロジー)型アプローチによる理解」があります。類推とは、よく内容が分かっている事象Aとよく内容が分からない事象Bがあったとき、事象Aと事象Bを比較し、共通した部分や共通した構造を見つけ、「恐らく事象Bも事象Aと共通した点から考えて同じような内容だろう。」と推測することです。
例 Q 鳥と言えば「鳥の巣」。では犬と言えば? A「犬小屋」 (共通点:住み家)
  Q 人間なら「食べ物」。では車では? A「ガソリン」 (共通点:エネルギー源)
 また、複雑な事象を身近な例え話で説明することも典型的な類推です。「アリとキリギリス」「三匹の仔豚」「あかずきん」など童話による例え話で教訓を説明することで、よりわかりやすく理解が促されます。
 アナロジーというものに対してピンと来ないかもしれませんが、私たちはアナロジーなしには何もできないと言っても過言ではないほど、日常生活の中でアナロジーを多用して生きています。例えば、iphoneしか使ったことない人が、アンドロイドのスマートフォンを全く使えないかと言えばそんなことはありません。同じスマートフォンなので中身が多少違えど、同じような操作方法なのですぐに使えるようになるかと思います。車を運転する時も、自分の車は運転できるけどレンタカーは運転できない、ということもないと思います。同じ車なので多少の違いはあれど運転は恐らくできると思います。(ここでは軽自動車とダンプカーなど極端な例は除きます。)料理をする時も、親子丼は作れるけど野菜炒めは作ったことがないので作れない、ということもないでしょう。それほど難度の高くない料理であれば、今までの料理の経験からアナロジーを活用して同じような難度の料理を作ることは出来ると思います。転職した時に前職の経験を新しい仕事に活かす、というのは典型的なアナロジーになるかと思います。私たちはいつも自らの経験を抽象化して要点だけを抽出するアナロジーという能力を多用しながら、物事を理解し、思考しながら生きています。
 このように「新しい知識と古い知識のネットワークの構成し、整理整頓する。」という思考型のアプローチと「新しい知識と古い知識の共通点や共通の構造の発見を通じて理解を促す。」という類推型のアプローチによって「理解とは何か」を大まかに説明することが出来るかと思います。

記憶について
 認知科学において「記憶」は多くの種類に分類されています。「感覚記憶」「短期記憶」「作動記憶」「長期記憶」など記憶の長さによる分類、「手続き記憶」「エピソード記憶」「意味記憶」など記憶の質による分類など、細分化されていますのが、ここでは知識に関する記憶である「意味記憶」と「長期記憶」について、なるべくシンプルに考えたいと思います。まずは特徴について大きく3つにまとめたいと思います。

(1)記憶の定着は思い出した回数に比例する
 学生時代にテスト前に、教科書や参考書を何度も読んだのに、テスト本番の時には全く思い出せなかったという経験や、仕事を覚えられずに上司や先輩に「この間言っただろ!」と言われた経験は多くの人にあるかと思います。これは記憶力が悪いということではありません。(知識の)記憶というのは一度の学習で定着することはなく、何度も「思い出す」ことによって、脳の回路が太くなり、強化され記憶として定着します。テスト前に何度も教科書を読んでも、読むだけでは「思い出していない」ので、記憶として定着することはありません。また仕事でも一度の経験だけで理解し、覚えられることはありません。何度も経験し、自らの中で何度も思い出し、内省を繰り返すことで記憶として定着します。ここでは記憶に必要なのは「思い出す」ということと、「繰り返す」ということと、また「書き出す」ということも重要であることを確認しておきたいと思います。

(2)理解したことは記憶しやすく忘れにくい(精緻化)
 これは文章で説明するよりモデルで説明したほうが感覚的に分かりやすいと思います。
f:id:pochi0326:20181213233904p:plain
度々の登場となるモデルですが、システム1の情報や知識が整理されていない状態では、知識のつながりが弱いので記憶しようとしても難しく、また覚えたとしても単なる丸暗記になってしまい、すぐに忘れてしまうということは感覚的に理解してもらえるかと思います。システム2の状態では、その事象を理解して情報や知識が強固なネットワークを作り一体化しているので、一つ一つの情報や知識を忘れにくくなります。理解を深めることを精緻化とも言いますが、精緻化を行うことで記憶の定着を行いやすくなります。

