蟻の社会科学

自由に生きるため、この世界を知ることを目的としたブログです。ビッグヒストリーを縦軸にリベラルアーツを横軸にシステム思考を最適化ツールとして。興味を持った方はガイドラインからどうぞ。

【70冊目】ブッタとシッタカブッタ シリーズ

ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある

ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある

 以前、図書館へ行って仏教コーナーを見ていると、何だか豚の絵の漫画が置いてあった。こんなところに何だろう?置き間違えたのかな?と思ってパラパラと読んだところ、とてもわかりやすく仏教について書いてあった。家に帰ってからすぐにシリーズ6冊を購入した。
 これもセレンディピティの一種なのだろう。いつどこに素晴らしい発見というのがあるか本当にわからない。仏教の入門書は数え切れないほどあると思うが、この本はその中でもかなり秀逸な出来なのではないだろうか。

完成

第14章 論理的思考その2 の一部
第19章 自己中心性と認知的不協和
第21章 読書
を追加して12/6の記事が完成しました。第17章は大作につき、別に記載予定。

 システム1の重力圏を飛び出して、自由に考えを張り巡らせることが出来るシステム2の無重力圏まで突破するのは結構大変だと改めて思いました。もちろん僕もまだまだシステム1の重力圏に囚われています。

 

88%ぐらい完成

 12/6の「ブログの新ガイドライン(2)私の中のミクロコスモス」が大体完成しました。数年前から始めた思考の勉強ですが、最初はロジカルシンキングのビジネス本から始めました。しかし、ロジカルシンキングの本を読むととても具体的でよくわかる部分もあれば、違和感を感じる部分もあり、脳科学認知心理学の本を読むとその本についてはよくわかるのですが、どこか何かがよくわからない気もする。
 何がよくわからないのだろう・・・・と考えて気づいたのは「全ての本は、範囲が限定されていて具体的である。」ということです。システム0の無意識に関係する本は、システム0の無意識のことだけ記述している。システム1のヒューリスティックやバイアスの本はそれだけを記述している。クリティカルシンキングの本はシステム0の無意識についてはほとんど記述していない。ロジカルシンキングの本はシステム1のヒューリスティックによって論理的思考が大きく歪められる可能性については全く記述していない。「こういう時はこうしろ!」というような正しいのだろうが、使い道があまり無いであろうアドバイスばかり書いてあったり。マインドマップの本はマインドマップについてだけ記述している・・・。当たり前といえば当たり前なのだが・・・。
 結局、「人間の思考の全体像をシームレスにシステム思考で把握できていない。」ということに気づきました。自らの確認の意味も込めて、人間の思考の全体像を極限まで抽象化してモデリングして、その全体像をシームレスに描いてみようと思い立ち記事を書き始めましたが思いのほか大変でした。人間の思考や知識には、始まりも終わりもない、白も黒も無いということを表現するのがこれほど難しいものだとは・・・。
 あらかた書き終えて読み返して思った感想は「だから何なんだ?!(笑)」。とはいえ、人間の思考の全体像をとても完全とは言えないとしても、一定の参考にはなるレベルで記述できたかなと思います。

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灰色のスペクトラム

 僕が人間の思考を勉強し始めたとき、特に理解が難しかったのが ”人間の思考は灰色のとても曖昧なスペクトラムで線引きが非常に困難” という点でした。「考えている」と「考えていない」の間に明確な線を引くことはできず、「知っている」と「知らない」の間にも明確な線を引くことは出来ず、発達障害者と定型発達者の間も紙一重だったりします。
 もう一つ処理が難しかったのが、「システム1で生成された「思いつき、思い込み」「願望や確証バイアス」をベースとした安易な結論を、ロジカルな体裁で仕立てあげた後付け思考」をどう判断していいかが難しかったです。ロジカルシンキングの本を読むと「結論から述べて、シンプルに、根拠と結びつけながら~」という説明がよく書いてありましたが、そもそもその結論自体がチープな思いつきであることが多く、単なる高度なつじつまあわせを論理的思考と言えるのかという問題をどう記述するか悩みました。
 この形が無い灰色のスペクトラムを抽象化したり、具体化したり、型を作ってはめ込んでいくという作業がパズルみたいで案外面白いなと思います。

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自己啓発本

 本屋へ行くと自己啓発本が大きなコーナーとなってかなりの面積を占めている。タイトルを見ると「人生が楽になる42の習慣」とか「外資系コンサルが教える仕事が速くなる30の方法」とか「幸せになりたければナントカをやめなさい」など、なんとなくそんな感じの本がたくさん並んでいる。
 僕もその手の本を何冊か持っている。手元にあるその本のタイトルを書くことは控えるが、人間を成長させるための52の秘訣が書かれた本の内容を適当に一部抜粋すると・・・

・秘訣4 メモを取る
・秘訣11 神童の神話を真に受けない
・秘訣17 苦闘を歓迎する
・秘訣32 ポジティブな面に意識を集中する
・秘訣44 汗水たらして努力する

など書いてある。本屋においてある自己啓発本も内容は恐らく似たようなものだろう。この手の本に書いてあることは全く否定しない。間違いなく正しいことが書いてあるのだろうと思う。間違いなく正しいことが書いてあるとは思うが、「この内容に一体何の意味があるのだろうか?」と言わざるを得ない。
 自己啓発本の内容はとても具体的でわかりやすい。しかし、言い換えれば具体的であるということは「こういう時は、こうしろ!」と事細かに言っているということだ。では「こういう時」じゃないときはどうすればいいのだろうか?また「こういう時」のために何十個もの方法とやらを覚えていなければ行けないのだろうか?自己啓発本は具体的でとてもわかりやすく、読んだときには「あ~なるほど~わかったぞ~」という気分にはなるけど、詠み終わった次の日にはもう覚えていないことが多いと思う。なぜならそんな具体的なことを何十個も覚えることは出来ないからだ。本屋に自己啓発本の大きなコーナーがあること自体がその証明になるのではないか。
 重要なのは具体的な事例を抽象化して本質を抽出する能力だと思う。自己啓発本を全否定するつもりは無い。具体例を抽象化して本質を抽出する能力があるのであれば、自己啓発本もアイデアの参考として役に立つこともあると思う。しかし、物事を抽象化して本質を抽出することが出来る人であれば、自己啓発本は無意味とは言わずとも必要ないかもしれないなと思う。

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パスカルの手紙

 12/6の記事の第11章の一部を書いた。書くことによって、自分の脳内でまた新たな変化が起こり、また新しいことを書こうと思ったり、不要なところを消していったりする。書くこと自体が自らに変化を促し、新たな相互作用を起こすファクターなのだなと改めて感じる。
 パスカルが友人に宛てた手紙の最後に「今日は時間が無かったためにこのような長い手紙になってしまったことをお許しください。」と書いたが、ただ思いついたことを順不同に思うがままに書き連ねることはそれほど難しくない。最大限わかりやすく伝えるために、必要最小限の構成要素まで削る作業は難しいなあと思う。しかし、年内に第二部までは書き上げるぞ!

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