(3)一度記憶したことは、後で考えを柔軟に変えることは難しくなる
 第3章でも説明しましたが、何度も繰り返し経験したり思い出したことは、脳の回路が強化されてやがて「ルーチン化された行動プログラム」となり、システム0の無意識下にインストールされます。無意識下にインストールされるまで脳の回路が強化されて、脳に焼き付いてしまうと、なかなかその事象に対する「理解」や「記憶」を変更することは難しくなります。
 システム1による速く硬い思考というのは、記憶の固定と大きく関係していると言えるかと思います。また加齢により「新しいことを覚えられない」「新しいことを覚えようとしない」「今までのやり方に執着する」というのも、同じことを何度も何度も繰り返したことにより、脳の回路が太く強化されて、焼き付いて変更が難しくなった状態だと言えると思います。


第12章 メタ認知
 上記の思考と学習をよりよく実践するために必要なのが「メタ認知」という能力です。メタ認知とは、自らの状態を客観的にモニタリングして把握する能力で、クリティカルシンキングに極めて近い概念であり、クリティカルシンキングを詳細に行うことをメタ認知と言えるかと思います。

・システム1の感情的思考や速い思考に流されていないか。
・システム1の自信過剰や自己防衛的な考えに陥っていないか。
・知っていると思い込んで、新しい情報や知識を軽視していないか。
・今までの考えに固執して、新しい考え方を感情的に拒否していないか。
・どこまで知っているべきかを考えているか。全体像と部分を把握しているか。
・どこまで知っているかを理解しているか。
・記憶している、またはすぐに記憶できると思い込んでいないか。
などなど
 
 思考力、知識、理解、記憶というのは一朝一夕に身につくものではなく、静かな環境の中で何度も「思い出す」ことと「繰り返す」ことと「書き出す」ことが最も重要となります。最初は知識と知識の結びつきが弱く「(知識の)点と点」だったものが、やがて何度も繰り返される思考の中で「線のつながり」「面のつながり」「多様な面と面のつながりと重なり」というように、様々な知識が心の中で溶け合い、結びつき、支え合い、発展していきます。その過程の中で、情報や知識を集める能力、分ける能力、つなげる能力、まとめる能力、広げる能力、メタ認知能力も洗練されていくものだと思います。

 ここまで第二部ではシステム2である思考と学習について大まかに検討してきました。簡単にまとめますと、本能や無意識の速い思考に負けない意志力を批判的思考(クリティカルシンキング)といい、細かく、正確に、前提から結論まで順序立てて組み立てる思考を論理的思考(ロジカルシンキング)といい、大きな全体像を変化を含めて考えることをシステム思考(システムシンキング)という。そしてこれらの思考の材料であり、ほぼ思考とイコールであるのが学習(知識、理解、記憶)であり、思考と学習に重要なのがメタ認知です。
 私たちは常にシステム1にの引力に引っ張られています。地球の引力に引っ張られながら生きていることをほとんど認識することがないように、システム1に引っ張られていることを認識することも、クリティカルシンキングメタ認知を心掛けていないと難しいものだと思います。より良い判断を下すためには人間の心や思考についてある程度理解することと、メタ認知による自らのモニタリングは欠かせないものだと思います。
 しかし、私たちはシステム2だけで生きているロボットではなく、感情を持った人間なので、いつもシステム2を目指さなければいけないということはないと思います。システム1から生まれる豊かな感情こそが人間なのであり、大事なのはシステム1とシステム2のバランスだと思います。 
 
 

第三部 発展
 第一部では無意識と感情、第二部では思考と学習について検討しました。ただし、第一部、第二部では説明と理解に必要な最小限の記述しか行っておらず説明が不足している部分がありますので、第三部ではその不足している点を中心に少し詳細な検討を行いたいと思います。


第13章 因果と推論

f:id:pochi0326:20190110003352p:plain

 この章では第5章のヒューリスティックとバイアス、第8章の批判的思考と第9章の論理的思考と第10章のシステム思考について「因果」と「推論」を基に少し深く検討したいと思います。
 因果というのは字面の通り「物事の原因と結果」です。推論とは「既知の事柄を基にして未知の事柄について予想し論じること(wikipediaより)」です。また、結果から原因(現在から過去)を予想することを後向き推論(診断推論)、原因から結果(現在から未来)を予想することを前向き推論(予測推論)と呼びます。私たちはいつも物事の因果関係をこの前向き推論、後向き推論によって考えています。一説によると起きている時間の90%以上、何らかの形で物事の因果関係を考えているとか!? この因果と推論に関して四点ほど記述したいと思います。

f:id:pochi0326:20190110004613p:plain

(1)原因帰属(外的帰属、内的帰属)
 原因を考えること(後向き推論)を原因帰属ともいい、原因帰属は外的帰属と内的帰属に分類されます。外的帰属というのは、その事象の発生原因をその事象の外的要因によって考えることであり、内的帰属とはその事象の発生原因をその事象の内部にある要因によって考えることです。
 という説明をしてもわかりにくいと思いますので「風が吹けば桶屋が儲かる」という話に置き換えて考えると、桶屋が儲かった原因を「風」にするのが外的帰属であり、「桶屋がいい桶を作っていたから」など桶屋に原因を求めるのが内的帰属です。もう一つ別の例に置き換えると「知り合いが転ぶ場面を目撃した時」という結果に対して、「雨が降っているので床が濡れていて転んだ」とか「あそこは見えにくい段差があるので転んだ」などの原因に結び付けるのが外的帰属で、「あの人はいつもおっちょこちょいだから転んだ」とその人が持つ特性に原因を求めるのが内的帰属です。もう一つ例を出すと「ある会社が倒産した」という結果に対して、「不況」や「社会や業界の構造の変化について行けなかった」などの原因に結びつけるのが外的帰属で、「経営者の能力が足りなかった」「社員が頑張っていなかった」などの内部要因に原因を求めるのが内的帰属です。
 第5章で紹介したシステム1のヒューリスティック、バイアスにより、私たちは「内的帰属」によって物事を判断する傾向を持っています。(第5章の自己中心性バイアスの「根本的な帰属の誤り」がこのバイアスです。)目に見えないことや目に見えにくいことに思いを馳せて原因を考えるより、目の前にあることや一番目立つことに感情的に原因を結びつけたり、こじつけて辻褄を合わせるほうが楽なので内的帰属で物事を考える傾向を持っています。しかし多くの因果は外的要因と内的要因によって成り立っているということを意識して、両方について考えるようにすることが重要です。

(2)一つの結果は複数の要因によってもたらされる
 一つの結果が単一の原因だけによって起こるということはありません。モデル図のように複数の要因が集まって一つの結果をもたらします。例えば飛行機の墜落事故があったとして、墜落の原因を「エンジンが止まったから」という理由だけで片付けるのがおかしいのは言うまでも無いでしょう。なぜエンジンが止まったのか、設計に問題があったのか、製造に問題があったのか、整備に問題があったのか・・・重要なのはその理由を深く追及することであることは明らかです。東日本大震災福島第一原発の事故の原因を「地震が発生したから」という一つの原因だけで納得できる人はいないと思います。学会による地震の規模に対する予測の難しさ、予備電源の設置に関するプラント設計の問題、東京電力の安全対策への意識や、政府の原子力行政の不備など、様々な点に原因は及ぶと考えられます。
 しかし、システム1のヒューリスティック、バイアスにより私たちは外的要因を考えるときも、一番目立つ単一の原因に感情的に決め付けてしまう傾向を持っています。一つの結果は複数の外的要因、内的要因によってもたらされるということを常に意識して考える癖をつけることは極めて重要です。

(3)原因は特定できないことも多く、単なる偶然としか言えないことも多い
 この世界は様々な因果が複雑に絡み合って成立しています。原因の原因の原因の原因・・・となぜなぜ分析を繰り返し、原因を深く考えてもそれが本当の原因なのかは特定できないことが多々あります。身近なことであれば原因を明確に特定できることも多いかもしれませんが、規模の大きな事象や、時間軸が長い事象や、とても細かい事象などは、本当の原因がわからないことは多くなるかと思います。経済などはその傾向が顕著で、例えば「この経済政策のおかげで景気が上向きました。」と政治家が自画自賛していたとしても、景気が上向いたのがその政策のおかげということは誰も証明できません。その政治家の希望的観測によるただの思い込みかもしれません。
 (2)で書きましたが、一つの結果は複数の要因よってもたらされるということも含めると、真の原因が何であるかわからないということは多々あります。「これが原因だ!」と確信しても、実はそれは「たまたま偶然起こった」ということはよくあることであり、「せいぜい推測でしかないけどこれが原因かもしれないな。」という程度の推論しか出来ないことも多くあるということに留意が必要です。

(4)明確な因果関係を求める本能
 第4章のモデル図で示しましたが、人間には物事に対して「明確な因果関係を拙速に求める本能に近い習性(参考文献参照)」をシステム1にインストールされていて、すぐに白黒をつけたがる傾向を持っています。明確に速く、原因と結果を知りたいというのは抑えきれない本能に近いものではありますが、先述の(2)(3)で書いたように一つの結果は複数の原因によってもたらされ、また様々な因果が複雑に絡み合っているこの世界では原因を明確に特定できないことや、単なる偶然ということもよくあります。拙速に白黒をつけたがる傾向に待ったをかけて、「原因は特定できず、推測でしかない」「単なる偶然である可能性」という白黒つけられない灰色の不明瞭で不安定な状態を受け入れて保留するというのもシステム2による思考にとって重要な姿勢だと思います。
 そもそも私たちは神様でもなんでもないので、全ての情報を手に入れることなど不可能です。「情報が不足している可能性が高いが、全ての情報を手に入れることもまた出来ない」という考え方も、無知の知と同じように、そして同じぐらい、重要な考え方だと思います。「知らない」「わからない」「たまたま」という言葉からマイナスのイメージを感じるかもしれませんが、あるがままの状態を受け入れるというのもまた必要です。
 過去のことさえよくわからないことが多いのに、未来がわからないことだらけなのは言うまでも無いことかもしれません。


第14章 アウトプット(フレームワークなど)
執筆中・・・

第15章 システムシンキング その2 ~「おにぎり」をテーマにシステム思考を考える~
執筆中・・・
第16章 システムシンキング その3 ~近代化と少子高齢化をシステム思考で考える~
執筆中・・・

第17章 発達障害自閉症スペクトラム ~中枢性統合の脆弱性
 この章では近年、テレビやネットでも話題に上がることが多い発達障害について考えたいと思います。詳細は専門書などに譲りたいと思い、概略だけ書きます。
 発達障害も様々なタイプがあり、ADHD(注意欠陥、多動性障害)、アスペルガー症候群学習障害などを一括りとして自閉症スペクトラムと呼ばれています。その下記の三つが中核的症状かと思います。
(1)社会性の障害(人の心を想像できない、内省機能が弱い)
(2)限定された興味、強いこだわり
(3)想像力の欠如、全体像を考えられない(中枢性統合の脆弱性

 発達障害の解釈にもいろいろあり、一義的に解釈するのは難しいかもしれませんが、僕の考えによると
f:id:pochi0326:20181026193300p:plain
上記のモデルで「著しく、かつ常時システム1の左限付近にいる人を発達障害」というのだろうなと思います。システム1の衝動をシステム2によって制御することが出来ない、即ちクリティカルシンキングや感情の制御が出来ない。興味が限定されていたり、視野が狭くて全体像を考えることが出来ない、即ちシステムシンキングが出来ない。自分の考えに固執して、周囲の環境に合わせて考えを変えることが出来ない。このような人を発達障害と呼ぶのだろうと考えています。
 しかし、これは程度の問題であって、僕を含め多くの人はモデルの左側に寄っていると考えると、全ての人間が程度の差はあれ発達障碍者と言えるのではないだろうかと考えられます。また常にシステム2であろうとするのも何か人間として不自然な感じがしなくはないような気がします。過去現在の多くの科学者が発達障害の傾向があったとも言われていて、発達障碍者の限定された興味や、強いこだわりが特定の分野に生かされると大きな業績が生まれることがあるとも言われています。また人間に備わっているシステム1由来の「根拠なき熱い情熱」こそが社会を牽引する大きな原動力になり、今日まで社会発展させてきたとも思います。
 最近、発達障害のメディアの登場が増えていますが、発達障害というのは必ずしも悪い側面だけではなく、良い側面も併せ持っているという認識を持つことは重要だなと考えています。また同時に全ての人はある意味では発達障碍者なのだと解釈したならば、発達障害の傾向が強い人に対しても「お互い様」と思い接することが出来るかもしれないなと思います。

第18章 本能に由来する自己中心性
第19章 その他いろいろ(仏教、マインドフルネス、進化心理学など)
第20章 まとめ
第21章 参考文献

システムとモデル

 最近は認知科学と平行して「システム」と「モデル」について勉強しています。この混沌とした動的構造である「現実というシステム」の中から「単純なモデル」をどう見出して、どう認知するか?というところに社会科学と人文科学の核心があるんだろうなあ。だんだん抽象的で形の無いものに向かっているなぁ・・・
 このブログをはじめたのも2010年の年末だったけど、年末になると執筆意欲が沸いてくるので出来るだけ手持ちのアイデアを記事にしようと思う。

仕事を覚えられない人と仕事を説明できない人

 抽象的なことばかり書いていてもあれなので、たまには具体的で実生活の役に立ちそうなことを書いてみようと思います。

 「仕事を覚えられない。」「仕事をうまく教えられない。うまく説明できない。」という悩みはいつの世も絶えることはありません。また同時に「なぜあの人はうまく説明してくれないんだろう。」「なぜあの人は何度同じことを言ってもわかってくれないんだろう。」という悩みがなくなることもないでしょう。
 多くの場合、その原因は「地図がないこと」ということになるかと思います。地図というのは業務の全体像のことであり、フローチャートのことです。見知らぬ土地へ行った時に素早く正確に行動するためには下記の4つの情報が必要になります。

①地図(全体像、フローチャート
②現在地
③道順
④目的地

同じように新しい仕事を教わるとき、教えるときも地図(全体像)がないと早く正確に理解したり、教えたりすることは困難です。
 
 例えば、「2週間でプロセスが1~7まである仕事」というのがあり、その仕事を新人に説明するとしましょう。(下図)
f:id:pochi0326:20181030000119p:plain
第一週の月曜日から始まり、第二週の金曜日で終わりです。プロセス1から説明をすることが出来ればいいのですが、例えば今日が第二週の火曜日だとしたら、プロセス5の説明から始めなければいけないということも多いでしょう。その時はプロセス5をいきなり説明するのではなく

(1)この仕事はプロセスが1から7まであること
(2)今日は日程の都合上、プロセスの5を説明すること

この2点を伝えるだけでも相手は全体像、現在地、目的地のイメージをつかむことが出来てより早く理解できます。
 人の脳には「思いついた順に、または目の前にあることから説明をしてしまう。」という特徴があります。上記の例では「プロセス1から7まであることを説明せずに(全体像や目的を説明せずに)、いきなりプロセス5を説明した後に、思い出したようにプロセス1だけを説明し、翌々日の木曜日にプロセス6を説明してしまう。」というような感じです。教える方はこの業務の地図(全体像)、現在地、目的地がわかっているのですが、教わる方は業務の地図、現在地、目的地がわからずに混乱してしまいます。
 業務の説明や引継ぎがうまくいかない場合、多くはこれが原因となっているのではないかと思います。教える側、教わる側、お互いに「共通の地図を作る」というコンセンサスの形成をまず行うことで、教育や引継ぎがよりスムーズになるかと思います。もちろん最初から完全な地図を作ることは出来ないので、何度もフィードバックを行いながら地図の精度を高め、範囲を拡大していくことが重要です。

web拍手 by FC2

f:id:pochi0326:20181107223741p:plain

知識と思考

 最近は認知科学の記事ばかりですが、今年は認知科学の研究に費やす決意をしたのだった・・・。つーか自分が何なのかわからないw
 人間の思考というのは知識という土台があってこそ初めて成り立つものであり、知識と思考のハーモニーが重要だと思います。思考を料理にたとえると、知識とは食材や材料と言えるでしょう。詳細はまた後日書こうと思いますが、とりあえず二重過程理論をベースとした思考と知識に関するモデルを作ったので記載します。
f:id:pochi0326:20181026193300p:plain

web拍手 by FC2

我をコントロールする

 人間は「自分はまあまあ捨てたもんじゃない」と思っている。しかしこの変化し続ける世界は、常にそんな自分の自信を打ち壊そうと襲い掛かる。もちろん世界は僕達の自信を打ち壊そうとは思っていないが、(そもそも「世界」に意思はあるのかな?)僕達は世界が自分を打ち壊そうとしていると思い込み、打ち壊されまいと必死に抵抗する。思いつく限りの理由を持ち出して必死に自分を守ろうとする。そして疲れ果てる。
 自分は自分が思っているほど立派ではない。もちろん捨てたもんじゃないし駄目でもない。自分が生きてきた今日までを思いきり誇ればいい。
 世界も自分も、ありのままであるしかないし、ありのままでいい。

web拍手 by FC2